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政策

日本共産党のかかげる政策をご紹介します

67、教育

世界最低水準の教育予算をふやして教育条件を改善し、競争と管理の教育を改め、子どもも教職員も保護者も希望のもてる教育へ

2024年10月

 教育の主人公は子どもです。教育は、子どもの「人格の完成」をめざし、その尊厳を尊重しながら発達を支える営みです。教育は子どもの権利であり、教育の機会は平等です。教育は、子どもが「社会の形成者」に育つことを通じ、人権や平和など人類の理想の実現と結びついています。

政治は、こうした教育に二つの責任をおっています。一つは、教育条件の整備です。いま一つは、お金は出しても口は出さず、教育を不当に支配しないことです。学問的な知見を生かし、子どもとの人間的交流を通じて行われる本質から、教育には自由と自主性が不可欠だからです。

しかし、自民党の教育政策はどうでしょうか。

教育予算の水準(公教育費の対GDP比)はOECD諸国で下から二番目、OECD平均の7割しかありません。その結果、世界に例がないような高学費や多人数の学級など、日本の教育条件は劣悪です。

その一方、教育を数値で評価し競わせる競争主義を導入してきました。国連・子どもの権利委員会は「極度に競争的な教育制度が子どもに発達の障害をもたらしている」と繰り返し指摘しています。最近では全国知事会で「都道府県で順位をつけても意味がない」と全国学力テストに疑問の声があがりました。さらに、上位下達の学校運営などの教員統制や、子どもを権利の主体でなく、管理の対象とみるような管理主義を広げてきました。

こうした教育政策は子どもにとって大きなストレスです。不登校の急増は、そのあらわれではないでしょうか。競争と管理を加速させた安倍政権(2012~2020年)の8年間で、それまで横ばいだった不登校の割合は倍増しました。コロナ危機での科学的根拠のない「いっせい休校」に、学校再開後の学習の詰め込みも加わり、いまでは約30万人(小中学校)の子どもが不登校です。

教職員の疲弊も深刻です。教職員定数をふやさずに多くの業務を行わせた結果、教員は一日平均11時間半という異常な長時間労働です。そのために「教員不足」もとまりません。国が教員に必要な自由や自主性を奪ってきたことも疲弊を加速させています。

日本共産党は、自民党の教育政策を転換し、子どもも教職員も保護者も希望のもてる教育へ、憲法と子どもの権利条約を生かして、以下の政策の実現に力をつくします。

大学学費半減、給食費無償化、私立高無償化など教育費負担を大幅にへらす

教育は憲法が国民に保障する基本的人権であり、どんな経済的環境に生まれてもお金の心配なく教育を受けられる国にすべきです。それは、重い教育費負担を減らして国民のくらしを守る上でも、「教育は権利」という民主主義の原則を実現していく上でも、大切な課題です。私たちは教育費の完全無償化をめざし、当面、以下のように教育費負担を大幅に減らします。

大学・短大・専門学校の学費を半額に―――学費ゼロの国をめざし、当面、国の負担によってすべての大学・短大・専門学校の学費を半額にします。日本政府は2012年に〝高校教育と大学教育を段階的に無償にする〟という国際人権規約(A規約13条2項b及びc)を批准しました。しかしそれから12年、自公政権は〝段階的に無償にする〟という約束を反故にし続けています。ヨーロッパは多くの国で学費は無償か年10万円以内です。しかも多くの学生に返済なしの給付制奨学金を支給しています。こうした施策はその国の経済を強くする役割も果たしています。

入学金制度の廃止―――国の負担で入学金制度をなくします。高額の入学金を入学しなくても返金しないということはあまりに不合理です。

奨学金の拡充―――「自宅4万円、自宅外8万円」の給付奨学金を75万人(現在の奨学金利用者の半数)が利用できる制度をつくり、拡充していきます。すべての奨学金を無利子にします。奨学金返済が困難になった場合の減免制度をつくります。

「高校無償化」の拡充―――私立高校の負担の軽減をすすめ、高校教育の無償化をすすめます(詳しくは「私立学校への公的助成の拡充」)。公立高校の授業料無償化の所得制限をなくします。教科書や授業に必要なタブレットを無償化します。通学費も無償をめざします。

給食費、教材費の無償化―――国会質問で給食無償化「義務教育は無償」を定めた憲法26条にそくして、学校給食や教材費の無償化をすすめ、義務教育を完全無償にしていきます。

就学援助の拡充―――就学援助制度は経済的な困難をかかえる子どもに義務教育を保障するための命綱です。ところが、「子どもの貧困」が深刻なときに、自公政権は制度への国庫負担を廃止し、各地で就学援助の縮小を引きおこしました。国庫負担制度をもとに戻し、対象を生活保護基準×1.5倍まで広げ、支給額も増額するとともに、利用しやすい制度にします。教育扶助(生活保護)の額も同様に引き上げます。

朝鮮学校への無償化措置の適用―――自公政権は、「高校無償化」や「幼保無償化」の対象から朝鮮学校を排除してきました。しかしこれは、”内外人平等”の国際人権規約などに違反した差別的な施策です。2019年には国連・子どもの権利委員会からも是正勧告を受けています。朝鮮学校に無償化措置を適用します。

30人学級の実現など教育条件の整備をすすめる

日本共産党はコロナ危機に際して「子どもたちに少人数学級をプレゼントしよう」と提案し、国民のみなさんと力をあわせ、小学校35人学級を実現しました。同時に、小学校35人学級も20人台が当たり前の欧米諸国と比べれば大きすぎ、中学高校はいまだに40人学級のままです。少人数学級をはじめ様々な教育条件の整備をすすめます。

小中高の少人数学級化―――本格的な少人数学級は、子ども全員が主体的に参加するなど授業のありかたを変える、学級の雰囲気が落ちつき安心が広がる、インクルーシブ教育への可能性がうまれるなど、教育に新しい可能性をもたらします。中学・高校を早急に35人学級にするとともに、将来は小中高すべてで20人前後の学級となるよう、少人数学級を段階的に推進します。

クーラー設置、トイレなど学校施設の整備―――学校施設は、子どもたちの安全や健康はもとより、地域の避難所、防災拠点ともなることからも、①非構造部材を含む耐震化、 ②遅れている体育館や特別教室などのクーラー設置、③トイレの洋式化、④老朽化校舎の整備、⑤避難所・防災拠点として必要な水や燃料、毛布などの整備、⑥エレベーター設置などのバリアフリー化などをすすめます。そのために、学校施設整備の予算を増額し、補助率と補助単価を引き上げます。

