日本共産党

2002年12月19日(木)「しんぶん赤旗」

代々木『資本論』ゼミナール

不破議長の結びの講義

(要旨)


 このゼミナールもいよいよ最後の回を迎えました。いま、六人の方の感想をうかがいました。また、現在までに百八十通を超える感想が寄せられており、全部目を通しました。何回か『資本論』を通読したという方もいれば、初めて手にとったという方もおられるなど、さまざまな方が一堂に会しての講座でした。しかし、どの感想を読んでも、それぞれなりに得ることがあったといわれているのが、講師としてたいへんうれしいことでした。

受講者の感想で共通していた3つのこと

 感想のなかで、次の三つの点はほぼ共通していました。

 一つは、『資本論』という膨大な森の、あらましの地図がわかった。どう歩いたらいいのかがある程度わかった。

 もう一つは、『資本論』が経済学一本やりの本ではなく、科学の全般に目をわたらした本であり、なかでも、社会主義、共産主義の問題について、一番、突っ込んで論じた本だということがわかった。

 三番目には、とにかく縁遠い本だと思っていた『資本論』の魅力とか、マルクス、エンゲルスの親しみやすさとか、この森にわけいることの楽しさが感じられてきた。

 これは、これからの勉強で非常に大事な足場だと思います。この足場をふまえて、理論や学説を自分のものにする仕事にとりくんでほしいと思います。

「赤旗まつり」の“カルチャーショック”の一つにも

 党の中心的な活動家が、『資本論』の研究に集団でとりくんでいる。こんな共産党は、現在、世界にありません。わが党自身の歴史のなかでもかつてなかったことです。そしてそのことが、いま、日本の政党状況のなかで、日本共産党を見る目の大事な一つになっているということも、重要なことです。

 第五回中央委員会総会の報告で志位委員長が、初めて赤旗まつりにきてカルチャーショックを受けた政治ジャーナリストの話を紹介しました。実は、そのカルチャーショックで、一番のものの一つが、「代々木『資本論』ゼミナール赤旗まつり教室」だったのです。彼はこういっています。

 「不破議長が語る『資本論』ゼミナールをのぞいた。広い体育館にいっぱいの人で床に腰を下ろしてメモを取りながら聞いている。車座になって不破議長の講義に黒山の人が聞き入る会場を目の当たりにして、ほかの党がマネできない共産党の底力はこれだなと感じた。他の政党がマネしようと思ってもマネできないことだ。共産党の強さの秘密を知った思いだ。これは強烈な印象だった」

 政党が「だらしない」といわれている中で、こういうことをきちんとやっている政党があることにカルチャーショックを受けているわけです。

 われわれがこの一年間苦労してきたゼミナールも、そういう日本の政治の中での位置付けを持っていることを、私たちの共有財産にしたいと思います。

“マルクスをマルクス自身の歴史のなかで読む”

 このゼミナールでは、“マルクスをマルクス自身の歴史の中で読む”、“『資本論』も『資本論』自身の歴史の中で読む”、この姿勢を貫いてやってきました。再生産論とか恐慌論は、このゼミナールと並行して、私の研究を『経済』に連載しましたから、歴史の中で読むという姿勢を、かなり豊かに説明することができたと思います。

 ほかの主題についても、私自身のいまの到達点にもとづいて、それぞれの分野なりにどんな歴史があって、マルクスの到達点がどんなものかを話しました。マルクスが迷い込んだり失敗したり、嘆きの言葉を思わず書き付けたり、そういうことについても、私自身が感じていることを含めて、大胆、率直に話しました。

 実際『資本論』には、マルクスの試行錯誤の足取りも書かれていますし、ときには試行錯誤のままで終わった部分も残されています。今後研究すべき問題点もあちこちにあります。

 だからといって、マルクスはたいしたことはなかったなどと考えた人は、一人もいなかったのではないでしょうか。そういう点をリアルに見ることによって、マルクスがやりとげた仕事の偉大さがいっそう具体的にわかり、マルクスの経済学が現実に迫る太い迫力を持っていることを、より確信的につかんでいただけたのではないかと思います。

