臨界事故と日本の原子力行政(1)

――現地調査をふまえて、志位和夫書記局長に聞く

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 茨城県東海村の核燃料工場で起きた臨界事故は、日本の原子力行政のさまざまな問題点を明るみにだしました。日本共産党の東海村核燃料工場臨界事故対策本部本部長の志位和夫書記局長は、十月二十七日、事故を起こしたジェー・シー・オー(JCO)東海事業所と、核燃料サイクル開発機構大洗工学センターの高速増殖炉の実験炉「常陽」、同東海事業所の再処理施設を視察。東海村の村上達也村長、日本原子力研究所労働組合の人たちと懇談し、日本の原子力行政の問題点を調査しました。これまでの調査で明らかになったこと、日本の原子力行政の問題点について、志位書記局長に聞きました。(聞き手は前田利夫「しんぶん赤旗」科学部長)


 前田 東海村の臨界事故は、日本の原子力行政の問題点をいろいろな面から明らかにしたと思うのですが、これまでの経過と先日の東海村でおこなった調査をふまえて今回の事故について、感じている点から話してください。

 志位 原子力は安全だとする「安全神話」が一番危険であること、これこそ今回のJCOの臨界事故の根本原因でもあった、ということをいろいろな角度から痛感させられました。
 それから、原子力にたいする監督・規制体制がきわめて弱いこと、プルトニウム利用を推進する政策がいかに危険であるかということについても、現場にうかがって認識を深めました。
 これらの問題点は、わが党が七〇年代から、国会でくりかえしとりあげて、政府の原子力政策の転換を迫ってきた問題なのです。自民党政府が、この警告に背を向けてきた。その結果が、いまの事態をまねいていると思います。

科学技術庁――「臨界事故」との報告をファクスでも現場でも受けながら…

 前田 東海村に直接調査にいって、JCOの会社側から説明を聞いて、明らかになったこともありましたね。

 志位 臨界事故が起こったのは、九月三十日の午前十時三十五分だったわけですが、会社側の説明では、その十数分後には、臨界事故であるという判断を、所長がくだしていたということでした。そして十一時十五分には、科学技術庁にファクスを入れています。そのファクスには、「本日十時三十五分ごろ、エリアモニター吹鳴、二名が被ばくし、救急車にて水戸国立(病院)に運んだ。臨界事故の可能性あり」とある。たいへん明りょうに「臨界事故」という会社としての判断を、科学技術庁に第一報として送っているわけですね。ところが、受け取った科学技術庁の側は、「臨界事故が起こるわけがない」として、まともに扱わなかった。
 もう一つ、現場にいって初めてわかったことなのですが、ファクスを送った直後の十一時五十八分に、東海村に常駐している科学技術庁の運転管理専門官が現場を訪れていたのです。調査にいったその場で、私たちがJCOの所長に、科学技術庁の運専官とどういう会話をしたのかと聞きましたら、ただちに所長から「臨界事故がおこった」ということを報告したということでした。運専官のほうから何か指示なり、応答があったかと聞きましたら、指示も質問もなかったというのが、所長の回答でした。
 科学技術庁に、すでに十一時十五分には、ファクスがはいっている。それから十一時五十八分には現場に専門官がきている。にもかかわらず、科学技術庁として臨界事故と判断したのは、四時になってからだと国会で答弁しています。事故発生から五時間半にわたって、事故の性格をきちんと判断しないまま、時が過ぎたというのが実態だったのです。いかに科学技術庁が、「安全神話」に侵されていたかの、まぎれもない証拠がここにありますね。