学校給食の充実―――無償化ととともに、安全で豊かな学校給食のために給食の地産地消、自校方式、直営方式などをすすめ、安全性やアレルギー対応、質の確保の上で問題の多い場合は民間委託やデリバリー方式を見直します。無償化をおこない、中学校や高校に給食をひろげます。学校栄養職員・栄養教諭を一校に一名配置します。

外国籍の子どもへの教育条件の整備―――外国籍の義務教育年齢にあたる子どものうち、学校に通っていない子どもは8,600人にのぼります(文科省推計)。”内外人平等”を保障した国際人権規約、子どもの権利条約にもとづき、公立学校への受け入れ体制の整備、外国人学校への支援、日本語教室設置、公立高校への入学資格の改善など在日外国人の子どもの教育を保障します。子どもの生活のためにも、外国人の賃金未払いや劣悪な労働条件を改善します。福祉・医療を受けやすくするとともに、地域での共生をすすめます。インターナショナルスクールに通う子どもの就学支援、日本語学習、発達障害などへの公的支援を、〝制度の隙間〟ができないよう拡充します。

公立夜間中学の開設の推進―――夜間中学は、戦争の混乱や経済的な理由により教育を受けられなかった多くの人、不登校の子ども、障害者、「中国帰国者」や在日外国人らにとってかけがえのない義務教育の場となっています。ところが公立夜間中学は全国にわずか53校しかありません。2016年12月に成立した教育機会確保法を生かし、全県での協議会設置と公立夜間中学開設を急ぎます。また、就学援助の年齢撤廃、夜間中学の教員配置と研修保障、在校生の8割を占める外国籍の生徒に対応した日本語指導教員等の配置、バリアフリー化、自主夜間中学への公的支援の実施をすすめます。

教員の異常な長時間労働を、教職員の定数増、残業代制度の適用、国の不要な教育施策の中止・見直しなどで、解決に導く

教員の長時間労働は平均で1日11時間半に及び、土日も働いています。その過酷さは、かつてない「教員不足」までもたらしました。その是正は、労働条件の改善として緊急であり、子どもの教育条件としてきわめて大切な、国民的課題です。

自公政権はこの間、多忙化を解消すると言いながら、事態を変えることができませんでした。教員の週あたり勤務時間(持ち帰りを含む)は、改善の出発点となった2006年に比べ、小学校で1分しか減らず、中学校では40分増えています。これまでのような、お金をかけない小手先の「改革」では問題は解決しないのです。「先生をふやす以外にない」というのが立場を超えた学校関係者の一致した声です。私たちは学校現場の声にこたえ、以下のような政策で、教員の長時間労働を解決します。

(1)教職員定数の抜本増

以前の残業時間は現在の十数分の一でした。残業が少なかった時代は、教員の受け持ち授業は「1日4コマ」(小学校の場合)とされ、それに見合う基礎定数が配置されていました。しかし今は1日5コマ、6コマが当たり前です。これでは授業準備などは退勤時間以降行わざるを得ず、長時間の残業が必至です。しかも、「道徳の教科化」「小学校英語」など新たな業務が次々ふやされました。「1日4コマ」の原則で教員の基礎定数を配置するよう、抜本的な定数改善計画をつくり、義務教育標準法、高校標準法を改定します。現業職員、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなどを定数化して多様な教職員が学校を支えるようにします。教員を正規で確保するため義務教育給与の国庫負担率を2分の1に戻します。

私立学校での働き方を改善するためには、私学助成を増やし、多くの正規教員を雇える財政基盤を保障することが必要です。そのために私学助成を抜本的に増やします。

(2)残業代制度の適用

残業には割増賃金を支給するという、残業代制度は、コスト面から長時間労働を抑える世界共通のルールで、労働基準法にも明記されています。ところが学校のなかでも公立学校だけ、給特法(公立学校教員給与特別措置法)によって適用除外とされてきました。残業代がないため、残業時間も計られず、労働時間は野放しで、まさに「定額働かせ放題」となっています。裁判所さえ「給特法は教育現場の実情に適合していない」(田中まさお訴訟、さいたま地裁判決、2021年)と判じています。給特法を改廃し、公立学校にも残業代制度を適用させます。

(3)国の不要な教育施策の中止・見直しで学校現場の負担を減らす

全国学力テスト、教員評価制度、多すぎる官製研修、教育委員会に見せるための公開研究授業など、国や地方行政が学校現場に押し付けている不要な業務を一旦中止します。国の標準授業時数以上の過大な授業時数をやめるとともに、標準時数自体の削減を検討します。外部が押し付けている金融教育など一連の〇〇教育も中止します。部活動顧問の強要をやめ、各種大会を減らし土日の試合を減らします。各学校で話し合いと労働安全衛生体制の確立を通じ、不要不急の業務を削減・中止することを奨励します。

(4)教諭を階層化し、給与引き下げのおそれのある「新たな職」の導入に断固反対する

国は、基礎定数増や残業代制度の適用に背を向けるばかりでなく、「新たな職」を導入しようとしています。これでは教員集団が階層化され、分断され、同僚性が奪われ、学校がますます働きにくい場になってしまいます。しかも、「新たな職」の導入を契機に、教諭の給与(2号級)が引き下げられるおそれがあります。実際、先行的に実施した東京都では、教諭の基本給は月1~3万円も引き下がりました。 教育にも教員の働き方にも百害あって一理なしの、「新たな職」の導入につよく反対します。

(5)非正規雇用の教員の待遇改善など、その他の施策

非正規雇用の教員の待遇の改善と正規採用―――小泉政権時代の規制緩和(「定数崩し」の法改悪)により、これまで正規雇用が当たり前だった本務採用に、多くの非正規教員をあてるようになりました。しかし、その待遇はあまりにひどすぎます。給与、休暇、健康診断、職場環境などを抜本的に改善します。同時に、事実上の3年間の有期雇用で無期雇用への転換する、経験豊かな非正規雇用の教員を優先的に正規教員に任用するなど、正規雇用への道を広げます。

育児短時間勤務のための代替教員の配置―――教員には若い世代がふえています。その先生たちの育児短時間勤務を保障するため、代替教員を配置し教員をふやします。

60歳以降も給与を100%支給する―――教員は60歳の定年後、教員をつづけると給与が7割に下げられてしまいます。フルタイムでは働けば60歳時の100%を支給し、教員を続けやすくします。

