日本共産党

2003年2月22日(土)「しんぶん赤旗」

都知事選候補に若林党都委員長を擁立

石原陣営とのたたかいは
都民にたいする党の責任

志位委員長が記者会見


 日本共産党の志位和夫委員長は二十一日、東京都庁内で記者会見し、三月二十七日告示、四月十三日投票の都知事選挙に、日本共産党東京都委員長の若林義春氏(52)を党公認候補として擁立すると発表しました。なお、若林氏の擁立にあたり、衆院比例東京ブロック候補・東京二十二区候補の任をとくこともあわせて明らかにしました。会見には市田忠義書記局長、秋田かくお党都議団長も同席しました。志位氏の会見での発言の大要はつぎのとおりです。


写真
記者会見する若林義春都知事選候補(右)と志位和夫委員長(中央)。左は市田忠義書記局長=21日、東京都庁

 一、日本共産党は、東京都知事選挙の候補者として、若林義春東京都委員長を、公認候補として擁立し、勝利のために全力をあげてたたかうことを、決定しました。

 一、わが党は、今回の都知事選を、石原・自民党型都政の継続を許さず、都政の革新的転換をはかる重大な政治戦と位置づけ、「革新都政をつくる会」の一員として、多くの方々と協力し、候補者擁立のための努力をはらってきました。しかし、告示一カ月を前にして、「つくる会」としての候補者擁立にはいたりませんでした。

 一、今回の知事選は、政治戦として、これまでにない激しさ、厳しさをもっています。それは、相手候補と目される石原知事が、空前の福祉切り捨ての暴挙をかさねて都民との矛盾を深めながらも、突出したタカ派、異常な反日本共産党の姿勢など、きわめて特異な性格をもっていることからくる激しさ、厳しさです。

 候補者擁立のむずかしさにも、この事情が反映していました。こうした状況のもとで、日本共産党として、都民にたいする責任をはたすべきときだと判断しました。わが党は、一九六〇年代から七〇年代の革新都政の時期にも、その後の自民党都政のもとでも、いっかんして都民生活をまもり、民主主義をまもり、都政革新をすすめるために力をつくしてきた政党です。この四年間の石原都政にたいしても、その悪政にたいして正面から対決してきた唯一の政党です。

 こうして首都東京で革新をつらぬいてきた政党として、日本共産党自身が候補を擁立して石原陣営と正面からたたかうことが、都民にたいする責任です。そして、公認候補を立てる以上、東京都の党組織の責任者である若林都委員長が、もっともふさわしいと判断しました。

 この党の方針は、「革新都政をつくる会」にも伝え、昨日開かれた代表世話人会で、理解をえたものです。

 一、この四年間の石原都政は、大銀行への課税やディーゼル規制など、部分的には都民要求にこたえる施策もうちだしましたが、全体としては、自治体ほんらいの仕事をなげすてた自民党型都政をいっそう乱暴にすすめるものとなりました。

 この都政は、シルバーパスや老人医療費助成などを冷酷に切り捨て、革新都政時代に築いた福祉・医療・教育の制度を、根本から破壊するという暴挙をおこないました。その一方で、「都市再生」のかけ声で、見通しのない巨大開発の路線を継続してきました。

 また石原氏は、憲法改悪、侵略戦争肯定、東アジア諸国への敵視、女性や障害者への蔑視(べっし)など、突出したタカ派の発言、異常な反民主主義的な発言をくりかえしおこない、内外からの批判がたかまっています。

 このような人物の続投は、都政をいっそうの矛盾と混迷にみちびくことになります。「都民が主人公」の立場にたち、福祉と暮らしを守り、民主主義と平和の立場にたった、革新・民主の都知事の誕生が強く求められます。わが党は、広い都民のみなさんとの共同をひろげ、勝利のために全力をあげるものです。


東京都知事選候補者

若林義春さんの略歴

 一九五〇年、東京・品川区生まれ。五十二歳。東京大学教育学部卒。七九年、日本共産党東京都委員会に勤務。八一年から八六年まで旧東京十一区の岩佐恵美衆院議員秘書。八九年から党都委員会文化・知識人委員会責任者。九三年から党中央委員会書記局員、九四年から九七年まで幹部会委員、文化・知識人委員会責任者などを歴任。九七年十月から党東京都委員長。二〇〇〇年六月の総選挙で比例東京ブロック候補者として活動。二〇〇一年から党常任幹部会委員。

 家族は妻と一男一女。趣味は登山など。


もどる
「戻る」ボタンが機能しない場合は、ブラウザの機能をご使用ください。

日本共産党ホームへ「しんぶん赤旗」へ


著作権 : 日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp