日本共産党

2002年10月26日(土)「しんぶん赤旗」

北京の五日間(39)

中央委員会議長 不破哲三

29日 深夜の王府井を歩く


王府井(ワンフーチン)のにぎわいを耳にして……

 ふたたび貴賓楼から北京飯店A棟への通路を歩いて帰る。

 明日は出発だから、トランクなどを明朝は空港に送り出せるよう、今夜中に荷造りをすませなければならない。しかし、今夜は、ともかく北京最後の夜、この四日間の印象など話し合ってみるかと、一行が私の部屋に集まった。

 忙しかったが、充実した四日間だった。部屋に備えつけの中国茶で口をうるおしながら、四方山(よもやま)の感想を語り合っているうち、それまで姿の見えなかった林さんが入ってきて「いま王府井(ワンフーチン)がにぎやかだ」という。王府井大街は、昼間は、百貨店や高層の大型店舗・書店などが立ち並ぶ北京随一のメーンストリートだが、夜は、夜店や屋台でいっぱいのにぎわいに一変するのだ、という。北京最後の夜はそこで過ごさなくては、と全員が街に出た。時間は午後十時を少し過ぎていた。

夜店と屋台と人波と

 パトカーも警備の人も、黒の公用車もなしの、自由な「機動」である。まず裏通りを歩く。とりどりの夜店と屋台が道の両側にぎっしりと並び、そのあいだを埋める人波である。店からは客を引く呼び声がしきり。緒方解説によると、「安いよ」、「うまいよ」、「買っていきなさい」等々だという。

 夜の繁華街といっても、東京の「夜の街」に間々あるような、退廃とか猥雑(わいざつ)とかいった雰囲気は、みじんも感じさせない。“かつては、東京にもこんな夜店風景があったな”と思わせる、なつかしさが漂う。

 王府井の大街に出ても、人、人、人である。昼間から営業している商店も、すべてが店を閉めているわけではなく、飛び飛びではあるが、開いている店も多いし、百貨店などのネオンも、街のにぎわいに一役買っているようだ。店に並べられているのは、多くは土産物的な商品だ。この人波も、北京の市民というより、大部分は、各地から北京に来ているお客さんたちなのだろう。

マンホール状の遺跡――地名の由来はここにあった

 歩道の途中に、マンホール状の鉄の蓋(ふた)があり、表面にぎっしりと文字が刻まれていた。昔、井戸があった遺跡で、それが「王府井」という地名の由来なのだそうだ。「王府」とは、清朝の皇族の邸宅だったという意味、その「王府」に飲み水を提供した専用の井戸の跡がこれだという。そこから生まれた「王府井」は、北京第一の繁華街の地名となっているのに、地名のもととなった井戸そのものは、通行人に毎日踏みつけられるマンホール型の遺跡となっているというのも、なんとなく愉快な対照だ。

 東長安街と交差する十字路に出る。東長安街の東側の南面は、食べ物の屋台が連なって、どこまで続いているのか、先が見えないほどだ。全国各地から、それぞれ自慢の食べ物を出しているのだとか。「安いよ」、「うまいよ」の声がいちだんと大きい。それにひかれて、わが一行も「餃子(ギョーザ)」にかぶりつくことになったのだから、威力は絶大である。

 そろそろ開いていた店も、戸を閉めはじめる時刻。では、われわれもと、一時間あまりの深夜の散策を終えて、宿舎で出発の準備にかかった。

 (つづく)

 


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