夏休みなど長期休業期間中の自宅研修を保障する―――もともと教員には夏休み期間などの自宅研修が保障され、教員の働き方の前提とされていました(給特法)。ところが、教員統制の強まりとともに反故にされ、教員は疲弊しています。行政が8時間労働を守れない以上、夏休み期間等の自宅研修をただちに保障すべきです。

教員不足を解消する独自の手立て―――いま臨時教員の応募に応ずれば、採用試験で不利にならないよう一定の優遇をし、教員を確保します。臨時免許や特別免許の濫用はすでに教育の質の低下をもたらしています。それらを主な対策にしてはなりません。免許授与の条件がある場合は、手続き費用の負担軽減、収入減とならないような給与や手当の配慮をおこないます。都道府県等には教員定数のなかから教育委員会事務局に配属されている教員が一定います。教員不足が埋まらない学校に、期限をきめて派遣するようにします。

教員の奨学金返還免除制度を復活する―――教員の返還免除制度は、国が教職を大事にしているメッセージとなり、家庭の経済状況にかかわらず教員になれる道を確保するうえでも重要です。復活させ、学生が希望をもって教職をめざせるようにします。

 ➡教職員の長時間労働への政策の詳細は、「教職員を増やし、異常な長時間労働の是正を―学校をよりよい教育の場に―」(2018年11月9日)(https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-794.html)

 ➡パンフレット「教職員の働き方を変えたい」(https://www.jcp.or.jp/web_download/2018/12/post-536.html)

校則を子どもの尊厳と権利の視点から見直す

「下着や靴下の色は白」「ツーブロック禁止」などの校則のあり方が社会問題となりました。子どもの尊厳と権利にかかわる問題であり、教育に必要な子どもと教職員の信頼関係を損なうことも憂慮されます。

日本共産党は2021年の春に校則アンケートを実施し、中高生・保護者・教職員・市民約3,000人の声を聞いてきました。多くの中高生は、頭髪や服装などを細かく指定する校則に「監視されているようで窮屈」と答え、人間として深く傷つけられていることを訴えています。保護者・教職員・市民の90数%が校則の見直しに賛成でした。

私たちはその結果を国に届け、国の「生徒指導提要」に子どもの権利条約を盛り込むことを求めました。多くの人々の要望とも相まって、「生徒指導提要」にはじめて子どもの権利条約が盛り込まれました。校則の見直しを以下の観点からすすめます。

校則は各学校で子ども、教職員、保護者が話し合って決めるようにする―――校則は子どもの人権にかかわる性格を有すると同時に、教育活動の一環です。各学校で教職員・子ども・保護者が話し合ってすすめることを大切にします。

話し合いの共通の土台として憲法と子どもの権利条約をすえる―――同時に、話し合えば何をきめていいわけではなく、憲法や子どもの権利条約で一人ひとりに保障されている権利を脅かすことは基本的に避けるべきことです。憲法上、子どももおとなも、頭髪や服装をじぶんで決める自由をもっています。子どもの権利条約は学校の規律について「学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる」(28条2)と定めています。

いじめ問題、不登校問題、ジェンダー平等――子どもの命・尊厳を第一に考える学校と社会を

いじめ問題の解決、訴えの無視や隠ぺいの根絶―――いじめは相手に恥辱や恐怖を与え、思い通りに支配しようとするもので、ときに子どもを死ぬまで追いつめます。多くのいじめ被害者は、その後の人生を変えてしまうような心の傷をうけます。いじめはいかなる形をとろうとも人権侵害であり、暴力です。社会全体の問題として重視し、以下の方向で学校関係者、国民と力をあわせます。

―――学校の対応として、①いじめへの対応をぜったいに後回しにしない命最優先の原則の確立(安全配慮義務)、②ささいなことでも様子見せずに対応するため、教職員・保護者の情報共有を重視する、③子どもの自主的活動の比重を高め、いじめをとめる人間関係をつくる、④被害者の安全を確保し、加害者にはいじめをやめるまでしっかり対応する、⑤被害者家族の真相を「知る権利」を尊重し、学校側がつかんだ情報をかくさない、を提案します。自民党は懲戒強化を主張していますが、いじめを陰湿かつ深刻にするだけです。いじめに走らざるをえない子どもの苦しみや悩みを理解し、いじめをしなくなるまでしっかりケアしてこそ、いじめをとめることができます。

―――行政側の条件整備や対応として、①教員の「多忙化」解消、少人数学級推進、養護教諭・カウンセラーの増員、いじめ問題の研修、②深刻なケースに対応できる全国的なセンターとして「いじめ防止センター」の設立、③「いじめ対策法」は厳罰主義などいじめ解決に逆行する方向でなく、子どもの安全に生きる権利を保障する方向で運用する、④いじめ解決に逆行する、「いじめ半減」などの数値目標化、教職員をバラバラにする上からの教職員評価など競争と管理の教育政策をあらためる、を提案します。

―――被害者側が訴えても無視したり、あとになって事実関係を隠ぺいするなど、被害者の尊厳を二重三重に傷つけることがあとをたたないことは、本当に許されないことです。関係者の意見もふまえ、再発させないための措置を講じます。

 ➡詳しくはこちらをごらんください。
「いじめ」のない学校と社会を。日本共産党の提案」(2012年11月28日)(https://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/11/post-501.html)
「いじめ問題に関わる法制化についての日本共産党の見解」(2013年6月3日)(https://www.jcp.or.jp/web_policy/2013/06/post-515.html)

不登校問題の解決に、子どもの気持ちを大切にしながらとりくむ―――子どもの不登校は、小中学生で30万人を超えました。子どもが悪いわけではなく、子どもや家庭の責任とすることも正しくありません。国は「学びの保障」や「早期発見・早期対応」をかかげていますが、子どもの気持ちにあわず、不登校は増え続けました。この延長線では不登校問題は解決しません。私たちは、次の二つの角度から、子どもや関係者の意見を聞きながら、不登校問題にとりくみます。