 マルクスの理論は精密ではありますが繊細ではないんです。経済の仕組みを太いところでとらえる、そういうところに私は強さがあると思います。だからこそ十九世紀の資本主義を研究したものでありながら、二十世紀、二十一世紀のより高度に発達した資本主義を研究する力を持ちうる。そこを私はよく見たいと思います。

マルクスは人類史のあらゆる時代にどん欲な関心をもちつづけた

 私は最初の講義のときに、『資本論』は唯物論の本であり、弁証法の本であり、史的唯物論の本だといいました。これについては、いくら紹介してもし足りません。

 マルクスは、一八八三年に死ぬわけですが、その前年に、病気療養で各地を転々としていた間にも、ヨーロッパの歴史の本を読みふけって、紀元前一世紀から十七世紀まで、ヨーロッパ各国の歴史を一つの年表にして、四冊のノートをびっしりうずめています。印刷したら千六百八十ページ分におよぶ量だといわれますが、これは『資本論』の一部と三部の本文をあわせたほどの分量です。病気で『資本論』の研究にも手がつかないときに、『資本論』二冊分もの年表をつくってしまう。

 それぐらい、人類の歴史のあらゆる時代にどん欲な関心を持ちつづけたマルクスが、うんちくを傾けながら書いたわけですから、『資本論』の中で、いろいろな歴史の見方や史的唯物論の定式をまとめている部分などは、たいへん意味が深いのです。

人類史の発展を見定めての未来社会論

 私はまた、最初の講義で、『資本論』というのはマルクスが社会主義、共産主義論を一番、成熟した段階でのべた本だといいました。そのことが、第一部から第三部までずっとつらぬかれていることは、その時々の講義でお話ししたとおりです。

 しかも、その未来社会論が、青写真づくりじゃないというところが非常に大事です。

 生産手段というのは、人間が自然にはたらきかける大事な手段ですが、それを、いまは個々の会社や個人が持っている、こういう段階はやがて過去のものになって、社会そのもの、人間の共同体そのものが直接それを握って動かす社会になる――こういう大きな方向を、マルクスは、人類の歴史の発展の流れとして明らかにしました。

 しかし、それがどんな形で実現されるのかとか、青写真を決めつけ的にのべた文章は、『資本論』の中に一つもありません。

 『資本論』ではまた、未来社会について、「共産主義社会」という言葉は出てきますが、「社会主義」という言葉はほとんど出てきません。

 マルクスやエンゲルスが共産主義運動に参加したころは、「社会主義」というのは、あまりよい流れではなかったのです。下手な青写真をつくって宣伝したり、ブルジョア的な改革家が「社会主義」を名乗ったりしていました。だから、本物は共産主義だと、『共産党宣言』でズバッと打ち出したわけですね。

 ところが、一八六〇年代、『資本論』が出たあとから、各国で政党ができはじめると、社会主義労働党とか社会民主労働党とか、「社会主義」という名前を名乗りはじめました。ですから、その段階では、たとえばエンゲルスの『空想から科学へ』でも『反デューリング論』でも、「社会主義」という言葉で未来社会を論じるようになりました。

 しかし、『反デューリング論』や『空想から科学へ』を読んでも、低い段階が社会主義で高い段階が共産主義だという言葉の使い分けはありません。「共産主義」で未来社会の全段階をあらわす場合もあれば、ある場合には「社会主義」で未来社会の全段階をあらわす、こういう用語法です。これも、『資本論』を読むときに頭に置いてほしい問題です。

「赤旗まつり」での話への補足――「結合された生産者たち」の問題

 その未来社会でだれが生産手段を持つのか。私が赤旗まつりで『資本論』には国家が生産手段を所有するということが一言も出てこないと話しましたら、驚きの感想を寄せられた方がかなりいました。

 赤旗まつりで話したこのことの補足をしておきますと、生産手段を持つのは「結合された生産者たち」であって、「結合した生産者」ではない、というところが大切です。つまり、いままでバラバラだった労働者が革命をやってから自覚的に結合したということではなく、現に「結合されている生産者」という意味です。