東海村村長――国からの情報がないなかで、住民の避難勧告を一人で決断

 前田 そのために東海村の住民の避難が遅れて、多くの人が被ばくするということになってしまいましたね。

 志位 そうですね。その責任は重い。東海村の村上村長にお会いしたんですが、村長さんは、事前の対応も、事故が起こった後の対応も、私は不満であると、たいへん強い調子で語っていました。
 一つは、JCOという工場が、臨界事故が起こりうる工場だということを、政府の側からまったく知らされていなかったということです。だから当然、村も、そういう事故が起こりうるという認識ではなかったということでした。村にとって、まったく不意打ちで事故はやってきたのです。
 それから、事故が起こった後、国からはまったく音さたがない。JCOのほうからは、事故から四十分後に、「臨界事故」という第一報がはいってくる。そして午後二時ぐらいになって、JCOの職員が、村役場に地図をもってきて、この部分に住んでいる住民を避難させてくれと、避難要請にくる。しかし、その時点では中性子の測定もやっていないし、いったい臨界事故なのかどうかも皆目わからない。それでも、JCOの職員がみんな逃げているということがわかって、会社の職員が逃げているんだったら、住民を避難させないと危ないと思った。そういう、まったくの直感に頼った判断だったわけですが、村長の判断で避難勧告をだしたのが、午後三時だったということでした。国からは、何の情報もなければ、何の助言も指示もないなかで、すべて自分一人で判断せざるをえなかったのは、実にたいへんだったと話していました。
 そして、「臨界事故が起こりえない」としていたのは、政府の過信であるし、外国では核燃料工場で同じような事故が起こっているわけで、そういうものに学んでいないのは、まさに怠慢だ、政府の責任は大きいと思うということを、語っていました。村長さんの言葉からは、静かな口調ながら、たいへん強い怒りを感じました。

作業員が過って操作すれば、臨界事故が起こりうる施設だった

 前田 科学技術庁と原子力安全委員会の安全審査では、あそこでは臨界事故は起こらないし、仮に誤操作などがあっても、万全の対策があるということになっていたはずですね。実際にJCOではどんなふうだったのでしょうか。

 志位 JCOにいって、直接プラントの工程について確かめてみたんですが、「臨界事故はこの施設では起こりえない」と政府が認定したこと自体が、何の根拠もないということが、たいへん明りょうになりました。
 今回の事故は、会社が安全審査で認可された工程を無視した違法マニュアルをつくり、さらに作業員がそのマニュアルをも破った操作をおこなったことが、直接の原因とされています。しかし、人間というものは間違いを犯す。手抜きもする。問題は、それが起こったときに、臨界事故をくいとめる設計になっていなかったということです。
 安全審査で認可された工程(図)では、貯塔から臨界を起こした沈殿槽にパイプでつながっています。そのパイプに、貯塔から沈殿槽にウラン溶液を流し込むための、ポンプがついています。会社側の説明では、そのポンプに、流し込む溶液の容積をはかる装置がついているというのです。その装置で、どれだけの容積を流し込むかということを、セットできるようになっているということでした。
 しかし、そのセットをするのはだれかと聞くと、作業員なのです。そこで、私が、作業員がもし仮に、制限を超える量をセットしてしまったら、そのままはいるのかと聞くと、それははいってしまうことになるというのが答えでした。
 ですから、今回の事故は、沈殿槽ののぞき穴から溶液を入れるという形で、臨界が起こったわけですけれども、そうでなくても、安全審査で認可された工程どおりの手順でウラン溶液が流れていたとしても、作業員が誤ってウラン溶液の量を多めに設定してしまったら、そこで臨界が起こる危険があったのです。
 言葉をかえていうと、作業員の判断しか、臨界事故を防ぐ保障がなかった。意図的なものであれ、意図的でないものであれ、人間が誤った操作をすれば、臨界事故が起こりうるような施設であった。そのことがたいへんよくわかりました。