―――第一に、不登校の子どもたちを支えるとりくみです。子どもたちは心に傷をおっている状態で、その苦悩や不安を理解し、子どもの模索を支えることが大切という立場から、以下のことを重視します。①子どもの安心して休む権利、自分らしく生きられる権利を大切にする。②子どもと親とが安心して相談できる窓口を拡充する。③子どもの居場所として、学校復帰を前提としない公的な施設を拡充する。④学校以外のさまざまな学びの場や居場所(フリースクール、フリースペースなど)をきちんと認め、公的支援をおこない、学校と同等の支援をめざす。⑤不登校の親子を支えあう場である「親の会」などへの公的支援をおこなう。⑥「不登校を3年で半減」「不登校ゼロ作戦」など子どもや親をおいつめる施策や、本人の状態を考えない「学校に来ないなら他の教育機会の場へ」といった押し付けをやめる。不登校施策の不登校ビジネスへの民間委託に反対する。⑦「教育機会確保法」を、子どもや親をさらに追い詰めないようにし、条件整備に役立てる方向で運用するとともに、見直しをすすめる。

―――第二に、不登校を増やし続けている過度の競争と管理の教育を改めることです。それまで十年以上横ばいだった不登校は、2012年から急に増え始め、2020年には倍加しました。それはちょうど、安倍政権下で全国学力テスト体制、ゼロトレランス(許容度ゼロ)など過度の競争と管理が学校に押し付けられた時期と重なっています。コロナ危機の際の科学的裏付けのない「いっせい休校」、その後の学校再開の際の勉強の詰め込みは、不登校の増加に拍車をかけました。教育を競争と管理で歪めたままでは、子どもの不登校はふえるばかりです。今こそ、子どもが通いたくなる学校へ、競争と管理の教育を見直し、改めます。

包括的性教育、ジェンダー平等の視点の重視、LGBTなど多様性の尊重―――ジェンダー平等、リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)に基づく科学的な性教育、互いを尊重し合う人間関係を築くための考え方やスキルなどの包括的な性教育を学校教育で発達段階に即して一貫して行われるようにします。男女別制服の強制の解消、生理用品の無償配布など学校生活の全体をジェンダー平等の視点で見直すとりくみを奨励します。

同性愛や性同一性障害などを含む性的マイノリティ(LGBT)の子どもへの適切な配慮を求める国の通知(「児童生徒が自認する性別の制服・体操着などの着用を認める」「標準より長い髪型を一定の範囲で認める(戸籍上男性)」「着替えの際に皆とは別に保健室の利用を認める」「修学旅行で1人部屋の使用を認め、入浴時間をずらす」)をさらに多様性尊重の見地から発展させます。教職員や子どもたちが理解をすすめることを重視します。

「ゼロトレランス(寛容ゼロ)」の撤回、体罰や「指導死」をなくす―――安倍政権が推奨した、「ゼロトレランス(寛容ゼロ)」(学校の「決まり」を問答無用に子どもに強要し違反者を問答無用に罰する)は、導入した学校で子どもを深く傷つけ、学校に不可欠な温かな人間関係を破壊しています。国として推奨を取り消し、「ゼロトレランス」の立場にたたないことを明確にします。

「指導」の名のもとに暴力や暴言で子どもを追い詰め、死に至らしめる「指導死」も各地でおきています。こうしたことをなくし、子どもも教職員も、人間として大切にされる学校をめざします。

肉体的な苦痛や恐怖で子どもを服従させることは、成長途上の子どもの体だけでなく、心に複雑で深い傷を残します。学校教育法で明確に禁じられているにもかかわらず、少なくない学校で教員による暴力や暴言がいまだにあることは、日本の教育の大きな問題です。ところが自民党など政界の一部に体罰を容認する潮流があります。日本共産党はこうした風潮を許さず、なぜ体罰がいけないのかを多くの人々と根本から考えあい、学校から体罰をなくすために全力をつくします。

安全配慮義務の徹底―――学校での子どもの事故が絶えず、命を落としたり、後遺症に苦しむ子どもがあとをたちません。その大本に、学校では子どもの命を守ることがどんな教育活動よりも優先されるという「安全配慮義務」が教育行政、学校、教職員に十分浸透していない問題があります。「安全配慮義務」を明記するなど、子どもの「安全に教育を受ける権利」を保障する「学校安全法」「学校安全条例」の制定を支持します。

主権者教育の重視―――主権者教育、政治教育は、子どもの成長と日本の民主主義にとってとても大切な教育です。戦前の教育は政府や政治についての批判を封じ、むしろ時の政権への従属を説き、そのことが軍国主義の支柱の一つになりました。その反省にたって1947年の教育基本法が政治教育を定めたことを、主権者教育の立脚点として重視します。主権者教育のあり方としては、国民主権・基本的人権と個人の尊厳についての基本的な理解、政治の諸制度の学習だけでなく現実の政治についての自由闊達な議論、そして学校などの実生活で子どもたちが権利の主体として扱われること、などが重要だと考えます。

高校生などの子どもの政治活動の自由―――憲法はすべての国民に政治活動の自由を保障しており、高校生にもとうぜん政治活動の自由があります。じっさい高校生たちは、平和や環境問題など様々な政治課題について、多彩なとりくみに参加しています。ところが国は、高校生だけ政治活動を禁止・制限する通知(2016年10月)を出し、集会参加や演説会を聞くことすら届け出制にしている高校まであります。このような憲法違反の制限に反対し、高校生などの政治活動の自由を一般市民と同様に保障します。

部活動――子どもを真ん中に部活動のあり方を検討し、必要な予算と体制を

中学や高校の部活動は、子どもたちの文化やスポーツへの権利にこたえるとともに、自発的で自治的な活動であることによって思春期の人間形成を豊かにする積極的な意義があります。

しかし、いま部活動はその存続が危ぶまれる事態に直面しています。

その大本には、部活動指導には人が必要なのに、その固有な人的配置をおこなわず、授業等のために配置されている教員に頼ってきた問題があります。加えて、誰でも参加できる自発的活動のはずなのに競技選手を育てるかのような練習時間や対外試合が雪だるま式に増えてきた問題があります。この「部活動の過熱化」には、自民党の政治的圧力のもとで対外試合が緩和され、中学部活の全国大会も解禁された(1979年)などの経緯があります。

固有の人を配置せず、「過熱化」で活動時間が大幅に増えた結果、教員の負担は限界を超えました。部活動はこのままの形では存続できないことは明らかです。この問題を解決するために、以下のことを提案します。

部活動の基本的な性格と予算・体制についての国民的合意をつくる

スポーツ庁は運動部活動を学校から切り離す「部活動の地域移行」をめざし、当面、土日の部活動を学校から地域に移行する方針を打ち出しました(2022年6月6日「運動部活動の地域移行に関する検討会議提言」)。しかし、そのための予算措置や体制の保障はなく、関係者から、民営化による部活動の有料化・自己負担増などの混乱と破綻についての懸念が表明されています。

