日本共産党

2003年2月3日(月)「しんぶん赤旗」

不破哲三著『マルクスと「資本論」(1)――再生産論と恐慌・上』まえがき

<転載>


 本書は、雑誌『経済』に連載された論文「マルクスと『資本論』 再生産と恐慌」を、著者の不破哲三氏が全体にわたって整理・加筆の手をくわえ、上中下三巻にまとめて刊行するものですが、第一巻には、著作全体についての「まえがき」が載せられています。恐慌論は、資本主義の矛盾と破たんのもっとも鋭いあらわれを分析したもので、『資本論』の核心をなすものです。「まえがき」には、この恐慌論に著者が永年にわたって問題意識をもちつづけ、マルクスが『資本論』でやり残した仕事でもあるこの「空白」部分の探究に挑む道程が簡明に描かれていて、社会科学研究のあり方のうえで、内容に富んだものがあります。著者と出版社の了解をえて転載します。

(一)

 本書『マルクスと「資本論」――再生産論と恐慌』は、雑誌『経済』に二〇〇二年一月号から一〇月号まで連載した同名の論文を、仕上げと整理、補筆の作業をおこなって、全三巻にまとめたものです。

 上巻では、『ロンドン・ノート』のなかの小論「省察」を起点として、『五七〜五八年草稿』および『六一〜六三年草稿』の二つの草稿が、研究の対象になります(連載の一〜四月号)。

 中巻では、いわゆる『六三〜六五年草稿』、すなわち、『資本論』第二部第一草稿と第三部草稿の研究が主題です(連載の五〜七月号)。

 下巻では、現行『資本論』の第一部と第二部(草稿としては、第二草稿〜第八草稿)――『資本論』執筆の最後の段階の研究で、結びとして現代の問題にも論及しました(連載の八〜一〇月号)。

 今回の研究は、「再生産論と恐慌」という一つの主題を、かなり長期にわたる連載で追究したため、執筆してすでに発表した部分に、そのあとで論究の不十分なところを発見したり、『六一〜六三年草稿』のマルクスの執筆順序などで新たな知見を得たりしたところがあるなど、いくつかの点で、補筆の必要を感じていました。また、雑誌連載の性格上、あまりに細目に入ることを恐れて、検討を割愛した問題もありました。

 今回、まとめるにあたっては、全体にわたって、加筆・整理の作業をおこない、まとまった補論としても、「マルクスは『六一〜六三年草稿』をどういう順序で執筆したか」(上巻)、「〔第三部〕『第二五章 信用と架空資本』――マルクスの草稿の原型を復元する」(中巻)、「信用論の第三三章〜第三五章の編集について」(同)などを、書きくわえました。

 また、下巻の最後には、「T マルクスの、『資本論』の準備と執筆にかかわる年譜」、「U 『再生産と恐慌』・総目次」、「V 人名索引」、「W マルクス、エンゲルスの文献索引(『資本論』とその準備草稿をのぞく)」を作成・収録しました。

 若干の説明をくわえますと、「T」の年譜は、マルクスの経済学への取り組みと経済学ノートや諸草稿、『資本論』原稿の執筆、それを発展させる構想のいきさつ、その過程でのエンゲルスその他との経済学の問題をめぐるやりとり、その研究成果の実践活動への反映(国際労働者協会)などが、包括的に分かるものにすることを志しました。また、『エンゲルスと「資本論」』をふくめ、私のこれまでの研究と重ね合わせ、そこで提起した問題の理解の助けとなることに、主眼の一つをおきました。その意味では不破流の年譜となっていることをご了承ください。

 「U」は、三巻の全体にわたって研究の道筋を見やすくするという意味で、まとめたものです。あれこれの問題を、どこでどういう順序で検討してきたかを見るときに、参考にしていただければ、ありがたいと思います。

 「V 人名索引」では、そのなかの経済学者の項目で、一つの新しい工夫をしました。それは、その人物の著作で、マルクスが研究したり読んだりしたものは可能なかぎり書き出し、マルクスがその著作について、いつの時期のどのノートで抜粋をつくったかを書きこんだことです。マルクスの経済学研究の歴史を読んでゆく上で、参考になればと考えたからです。