政府が「臨界事故は起こらない」とお墨付きをあたえたことが、一人歩きして

 前田 科学技術庁も、原子力安全委員会も、本来許可してはならない施設を許可してしまったということになりますね。

 志位 そのとおりです。一九八三年の十一月に、「核燃料物質加工事業変更許可申請書」という事業計画の申請書が、JCOから出されています。この申請書を読むと、「臨界事故については当施設では、……いかなる場合でも安全であるよう十分な設計がなされているので臨界事故は起こり得ない」と書いてあります。
 それをうけて、科学技術庁がおこなった安全審査をまとめた文書(八四年一月)では、「変更に係る施設については、……充分な安全対策が講じられており、一般公衆に対し過度の放射線被ばくを及ぼす事故が起こるとは考えられない」として、JCOの申請書をそのまま認可してしまっています。さらに、それをうけて、ダブルチェックをする原子力安全委員会がおこなった安全審査の答申(八四年四月)でも、「臨界管理は妥当なものと判断する」というお墨付きをあたえてしまっています。つまり、「この施設では臨界事故が起こりませんよ」というお墨付きを、科学技術庁も原子力安全委員会も、一片の書類審査だけで、あたえてしまったわけですね。
 「臨界事故が起こらない」という、本来すべきでない認定をしてしまった結果、その認定が、一人歩きしていく。作業をやっている会社も、監督しているはずの科学技術庁も、「臨界事故は起こらない」「たいした危険はない」と信じ込んでいく。JCOの関係者に聞いても、「臨界事故は起こらない」という認識で仕事をしていたと、のべていました。そういうなかで、危険がないならと、正規の工程をはぶいた裏マニュアルがつくられる。もっとはぶいてしまえ、ということで、さらに工程をはぶくことがやられて、ついに最悪の臨界事故を起こしてしまった。これが事の真相だと思います。

作業員にたいする臨界管理の教育もまともにはやられていなかった

 前田 臨界事故を想定していないから、事故の管理もまったくできませんでした。

 志位 そうですね。「臨界事故は起こらない」と認定されているわけですから、臨界が起こった後の対応策があるわけがないのです。中性子を測定する機器もない。臨界をおさえるためのホウ素の注入装置もない。事故が起こっても、ただ手をこまねいて、みているしかないわけです。
 それから、もう一点、現場にいってわかったんですが、「臨界事故は起こらない」ということを認定したために、臨界事故にたいする作業員への教育も、まったくといっていいほど、やられていなかった。

 前田 実際の作業をやって、放射線被ばくのために重症になった人たちも、臨界のことについてはほとんど知らなかったようですね。

 志位 そうだと思います。会社側の説明はこうでした。社員教育については、新転入時に一定時間やる。そして、法令に定められた年二回の教育をやるが、ここでは一般的な労働災害が中心であるということでした。年二回やっているものは、臨界事故にかんする教育ではないのです。
 では、新転入時に一定時間やる教育はどんなものかということで、テキストをもらったんです。テキストのなかで、臨界管理について出てくる個所が一カ所あるんですけれども、ここには、「臨界状態を起こさないために色々な制限があり、それを守るための指示書や手順書がある。また人の行動には間違いがあることを前提に、物理的な制限が加えられている」と書いてある。つまり、作業員が仮に間違っても、大丈夫だという筋になっているのです。

 前田 施設の実態とは、まったく逆の教育がおこなわれていたわけですね。

 志位 そうですね。作業員が間違えば、臨界事故が起こりうる設計だったわけですから。臨界事故がどんなに危険なものか、そしてこの施設では作業員が手順を間違えば起こりうるんだということを、厳しく警告して、全体のものにするような教育が、やられていなかったことも、事故を引き起こした原因の一つですね。
 ここでもやはり、「臨界は起こらない」という認定をやってしまったことが、一人歩きして、作業員への教育をゆがめ、ずさんにすることになっているのです。
 政府は、事故の責任を、もっぱらJCOの違法な作業のせいにしようとしています。たしかにJCOの責任は重大です。しかし、JCOがなぜあんな誤った作業をやったのか。その原因をたどっていけば、政府自身の「安全神話」につきあたる。
 政府には、「ウラン加工施設では、臨界事故は起こりえない」という思い込みがあった。この思い込みから、ほんらい認可すべきでない施設を認可してしまった。その結果「臨界事故は起こりえない」という結論が一人歩きし、JCOの現場の安全対策を深くむしばみ、空洞化させていった。政府の「安全神話」こそが、事故を引き起こした真の根本原因だということを、私は、強く感じました。

 JCOの事故からくみとるべき最大の教訓は、ここにあると、私は思います。

(つづく)


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