問題の解決には、部活動はそもそも何を行うところなのかという基本的性格の整理が必要です。そこには、自主的で自治的な活動としての意義の確認とともに、「過熱化」や体罰・暴言への反省などが欠かせません。その整理のうえに、部活動を支えるための予算・体制を明確にします。そのため、様々な立場の関係者の検討をへて国民的な合意の形成をすすめます。その際、主人公の子どもたちの意見に耳を傾けることを重視します。

顧問を強要しない、「地域移行」など、当面の課題についての施策

部活動顧問の強要をなくす・「部活動指導員」の待遇を改善する―――やったこともない競技の顧問になり、授業準備や気になる子どものケアや自身の生活を犠牲にするなど、部活動指導の負担はあまりに深刻です。教員には部活動顧問をする義務はありません。共産党の国会質問に文科大臣は「顧問の決定にあたってパワハラをすることはあってはならないし、絶対に許せない」と答弁せざるをえませんでした。教員への部活動顧問の強要を一掃するとともに、教員外の「部活動指導員」の待遇を改善して確保します。少なくない地域で残っている小学校部活は、子どもの発達段階からいって無理があり、教員の負担もきわめて深刻です。関係者で話し合い、廃止をふくむ決断を行えるようにします。

中学校での全国大会の中止・縮小、科学的な練習方法―――さまざまにある中学校部活の全国大会を中止・縮小し、各種試合を大幅に減らします。科学的な練習方法の普及などによって子どもの身体にダメージを与える非合理的な練習をなくし、部活動の時間を短くします。

「部活ガイドライン」の遵守―――スポーツ庁の「部活動ガイドライン」(2018年3月)は「週2日以上・土日どちらか休み」を定めましたが、少なくない地域で形骸化しています。子ども、顧問などが、運動生理学と子どもの休息・余暇の権利から休息が合理的かつ必要なことを話し合い、納得の上で守られるようにします。

高校入試、教員採用や教員評価から部活動を切り離す―――「過熱化」の背景には、部活動の実績が内申書に書かれる、部活動への意欲や実績が教員の採用や評価を左右するなどの問題もあります。高校入試や教員人事と部活動を基本的に切り離すようにします。

命令・服従でないフラットな人間関係、体罰・暴言・ハラスメントの一掃―――顧問や先輩に絶対服従などの封建的な人間関係は、スポーツや文化の精神に反し、子どもの人間形成にも悪影響を与えます。ましてや子どもへの罰や暴言、ハラスメントは許されものではありません。人間の尊厳と子どもの権利の尊重を教員、「部活動指導員」の共通の土台とします。

部活動強制加入の全廃―――部活動は子どもの自発的な活動であり、子どもに参加の義務はありません。一部に残っている部活動強制加入を全廃させます。

部活動の自己負担の軽減―――大会の遠征費用、指導者への謝礼、ユニフォームや用具購入などの自己負担を軽減します。

「地域移行」は拙速に行わない―――予算も体制も不確実な中学部活動の「地域移行」は、費用負担増や新たな保険料の発生、「地域」が教員に委任して実態は変わらない可能性、子どもの自発性を大切する、悩みに寄り添うなどの教育的側面の欠落の可能性など問題が少なくありません。子ども・保護者・教職員・受け皿となる民間団体・行政の合意を前提とし、期限をきって機械的にすすめるべきでありません。地域移行する際は、費用負担増とならないようにするなど予算・体制の裏付けを伴ったものにします。

ICT教育―――機器の使用優先でなく、子どもの学習と健康を優先させる

ICTをどう教育にとりいれるかの探求は始まったばかりです。ところが、政府のGIGAスクール構想は、ICTさえ使えば教育がバラ色になるといわんばかりの短絡した発想で、子どもの成長や発達をまともに考えていません。また、費用負担や安全面などでも問題をかかえています。子どもの学習や健康第一に考え、以下の点を重視して、ICTの活用に対応します。

保護者負担の解消―――タブレットは義務教育段階では無償ですが、壊れた時や自宅で使う場合の通信費は対応がさまざまです。破損時の保障をはじめ保護者負担を生まないようにします。また、高校でも無償とすべきです。

どう使うかは教員にゆだねる―――ICTを使えば必ずいい授業になるわけではありません。授業の質は、教員自身の深い教材研究や、子ども同士や子どもたちと教員との生きたやりとりにあります。ICTはあくまでその補助です。教員の得手不得手もあり、どう使うかは個々の教員にゆだねなければ、かえって授業の質が落ちかねません。タブレット使用が自己目的化し、一律の使用方法などを徹底するようなことは、本末転倒です。

ICTによる子どもの健康や発達への悪影響の研究と対策―――多くの専門家がICTによる近視やネット依存症などの健康被害を指摘しています。また、ICTの使用によって深く考えるということがかえって阻害されることを指摘する研究者も少なくありません。ICTさえ導入すれば教育はバラ色になるという幻想にとらわれず、その積極的な面とともに、健康や発達への影響の研究と対策を重視します。

子どもの個人情報の保護―――子どもがタブレットを使えば、成績、日々の生活などが「学習ログ」としてクラウド上に蓄積されることになります。こうした保護されるべき個人情報が教育産業に流出することを防ぐ有効な手立てを進めます。

デジタル教科書は慎重に検討する―――デジタル教科書は、思考力を阻害したり、健康被害の危険がある懸念があります。海外では、いったん導入しても健康被害と教育効果から紙の教科書に戻すケースもうまれています。日本共産党は導入を可能とする法案に、 視力障害のある子どもに見やすいなどの点から反対しませんでしたが、全体的な導入には、多くの関係者による慎重な検討が必要です。

ICT支援員の増員―――教員の多忙化は、「教師のバトン」の「炎上」にもみられるように限界に達しています。コロナ対策に加えICT導入の実務まで教員の負担となればいっそう深刻な事態となります。国の方針は二校に一人の支援員の配置ですが、一校に一人の配置を求めます。

少人数学級などICTを教育に生かせる条件整備―――もともと学校へのタブレットの性急な普及は経済産業省が推進してきたものです。そこでは「生徒達は自分の好きな学習塾の先生などのオンライン講義動画をタブレットで見て、自分の進度に合わせて個別に学ぶのが一般的になる」(「未来の教室」第一次提言)と明け透けに教員不要の安価な教育が構想されていました。これに対し、文科省はICTを双方向型の「協働的な学び」に活用する方向を打ち出しましたが、「協働的な学び」を本当に行おうとすれば、教員の教授の自由と、20~30人程度の少人数学級が必要です。