 最後に言えば、私の心づもりでは、この研究は、『マルクスと「資本論」』についての研究の最初の部分をなすものです。今回の研究は、『資本論』とその準備草稿の全体にわたったとはいえ、主題としては、「再生産論と恐慌」の問題での理論形成の過程を探究するという問題にしぼっての研究でした。『資本論』にまとめられたマルクスの理論展開のなかには、私として、今後研究したいと思っている多くの問題があります。実際に、そのうちのどれだけを現実に研究の対象としうるかは、もっぱら私の努力のいかんにかかることで、予告できるものではありませんが、自らを励ます意味もこめて、その心づもりをあえて書き添えた次第です。

(二)

 本書の主題は、いまも述べたように、マルクスの恐慌論を、その形成の歴史を追い、まだ書かれなかった部分への推測的な展望もふくめて探究することにありましたが、この主題には、実は、私が多年にわたって抱いていた二重の問題意識が結びついていたのです。

 一つは、恐慌論そのものにかかわる問題です。私が、マルクスやエンゲルスの文献に親しみはじめたのは、戦後、旧制高校に入って間もない頃でした。最初に読んだのは、薄い小冊子版の『共産党宣言』で、たしか戦前の堺利彦訳を復活させたものだったように記憶しています。そこでの資本主義批判で、もっとも鮮明に描き出されているのが、恐慌問題でした。「ブルジョア社会は、自分で呼び出した地下の悪霊をもはや制御できなくなった」、「商業恐慌」は「周期的にくりかえし襲ってきて、ブルジョア社会全体の存立をますます威嚇的に脅かす」などの文章からは、きわめて鮮烈な印象を受けたものでした。

 間もなく、長谷部文雄氏訳の新訳『資本論』(日本評論社、第一分冊・一九四六年刊)がはじまり、早速、それに飛びついて、たどたどしく読みはじめましたが、関心の中心は、やはり恐慌論を理解したい、という点にありました。このあたりが、私の『資本論』との触れ合いのはじまりで、その後も、『資本論』を手にとる度に、恐慌論を意識して読むのですが、マルクスの恐慌論を腑に落ちるところまで読みとるということは、私にとってたいへんな難題でした。

 あれこれの角度から恐慌問題にふれた一つ一つの命題は、なんとか分かるような気がしても、恐慌論の全体像はどうしても描ききれません。当時は、再生産論や市場の理論についてのレーニンの著作が、再生産論と恐慌論を結びつける指針となるとされ、この角度からこれを高く評価する意見があり、なるほどと思ったこともありましたが、しかし、詰めて考えてみると、そこにも疑問が残ります。その思いは、「恐慌論」についての名著といわれた内外のあれこれの研究書を読んでも、結局は満たされないで終わりました。

 ここに、今回の研究につながる、若い頃からの問題意識の流れの一つがあったのです。

 もう一つの問題意識は、『資本論』の準備草稿にかかわるものです。私が一九五三年に大学を出て、鉄鋼労連という労働組合の書記局に入り、組合の仕事に専従している時期に、マルクスの『五七〜五八年草稿』が、『経済学批判要綱』という表題で、大月書店から出版されました(第一分冊は一九五八年、最後の第五分冊は一九六五年刊行)。この草稿が、ソ連と東ドイツで出版されていたこと((注))は、かなり前から話題になっており、『資本論』好きの友人のあいだでは、『グルンドリッセ〔要綱〕』というドイツ語名で呼ばれていましたが、その現物が日本語で読めるようになったのは、私にとっては、一つの感激的な事件でした。

 (注)『五七〜五八年草稿』は、最初は、モスクワで、『経済学批判要綱』の表題のもと、一九三九年に本巻、一九四一年に補巻と二巻に分けて出版されました。その次が戦後の東ドイツで、一九五三年に、マルクス生誕一三五年、死後七〇年を記念して出版されたのです。

