日本共産党

2002年10月25日(金)「しんぶん赤旗」

北京の五日間(38)

中央委員会議長 不破哲三

29日 王家瑞副部長とともに(下)


アフガニスタン問題は自分たちの“十字架”だという回答

 私がカストロ首相にただした第三の質問は、より深刻な意味を持つ問題――アフガニスタン問題だった。

 「あなたがたは、アフガニスタンにたいするソ連の軍事侵略を、どういう立場から支持しているのか」。私のこの質問には、カストロ首相は、実に苦悩に満ちた表情で答えた。「ソ連に要求されたからではない。これは、社会主義国として、われわれがになうべき“十字架”なのだ」。

 “十字架”という言葉の意味は、のちに日本を訪問したキューバの党の国際部長が説明してくれた。当時、キューバは非同盟諸国会議の議長国であり、その加盟国であるアフガニスタンにソ連があのような軍事攻撃をくわえたことで、キューバ自身が非常に困難な立場に立たされたのだ、とのことだった。

 以上のいきさつを私は、かいつまんで紹介し、「私は、その答えを聞いて、これらの問題に答えたカストロ首相の誠実さを、強く感じました」と結んだ。

 私自身は、隣にいる王家瑞さんの顔を見るわけにゆかなかったが、同行の人たちの話によると、カストロ首相に面とむかって三つの質問をぶつけたことにも、カストロ首相が正面からそれに答えたことにも、本当に驚きの表情を見せ、真剣に耳を傾けていたという。

チリ問題とイタリア共産党の右傾化

 王家瑞さんは、ふたたびチリの近況について語り、アジェンデ夫人はいまだに広く尊敬を受けているが、ピノチェトへの尊敬も別の階層のあいだでは強く、国を「二分」している様相がある、と語った。

 「国が二分している」という言葉から、私の頭にすぐひらめいたのは、チリのこの状態こそが、イタリア共産党の右寄りと変質への全経過の一つの出発点になったことだった。そして、ヨーロッパ情勢を理解する参考になればと思って、私は話した。

 ――イタリア共産党は、チリの民主連合政権が軍事クーデターで倒されたのを見て、イタリアで自分たちが「国を二分する」ような形で政権についたら、同じ悲劇が繰り返される、と考えた。

 ――そこから引き出されたのは、政権党であるキリスト教民主党との連合による政権をめざすという、「歴史的妥協」の路線だった(一九七五年)。その連合のために邪魔になる政策は取り除かなければならない、ということで、一九四九年のNATO発足以来一貫してまもってきた「NATOからの脱退」という方針も捨てた。

「歴史的妥協」でも、政権参加を許されなかった

 ――しかし、これだけ譲歩しても、地方自治体でのキリスト教民主党との連合がある程度できただけで、国政レベルでは政権への参加はできなかった。一九七八年にはキリスト教民主党と政策協定を結んだが、政権への参加は認められず、共産党が政策的に手をしばられただけの結果に終わった。

 ――この経過を見ると、チリの教訓だということで持ち出された「歴史的妥協」という路線転換が、その後のとどまるところを知らない右傾化と、ついには一九九一年の党解体にいたる出発点となったことは、明らかだと思う。

 私たちは、資本主義国で活動する共産党として、少なくとも主要な資本主義国で活動している諸党については、その足跡はいつも注意深く探究している。しかし、中国では、社会主義をめざす国の政権党として、資本主義各国の党の動きのそこまでたちいった追跡はやっていない様子だった。それだけに、イタリア情勢の基本にかかわるこの歴史情報の提供にも、大きな興味を示してくれた。

 こんな調子で話しているうち、「会見と宴会」方式の三時間はあっという間に過ぎた。(つづく)

 


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