日本共産党

2002年12月2日(月)「しんぶん赤旗」

歴史学者、教科書検定裁判に半生

家永 三郎さん死去


 三十二年にわたる「教科書訴訟」で文部省検定の在り方を問い続けた歴史学者の元東京教育大教授、家永三郎(いえなが・さぶろう)さんが十一月二十九日夜、東京都練馬区の病院で死去。八十九歳でした。近親者のみで密葬を行います。

 一九一三年、名古屋市生まれ。三七年、東大国史学科卒。専攻は日本思想史と文化史。四四年から東京教育大の前身、東京高等師範学校に勤務し、七七年まで同大教授。その後、八四年まで中央大学教授でした。

 五二年から高校教科書「新日本史」(三省堂)を執筆。六二年度検定で計三百二十三カ所が不適当とされ、六五年六月に第一次訴訟を起こしました。実証主義の歴史家として、憲法の精神に沿った民主的な教科書作りを進めようとの立場から、第二次、第三次訴訟と合わせ「国民の教育の自由や表現の自由を侵害し、検閲に当たる」と検定制度の違憲性を訴え続けました。一連の訴訟は子どもの教育権の論議に大きな影響を与え、検定行政にも警鐘を鳴らしましたが、一次、二次訴訟とも家永氏敗訴。八〇年代検定の是非が争われた三次訴訟では、九七年八月の最高裁判決で「南京大虐殺」「七三一部隊」など計四カ所の検定意見の違法が確定し、訴えは一部実りました。

 『日本道徳思想史』『日本文化史』『太平洋戦争』『戦争責任』など多くの著作があります。

 家永さんは、第三次教科書裁判のさなかの九五年、「赤旗」日曜版のインタビュー(八月十三日号)に応じ、十五年戦争を「まちがいなく侵略戦争」と発言。九〇年の沖縄県知事選挙では、学者・文化人による革新統一候補の勝利の「訴え」の呼びかけ人になりました。


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