 しかし、手にとってみると、きわめて難解な、きわめて読みにくい書物でした。編集者が、目次的な項目をつけて一応の順序だてはしてあるものの、マルクスが自由に考察をめぐらせ、考察の主題も自由に変転させながらの草稿です。組合本部に通う往復の電車のなかで、傍線や書きこみをしながら、ともかく目を通すのですが、さきの見通しのきかない深い山の中を、地図をもたずにさまよっているような印象でした。それでも、“あ、ここは、ひょっとすると、『資本論』のこういう考えの糸口になったのか”と感じられる箇所にぶつかって、奥山からある程度勝手のわかる人里に出てきたような思いをすることもあれば、前後の脈絡はうまく読みとけないものの、いままで触れたことのない新鮮な命題に行き会って、マルクスの思想の新しい側面を知った喜びを感じることもあります。全体を理解するだけの力はなかったものの、マルクスの思考の発酵過程の記録として、重い印象を刻まれた本であったことは間違いないことでした。

 そういうなかで、『五七〜五八年草稿』よりはるかに大部の草稿『六一〜六三年草稿』なるものを書いたというマルクスの『資本論』執筆の歴史も、おぼろげながら、頭に入るようになりましたが、当時は、『六一〜六三年草稿』が具体的にどんなものであるかは、知るすべはありませんでした。

 それでも、いつかは、『五七〜五八年草稿』から『六一〜六三年草稿』を経て『資本論』にいたる道程を歩いてみたいものだという志も、ほのかではあるが、私のなかに芽生えていたように思います。

 期待の草稿『六一〜六三年草稿』が、日本語で出版されはじめたのは、『五七〜五八年草稿』の刊行が終わって一三年たった一九七八年のことでした。その背景には、一九七五年からはじまった新『メガ』の刊行がありました。新『メガ』は四部編成で、その第二部を『「資本論」およびその準備労作』にあてることになり、一九七七年に『五七〜五八年草稿』の第一分冊と『六一〜六三年草稿』の第一分冊の刊行が並行してはじまりました。それを受けて、大月書店が、一九七八年から『マルクス資本論草稿集』の刊行を開始したのです。最初に発行されたのが、待望の『六一〜六三年草稿』第一分冊でした。最後の第六分冊の発行は一九九四年でしたから、『六一〜六三年草稿』全六分冊の刊行は足かけ一七年にもわたったことになります。

 大部の草稿ではありますが、早い時でも一年に一分冊、最後の分冊などは一〇年もの間(あいだ)という断続的な発行ぶりでしたから、例によって往復の車などのなかで、一冊出るごとに目を通しました。しかし、内容は、『五七〜五八年草稿』以上の難解さです。第一分冊は、『資本論』第一部前半部分の元原稿にあたるわけで、割合読みやすかったのですが、第二分冊以後は、「剰余価値に関する諸学説」と題する学説史的研究が延々と続きます。そのなかから、合理的な核心をつかみだすことは、至難の業というべきことで、車中で目を通すなどというやり方では、とても手に負えるものではありませんでした。

 それでも、ともかく読むだけは読み終えましたし、一度読んだあとも、『五七〜五八年草稿』や『六一〜六三年草稿』の、その時どき興味をひかれる部分に立ち戻ることは何度もありました。さらに、『六一〜六三年草稿』の刊行の途中に、同じ大月書店から出た『資本論』第二部第一草稿『資本の流通過程』(一九八二年)も、興味津々のたいへん刺激的な草稿でした。

 しかし、いろいろな点で理論的な刺激を受け、多くの興味をかきたてられながらも、それ以上の立ち入った研究に取り組むことは、この時期には、考えもおよばないことでした。それには、それだけの問題意識の成熟が必要だったし、それに取り組むための私なりの覚悟が必要だったのです。

(三)