「デジタル・シティズンシップ教育」の重視―――国の「情報モラル教育」は、依存防止などインターネットの使い方への注意にとどまっています。「ネットで心ない攻撃にあった」「動画の世界はヘイトや暴力的なコメントが多い場所になっている」など、子どもの感じている問題から出発し、基本的人権を基軸とした、「デジタル・シティズンシップ教育」を重視します。

学校統廃合、公立一貫校について

一方的な学校統廃合反対―――学校統廃合にたいしては、子どものたちの成長・発達にとってどうなのか、その地域にとってどうなのかを基準にして、判断します。住民合意のない一方的な統廃合に反対します。

この間、自公政権は学校統廃合を進めてきましたが、その目的は教育予算の削減、公共施設の延べ床面積の削減であり、豊かな教育とは無縁の発想です。国や教育委員会がふりまく「小規模校では教育がうまくいかない」という「適正規模」論は、何の道理もありません。小規模な学校は子ども一人ひとりに目が行き届くなどの優れた面があるとともに、地域の維持と発展にとってもかけがえのない役割があります。統廃合には、地域の教育力の衰退、子どもの長時間通学、いざという時の安全面の不安などデメリットが少なくありません。子どもの教育を後退させ、地域の存続を危うくする一方的な統廃合に反対するとともに、小規模校を地域に残して充実させ、地域づくりを進めるとりくみを支援します。

小中一貫校、中高一貫校について―――小中一貫校、中高一貫校導入は様々なケースがあり、子どもの成長・発達にとってどうかから、その是非を判断します。自公政権の「小中一貫校」構想は、それによって学校統廃合をすすめることが最大のねらいです。しかも、小学校高学年の自覚などこれまであった子どもの成長に有益なものが失われる、学校がマンモス化する、中学のテスト体制や厳しい管理が小学校に拡大するなど多くの問題が噴出しています。「中高一貫校」は、その学校を特別の受験校にすれば、中学受験などの競争を助長することになります。「スーパーハイスクール」なども含め、同じ公立学校なのに一部だけに破格の予算をつけるやり方は、行政の側から教育格差を広げるものとして問題が大きすぎます。すべての学校の教育条件の向上を重視します。

特別支援教育の拡充、インクルーシブ教育をすすめる

障害のある子どもの教育は、その子どもの成長し発達する権利を保障し、障害のある人々の「社会への完全かつ効果的な参加」を実現するものでなければなりません。日本共産党は、特別支援学校だけ学校設置基準がなく、教室をカーテンで仕切って2学級で使用、図書室も音楽室もないなどの過大過密が放置されている問題を取り上げ続け、2021年に学校設置基準の制定を実現させました。その到達をふまえ、次の政策の実現に力をそそぎます。

特別支援学校の増設―――運動で制定をかちとった学校設置基準を生かし、既存校にもきちんと適用させるなどして、特別支援学校を増設し、狭隘化・大規模化の解消を本格的にすすめます。そのために学校建設への国の補助率を大幅に引き上げ、建設を促進します。

障害の重度重複化の実態に応じた教員増員―――子どもの障害の重度化重複化に対応するため、重度重複学級が制度化されていますが、この間、重度重複なのにそうでないと認定し、その分教員を目減りさせるという問題が起きています。その結果、学校現場では子どもへの支援が十分にできなくなるなど深刻な問題がおきています。重度重複の認定をきちんと行い、教員を増員します。スクールバスを増車し通学の負担をへらします。必要なすべての子どもへの寄宿舎の保障をすすめます。医療・福祉など専門機関とのネットワーク、巡回相談など地域全体の支援体制をつよめます。

特別支援学級の定数の改善と教員増―――特別支援学級に在籍する子どもたちの障害の複雑化に対応するように、教員定数を増やします。学級編制基準を現在の8人から6人に改善するとともに、学級編制を通常の小中学校の複式学級のように2学年以内で行って、子どもの実情に応じた教員配置が行えるようにします。 教員が特別支援教育についての専門性をもてるように採用や異動のあり方などを改善します。

通級指導教室の条件整備―――通級指導教室は、数十万人と推定されている通常学級に在籍する発達障害の子ども、その他さまざまな事情から支援が必要な子どもの教育にかけがえのない役割をはたしています。ところがその整備が遅れ「希望しても入れない」などの事態が広がっています。通級指導教室の潜在的ニーズを明らかにし、それに基づいた整備計画を立て、教室を増やします。「生徒10名に教員1人を配置」とするよう教員定数を改善します。

高等部卒業後の学びの保障―――学校教育法の中に、学びの継続を希望する特別支援学校高等部の生徒や障害のある高校生に開かれた、専攻科の設置を位置づけます。

高校、大学などでの特別支援教育の体制の確立―――高校や大学、専門学校などでも特別な支援を必要とする子どもや学生が増えています。そのために必要な教員や専門的支援員の配置などの条件を整備します。

過度の競争と管理を改善し、どの子も包摂できる学校に―――特別支援の学校や学級の在籍数がふえ続けている背景には、子どもにあった専門的な教育を受けさせたいという保護者らの願いもありますが、「学力テストの平均点アップに汲々とする」「子どもを力で押さえつける」など過度の競争と管理によって、子どもたちが通常学級にいづらい状態が広がっている問題があります。過度の競争と管理を改善し、学校をどんな子どもでも排除されない、ゆったりとした人間的な雰囲気のある場にします。

インクルーシブ教育にふさわしい教育制度の検討―――国連の「障害者権利条約」(2008年5月発効)は、障害のある人が障害のない人と分け隔てなく人権を保障され、豊かに生きられる社会を実現するために、教育の分野で「インクルーシブ教育」(障害のある子どもが一般の教育制度から排除されず参加を保障される教育)を提唱しています。そのためには、子どもの「最大限の発達」と「社会への完全かつ効果的な参加」とが大切にされなければなりません。日本の教育制度がインクルーシブ教育にふさわしいものとなるよう、国民的な合意形成をはかり改善を進めます。そのなかで小規模分散・地域密着型の特別支援学校などを検討します。

私立学校への公的支援の拡充

私学は憲法が保障する公教育のひとつです。そして、建学の精神や独自の教育理念によって多様な教育を求める国民の要求にこたえるというかけがえのない役割があります。その立場から、日本共産党は私学を応援し、豊かな発展をささえます。