 機械制工業になればとくにそうですが、生産手段が共同でしか使えない生産手段になってきて、協働が当たり前になる。生産者がいやおうなしに結合させられる。

 資本主義社会のもとでは、その結合させられた生産者たちが、集団として資本家に使われるわけです。そうではなく、結合された人たちがみずから生産を握るようになる。これが資本主義から社会主義への変化だということをマルクスは非常に強く意識しながら書いています。

 訳語は同じ「結合された」ですが、原語では、資本主義の段階の結合(コンビニールテ)と、社会主義の段階での結合(アソツィールテ)とは、用語も発展させられているのです。そういう点で、「結合された生産者」というのは大事な概念なんです。

社会主義論では、“旧ソ連をどう見るか”が大事

 『資本論』の中の社会主義・共産主義論というのは、実は長いあいだほとんど研究されずにきました。

 なぜかというと、ソ連ができたからです。『資本論』でわざわざ社会主義・共産主義を勉強しなくても、現物がここにあるというわけですね。ところが、そのソ連が、実態的には、社会主義や人間解放とは無縁の、人間抑圧型の社会だったのです。このソ連を社会主義の現実だとする見方が、社会主義のイメージをゆがめたことは、たいへん大きなものがありましたし、理論の上でも世界的にたいへん有害な影響をあたえました。

 ソ連の崩壊というのは、そういう点でも、社会進歩に対する世界史的意味を持つ貢献だったと私は確信しています。

 いまでも、ソ連が人間抑圧型の社会であったことは認めもするし批判もするが、国有化があり計画経済があったんだから、その面では社会主義じゃなかったかという議論は、かなり世界にあります。いわゆる「腐ってもタイ論」です。

 ソ連の社会体制が社会主義の反対物だったという結論を明確に出しているところは、世界の共産党のあいだでも、おそらくまだ少数でしょう。しかし、世界の社会主義運動が、この種の間違った考え方の枠組みにとどまっていたら、資本主義の危機がどんなにすすんでも、社会主義の事業が人民の多数の共感を得るということには絶対にならないでしょう。

 こういう点に、われわれの社会主義の問題についての理論的な達成とその活動の大きな意義があることも、『資本論』の勉強に関連して強調したいと思います。

 まつりの講義では、そのことの解明に一つの力点を置きました。

社会主義への前進とは、豊かな可能性に満ちた創造的な過程

 新しい社会をつくるという仕事は、設計図に合わせて社会をつくるという大工仕事ではありません。社会の多数の合意を絶えず確保しながら、新しい社会への道を一歩一歩前進するというのは、いろいろな選択肢を試したり、模索をしたり、試行錯誤も経験しながら、新しいものをつくりだしてゆく、そういう創造的な過程です。そのこと>を、マルクスは、あまり多くは論じていませんが、論じるときには、それだけの幅をもった展望をしめしているんですね。

 マルクス以後の時代的条件の変革には、巨大なものがあります。それだけに、私たちが、二十一世紀に資本主義から社会主義へという事業にとりくもうと思ったら、マルクスの精神、マルクスの目をつかむことが、いよいよ大事だということも、銘記しておきたいと思います。

『五七〜五八年草稿』についての質問に答える

 最後に、質問のいくつかに、お答えしておきたいと思います。

 講義でも何回か紹介した『五七〜五八年草稿』のことですが、そのなかに、将来、「労働が富の源泉であることをやめる」とか、価値論が意味を失うようなことが書いてある、これをどう理解したらいいのか、こういう質問が、二人の方からありました。

 たしかにマルクスは、そういうことを書いています。どういうことかというと、工場で生産の自動化がすすむのを見て、これがさらにすすんで、やがて、人間が直接手を動かさないでも、頭を使うだけで、生産ができる体制が生まれるんじゃないか、そこまで考えたのですね。そのときには、「労働時間が富の尺度であることをやめる」し、「価値を土台とする生産」ということも終わりになる、などと書きました。