 いま見てきた二つの問題意識が、一つに合流するきっかけを得たのは、一九九五年、エンゲルス没後一〇〇年を記念して、『エンゲルスと「資本論」』という研究をはじめたことからでした。この研究では、マルクスとエンゲルスとの交流・共同の追跡に主軸をおき、『資本論』についても、エンゲルスがどう関わってきたかの歴史を主に取り扱ったのですが、そのなかでは、一八四〇〜五〇年代の経済学ノートにはじまるマルクスの経済学研究の長期の過程、それをふまえて執筆され年代ごとに層をなして積み重ねられた諸草稿、さらには、全三部の最初の草稿を一応書き上げたあとの「仕上げ」のための努力、そして、新しい構想をもって『資本論』の新たな発展をはかろうとする最後の準備など、『資本論』の準備と執筆にかかわるマルクスの努力の全過程を、いやおうなしに研究することになりました。こうして、エンゲルスを歴史の主題にすえながら、『資本論』の歴史そのものを系統的に研究する機会を得たことは、大きな収穫で、私自身の理論的な関心のなかでは、マルクスの理論の形成・発展の過程を追究する課題が、いままで以上の迫力をもって浮かびあがってきました。

 雑誌『経済』の一九九七年四月号で『エンゲルスと「資本論」』の連載が終わったあと、続いて『レーニンと「資本論」』の研究に移り、その年の一〇月号から連載をはじめました。新たな転機がそのなかで訪れました。この連載の二回目と三回目に、レーニンの再生産論と市場理論を(第二回「市場問題と『資本論』第二部」、第三回「市場論争――第三部をふまえて」)、さらに四回目と五回目には、レーニンを批判したローザ・ルクセンブルクの『資本蓄積論』を取り上げたのです(第四回「実現論争・後日談――ローザの『資本蓄積論』」、第五回「実現論争・後日談――社会主義社会の再生産表式」)。

 この時、再生産論、市場理論にかかわるレーニンの全文献を、当時の論争の脈絡のなかにおいて、正面から研究しなおしました。その結論は、私自身のこれまでの常識≠くつがえすものでした。レーニンが、一連の論文で、『資本論』第三部の恐慌論にかかわる諸命題を多く引用していることから、これらの論文は、再生産論と恐慌論を結びつけるものとして読まれることが多かったし、私自身も大まかにそういう理解でいたのですが、あらためて研究してみると、レーニンがそこで論じている主題は、ロシアで資本主義的生産様式が発展の可能性をもつかどうかという、ナロードニキとの論争の中心問題であって、恐慌論についてのレーニン自身の見解は、そこには何ら示されていない、ということが分かったのでした。さらに、恐慌論自身については、レーニンの論究はあまり多くはないのですが、ナロードニキとの論戦のなかでのある論文で、恐慌の根拠を「生産と消費との矛盾」に求める見地を、非マルクス的な誤りとして批判しているところに出会いました。レーニンは、その後、この見解を繰り返すことはしませんでしたが、この批判は、明らかにレーニンの勇み足≠ナ、マルクスの見地とは矛盾するものでした。

 私が、『資本論』でのマルクスの恐慌論の展開に、一種の「空白」があるということを、そういう形で強く意識したのは、この時でした。ローザの『資本蓄積論』についての引き続く検討のなかで、彼女の『資本論』第二部批判につきあって、拡大再生産論における試行錯誤をあとづける仕事もやりました。

 レーニン研究のこの過程で、恐慌論の「空白」を埋めることが、私の最大の関心事の一つとなりました。そのためには、年来おぼろげに頭に浮かべていた、マルクスの理論形成の過程を諸草稿を通じて追跡するという課題に、思い切って取り組む必要がある、その追跡のなかで、恐慌論にせまってゆくマルクスの問題意識が、私たちが現在『資本論』から読み取っているものよりも、より広い視野と角度から必ず浮かび上がってくるし、私が感じている「空白」を解決する道も、そのなかから必ず切り開かれるはずだ――こう考えて、一九九七年はじめ、『レーニンと「資本論」』の連載の執筆と並行して、諸草稿を読み解く仕事に、思い切って挑戦したのです。『資本論』の全体的な歴史を追究するのではなく、恐慌論、再生産論にしぼって理論の形成過程を探究するというこの問題設定は、結果論的にいうと、たいへん的確だったと思います。