私立高校の学費無償化―――国による予算の拡充によって、①自公政権が行った所得制限をやめ、すべての生徒に公立高校の授業料と同額の授業料補助を行います。②授業料実質無償化を年収910万円以下の家庭まで拡大します。③入学金、施設設備費も無償化の対象にします。④国の奨学給付金を拡充し、通学費や生活費まで保障できるようにします。私立中学生への学費支援制度の充実――国がはじめた支援制度をより実態にあったものに改善し、家計急変などで学校をあきらめることのないようにします。

常勤講師・非常勤講師を専任教諭に―――卒業後何年たっても先生に会えるのが私学の魅力です。ところが非正規の教員の割合は増えるばかりで、その割合は約4割にものぼります。専任教諭と同様に働きながら、身分は不安定で年収も低く、退職金もないという教員の使い捨ては許されるものでなく、私学にとってもマイナスです。私学助成の拡充で専任化を促し、非正規の教員を専任化します。

私学助成を早期に「2分の1助成」に―――生徒一人当たりの財政支出を比べると、私立高校は公立高校のたった約3分の1です。しかも、この数字は人件費など経常支出に関する比較です。私立学校の校舎や施設には基本的に公的支援がないことを考えると、実際の公私間格差はこれ以上です。私学も公教育である以上、ヨーロッパのように、大半の経費を公財政でまかなうべきです。現在の経常費への2分の1助成を早期に実現するとともに、校舎などへの助成を実現させ、私学助成を抜本的に拡充します。

私立学校の少人数学級化―――多様な子どもの個性を支えるためにも、感染症対策のためにも、今こそ少人数学級に踏み出すときです。私学助成を抜本的に増やし、私学も少人数学級に移行できるようにします。

「私学の自由」の擁護―――私学は、建学の精神やより自由な発想で教育をすすめることで日本の教育全体を豊かにする点に大切な役割があります。こうした観点から、私学を公教育の一つとして位置付け、公財政で手厚く支援するとともに、「私学の自由」を保障し、私学の自主性を守ります。2007年に自公政権が強行した「教育3法」改悪は、私学にたいする権力統制に道をひらく危険があります。日本共産党の国会質問にたいして、政府は「私学の建学の精神尊重」を認めるとともに、教職員評価・学校評価を私学助成の交付要件にすることを「考えていない」と答弁しました。こうしたこともふまえ、私学の自主性を守るために力をつくします。

被災地の子どもと教育への支援

能登地震・豪雨災害、東日本大震災をはじめ、被災地では教育の面でも解決すべき問題が今なお残されています。子どもは復興の希望です。その子どもたちの成長や安全が保障されるよう全力をつくします。

被災者の教育費や生活への支援―――災害による保護者の生活基盤の破壊は、進学の断念、生活の困窮によるネグレクトなど子どもに深刻な影響をあたえます。復興の大原則として生活基盤の再建を求めるとともに、被災者への①「給付型奨学金」(程度に応じて月数万円から10万円)の創設、②私立高校、専修学校・各種学校、大学等の授業料減免の拡充、③給食費、教材費等を復興まで不徴収とするための国庫補助、④保護者の生活を支援するスクールソーシャルワーカーの中学校区に最低一名以上配置、⑤震災によって親を失い、孤児となった子どもへの支援の体制の拡充を求めます。

学校再建・教育条件整備の全額国負担―――震災・津波など大規模な災害の場合、学校再建を全額国の負担ですすめるようにします。また、機械的に「原状復帰」という法令に固執せず、地元の要望にもとづいた再建を可能にします。震災に乗じた学校統廃合の強行に反対します。私立学校や専修学校・各種学校の再建や修繕も公立学校と同様の措置をとるようにします。

被災地教員加配、被災児童生徒就学援助支援事業の継続―――災害公営住宅への転居など住環境や家庭の経済状況の変化は子どもの心に大きな影響を与え、不登校の増加もふくめ、困難を抱える子どもが増えています。原発事故のあった福島県では、多数の子どもが他県に避難するなどより困難な状態が続いています。被災地の教員加配、就学支援事業を、実際に復興が終わるまで継続、拡充します。子どもの「学力テスト」の点数アップを「教育上の震災復興」とすることは間違っています。深く傷ついた子どもの心に寄り添った教育とケア、そして震災体験をくぐりぬけた豊かな学びこそが震災復興の教育です。

原発と被曝についての科学的な教育の保障―――自公政権は2002年から、原子力発電所立地を目的とするエネルギー特別会計を使っての偏った原発推進教育をすすめていました。すでに「原発安全神話」が書かれた副教材「わくわく原子力ランド」等はわが党の追及で「見直し」となりましたが、それにかわって発行された副教材も、原発事故や安全神話への反省がなく、放射能や被曝の過小評価を子どもに与えるような内容となっています。こうした原発推進教育の影響を一掃して、原発や被曝に関する科学的な教育が自主的にとりくめるようにします。

社会教育の拡充

社会教育施設の増設と人員の増員―――公民館、児童館、博物館、図書館などの社会教育は住民の学習権を保障するとともに、地域のコミュニティーの形成、子どもや親への支援など多くの役割をはたしています。ところが自公政権の下で、社会教育予算は削られ、施設の廃止や人員の削減がすすめられてきました、施設の有料化、公共施設再編計画の下での社会教育施設の廃止再編をやめさせ、公民館、児童館などを増やし、社会教育主事など職員の増員をはかります。

首長部局への移管に反対し、表現・学習の自由を守る―――社会教育施設は、教育の中立性、継続性、安定性の確保の観点から教育委員会が所管してきました。ところが2019年5月、地方自治体が条例を制定すれば、図書館などの所管を首長部局が所管できるよう地方教育行政法が改悪されました。これでは政治的中立性を保つことができません。社会教育施設の首長部局への移管を許しません。住民の学習の場である社会教育には表現の自由、学習の自由が不可欠であり、その侵害につよく反対します。

➡公立図書館、学校図書館は各分野の政策「68、 図書館政策」をごらんください。

競争と管理の教育を見直し、憲法と子どもの権利条約にもとづく教育制度の改革にとりくむ

自公政権は教育基本法改悪(2006年)により、それまで以上の競争と管理を教育に持ち込みました。とくに改悪教育基本法を本格的に具体化した安倍政権は、全国学力テスト体制などの施策を次々とすすめてきました。子どもの不登校はその8年間で倍増し、教員は疲弊し精神性疾患による病休者の増加が止まりません。競争と管理を加速させた「安倍教育再生」路線の失敗は明らかです。私たちは、競争と管理の教育を見直し、憲法と子どもの権利条約にもとづき、法律を含めた教育制度の改革にとりくみます。