 当時は、まだ工場では電気以前の蒸気機関の時代、自動車も飛行機も、もちろんコンピューターもない時代です。その時に、マルクスは、豊かな想像力をもって、そこまで考えたのです。彼にとっては、価値法則も歴史の産物であって、絶対不動のものではない。そこまで事態が発展したら、労働が価値の源泉だということはなくなると、そこまで考えたところが偉いところだと思います。

 しかし、これはあまりにも先のことですが、マルクスが議論をどこへ展開させていったかが、おもしろいところなんです。

 そういう時代になったら、人間はどうなるだろうか。どんどん生産力が豊かになっていって、人間の労働がそれほど必要でなくなったら、自分自身の発展のための自由な時間をそれだけ大きく持てる。これが人間の本来の発展じゃないかと。そこから現状にもどってきて、いまでも、労働時間を半分にしたら、残りの時間は個人の発達のために自由に使える、そういう社会をつくるのが当面の目標だ、と論じるのです。これが、前回見た『資本論』第三部の最後のところでの「自由の王国」論につながってゆきます。

 マルクスが、最初の草稿を書いたとき、そこまで自由に思考をめぐらし、それをヒントにして、壮大な自由論を展開する糸口をつかんだというのは、おもしろい展開だと思います。

今後の研究の方向は?

 私に関する三つの質問がありました。

 一つは、「マルクスと『資本論』」はいつ本になるのか」(笑い)。「マルクスと『資本論』」は、一つのテーマを追ったものですから、十回の連載を書くあいだには、多少は考えが発展するところがあります。ですから一回目の分からかなり書き直して、上・中・下の三巻にまとめ、上巻は来年の一月下旬に出し、つづけて二月、三月と出すつもりで用意しています。

 「ゼミナールの講義は本になるか?」。来年には本を出し始められるように、努力してみたいと思っています。

 三番目には、不破の次の研究テーマはなにか(笑い)。いろいろあるんですけども、講義のなかで見てきた草稿から『資本論』にいたるマルクスの文章ですね。こんど私は再生産論と恐慌にしぼっての研究をしましたが、このなかにはほかにもまだ発掘されていない宝が無数にあるのです。そうした探検的な発掘の仕事をつづけたいですね。

 それから、マルクス、エンゲルスの古典に『ドイツ・イデオロギー』という大作がありますが、これを本格的に研究した研究書というのは、あまりないのです。私は、十年ほど前にワープロで何十ページかの覚書をつくったことはあるんですが、まだ書くにはいたっていないので、少し時間があったらやってみたいと思っています。

安住は禁物、継続こそ力――今後とも銘記して励みたい

 このゼミナールは、参加のみなさんの最後までの頑強な努力とゼミナールを裏方で支えていただいた多くの同志たちの労苦によって成り立ったものでありまして、そのみなさんに心からの敬意と感謝の言葉をのべて、終わりにしたいと思います。(大きな拍手)

 ゼミナールを終わるにあたって、次のような「参加証」を用意しました。文章を読みます。

 「日本共産党の創立八〇周年の記念の年・二〇〇二年に、党中央委員会と都県・地区委員会の幹部・活動家が、約三〇〇人という規模で『資本論』全三部を読みとおした代々木『資本論』ゼミナールは、歴史的な壮挙でした。それが、一年間の課程を成功のうちに終了しえたのは、あなたの努力およびそれをささえてくれた多くの同志たちの協力の結実です。この参加証をもって、歴史的なゼミナールに参加したことの証とします。

 ゼミナールの成果は、『科学の目』の学習の途上での一歩です。科学に安住は禁物であり、継続こそが力だということを、今後とも銘記して、たがいに励みたいと思います」

 参加者のみなさんのお名前と私の名前を、つたない字でありますが、一人ひとり書かせてもらいました。(拍手)

 一月以来の一年間、本当に、ごくろうさまでした。みなさんの各分野でのご活躍を願って、このゼミナールを閉じることにします。(大きな拍手)


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