 『五七〜五八年草稿』にしても、『六一〜六三年草稿』にしても、最初に読んだときには、地図をもたないまま、奥深い山をさまよっている気持ちだったと述べましたが、恐慌論および再生産論という対象を正面にすえて取り組むと、かつては道なき山と見えたところに、マルクスの思考の展開の筋道が浮かび上がってくるのです。その筋道は坦々としたものではなく、試行錯誤の繰り返しや迷路への迷いこみなども出てきますが、それは、これまでの経済学の全体を変革した科学的経済学の生みの苦しみそのものを表すものであり、曲折する思考の展開の節目の一つ一つを読み解くたびに、マルクスの問題意識がより活き活きと伝わってくる思いがしたものでした。そして、『五七〜五八年草稿』を読み、『六一〜六三年草稿』へ進み、そこで得たマルクスの問題意識を頭において、『資本論』第二部第一草稿へと読み進むなかで、恐慌問題への運動論的な接近、それが必要とする運動形態の探究という新しい視点が、一筋の糸となって現れてきたのでした。

 実は、こうした探究のなかで、まだおぼろな形ながら、「空白」を埋める方向づけをとらええたように思った時、私は、その時点での研究の成果を、試論的にまとめてみる仕事に取り組みました。一九九八年の二〜三月のころでした。雑誌に連載したら四回分ほどに当たる論考でしたが、これを書き上げてみると、自分の考えのどこが足りないか、マルクスのどこをさらに研究する必要があるのか、今後の研究の指針となる新しい地図≠ェ、いちだんとはっきりしてきました。なかでも、マルクスの問題意識を探究してきた立場で、その角度から、現行の『資本論』そのものを読み直すことが、とりわけ必要なことをあらためて痛感しました。

 そこで、この研究は当面わきにおいて、『レーニンと「資本論」』の続稿への取り組みを続けましたが、これが、予期した以上の長編となって、一九九七年一〇月号から二〇〇一年四月号まで、四三回におよぶ連載となりましたので、マルクスの足跡を正面から本格的に探究する仕事は、それ以後のことになりました。

 こうして、二〇〇二年一月号からの『マルクスと「資本論」――再生産論と恐慌』の連載がはじまったのでした。

 考えてみると、エンゲルス没後一〇〇周年に『エンゲルスと「資本論」』の筆をとってから、すでに七年以上がたちました。二〇世紀の末から二一世紀のはじめにかけての世紀的な転換の時期に、『エンゲルスと「資本論」』、『レーニンと「資本論」』、そして『マルクスと「資本論」――再生産論と恐慌』へと連続的な研究を積み重ねてきて、多年の宿題をある程度果たすことができ、私自身のマルクスへの認識を一歩ではあるが深めることができたことを、うれしく思っています。

(四)

 今回の『マルクスと「資本論」――再生産論と恐慌』は、私と妻七加子と、私たち夫婦のちょうど結婚五〇周年の記念の年に出すことになりました。

 私たちの婚約は私が一九歳だった一九四九年の秋、結婚は一九五三年の三月で、大学卒業とほぼ同時でした。結婚に先立つ三年あまりの婚約時代に、二人のあいだを往復した手紙を読みかえしてみると、ひと言ひと言がいまも思い出と結びつく若い愛情の表現と、自分たちが選んだ社会変革の道を生涯歩き通そうといった意思表明とが、交じり合って文面にあふれている――時代の反映がそのあたりにも色濃く表れた青春でした。なかには、“これからの生涯のあいだにこうむるであろう悪罵や攻撃”を予想してそれに屈しない決意を語るといった、健気な、そしてある意味では予見的ともいえる文章もありました。

 そこから出発して、一九五三年以来の半世紀を、夫婦として、また日本における科学的社会主義の事業の参加者として、一筋に共同して生き抜いてきたことには、重い感慨があります。

 半世紀といえば、誰にとっても、一つの巨大な歴史です。私たち二人にとっても、それは、若い時代の予想を越えた波乱と激動が文字通り連続した半世紀でした。そして、その波乱と激動を確信をもって生き抜いてきたのも、たがいにこの共同があってこその歴史でした。

 ともに歴史を生きてきた半世紀をふりかえり、今後とも、一筋の道を歩いて新しい歴史に挑戦する共同の意思をこめて、この本を、私たちの結婚五〇周年の記念の書とすることを、お許しいただきたいと思います。

  二〇〇三年一月 不破 哲三


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