「安倍教育改革」の「負の遺産」をとりのぞく

全国学力テスト体制などの廃止―――全国一斉学力テスト(悉皆〈しっかい〉)、ゼロトレランス(寛容度ゼロ)、教職員評価制度、職員会議の形骸化など自公政権が教育に押し付けた「負の遺産」をとりのぞき、子どもを大切にする教育の自主性をとりもどします。大合理性がなく低所得層ほど不利になる、大学入試共通テストへの英語民間試験と「記述式」問題の導入の検討を完全に断ちます。

道徳の教科化をやめ、市民的モラルの教育を―――安倍政権による「道徳の教科化」は、上から目線で「いい子になれ、ルールに従え」と子どもに教え込むもので、基本的人権や個人の尊厳、多様性にもとづく市民道徳のあり方に反しています。「道徳の教科化」をやめ、学校生活全体が基本的人権や子どもの権利を基盤としたものとなり、そのなかで子ども一人ひとりが自分らしい価値観を形成していく市民道徳の教育にきりかえます。

侵略戦争の美化をやめる―――「従軍慰安婦」など教科書記述への政府の不当な介入をやめ、侵略戦争と植民地支配の事実を知り、そうしたことを再び繰り返さないための教育を保障します。愛国心に関する教育も、戦前の偏狭な愛国心をかかげてすすめられた植民地支配と侵略戦争の歴史の問題を伝えてこそ、世界の人々と共生できるものとなりえます。戦前の教育勅語の美化につよく反対します。

学校への権力的介入を許さず、教育の自由を守る―――国などが2023年、子どもに分かりやすく授業を工夫し、保護者にも喜ばれていた奈良教育大学附属小学校にたいし、「学習指導要領違反」と介入し、教員全員の入れ替えを要求するという事件がおきました。私たちは国会質問で繰り返し国などを追求しましたが、今後も学校への権力的介入を許さず、教育の自主性・自由を守ります。

不当な教員バッシングをやめる―――一部の教員の誤りをもとに教員全体をバッシングし統制する手法は、教育現場を萎縮させ混乱させるだけです。教員だけを専門職の中で低く位置付け、10年で免許失効とした教員免許更新制は短期間で廃止においこまれました。「不適格教員」のレッテル貼りや「密室に座らせ続ける」などの「指導力改善研修」も、抜本的に見直します。子どもを傷つける言動をおこなう教員には、子どもの安全と人間の尊厳を優先する立場から毅然と対処するとともに、問題をかかえる教員の人間的な立ち直りを促す支援を重視します。

競争的な教育制度の見直し・教育の自主性の回復

入試制度の改革―――世界に例のないような、基本的に全員に受験を課す、高校入試制度の改廃を検討します。大学入試を、ヨーロッパなどの資格試験制度を参考にしつつ、競争的性格の改善を検討します。

学習指導要領を助言の文書に―――学習指導要領の一字一句どおりに授業を行わせるような法的拘束力をなくし、戦後直後のように、あくまで指導助言のための参考資料として、学校現場での教育課程の自主編成、子どもが深く理解できるような自由闊達な授業づくりを奨励します。学習指導要領作成にあたっては、子どもの参加も含め、広範な関係者の意見を反映させるようにします。

学校運営を教職員、子ども、保護者らですすめる―――現在のような校長の権限のみで学校を運営できる制度では、上位下達の学校運営が横行し、教育に必要な自由で人間的な雰囲気が奪われかねません。教職員、子ども、保護者らの話し合いと合意で学校を運営するようにします。校長を教育のリーダーとして位置付け、自由で人間的な雰囲気を維持する役割を果たせるようにします。

憲法と子どもの権利条約にもとづく法制度の確立

改悪教育基本法の見直し―――改悪前の、1947年制定の教育基本法は、戦前の教育が侵略戦争の手段となったことを深く反省し、教育の目的を「人格の完成」にすえ、「憲法の理想の実現」を教育に託しました。ところが自公政権は2006年、同法を改悪し、「愛国心」などを教育の目標にいれ、国家権力が教育内容を統制するための「教育振興基本計画」を制度かするなどしました。改悪された教育基本法を、憲法と子どもの権利条約に基づいて改めます。

 ➡教育基本法改悪反対のアピール「子どもたちのすこやかな成長をねがうみんなの声と運動で、教育基本法改悪をやめさせよう」(2006年5月15日)(https://www.jcp.or.jp/web_policy/2006/05/post-604.html)

 ➡改悪教育基本法から子どもを守る新たなたたかいを 抗議集会への志位委員長の報告(大要)(2006年12月15日)(https://www.jcp.or.jp/web_policy/2006/12/post-603.html)

子どもの権利条約の法制度への反映―――日本の教育に関する法制度は、子どもの権利条約以前のままで、子どもの権利を反映していません。条約の批准時に自民党政権が、法制度の見直しを不要としたためです。教育に関する法制度を見直し、子どもの参加をふくめ、子どもの権利を反映させます。子どもの権利の擁護を、学校と教育行政の重要課題に位置付け、子どもの権利条約を子ども、教職員、保護者に周知します。子どもの権利委員会からの「極度な競争的教育制度」の是正など教育制度に関する勧告をきちんと受け止め、改革をすすめます。

教科書制度の改革―――教科書検定を廃止し、学問の最新の到達と執筆者の創意が生かされるようにします。教科書採択制度は、もっとも教えやすいように、教育委員会の採択でなく、学校現場の権限で採択できるようします。教育委員会採択の続く間は、採択は子どもの学習にとって最適なものを選ぶという精神から、学校現場の意見をきちんとふまえるようにします。多様な教科書の発行を保障するため、教科書単価を引き上げます。

教育委員会制度の改革―――教育委員会制度も、安倍政権によって住民代表の教育委員の力を弱める方向で改悪されました。その結果、東京都では教育委員会を構成する6名中4名が東京パラリンピッ クの子ども動員に反対したにも関わらず、動員が実施されるという事態までおきました。教育委員会が子どものために政治から独立して職権が行えるよう、制度の見直しにとりくみます。

 ➡安倍政権の「教育委員会改悪法」に反対する国民的共同をよびかけます。(2014年4月18日)(https://www.jcp.or.jp/web_policy/2014/04/post-679.html)