日本共産党

1995年11月23日〜24日「しんぶん赤旗」

登校拒否・不登校問題をともに考え、子どもの自立を確かなものにするために (上)、(下)

1995年11月22日 日本共産党・文教委員会責任者 石井 郁子


 石井郁子(日本共産党文教委員会責任者)論文「登校拒否・不登校問題をともに考え、子どもの自立を確かなものにするために」の全文を紹介します。

 登校拒否・不登校の子どもたちは年々ふえつづけ、小中学校でついに七万七千人にもたっしました(九五年八月十日「九四年度学校基本調査速報」文部省)。これは、年間三十日以上休んだ子どもの数ですから、欠席が三十日にみたない子どもや、すでに身体症状があらわれている子ども、保健室登校、遅刻・早退をつづける子どもたちをくわえると、この数倍、あるいはそれ以上になるともいわれます。文部省の発表数字は氷山の一角にすぎません。しかも、登校拒否・不登校の子どもは、年々低年齢化し、小学生のうちで「学校へ行く気がしない」と答える登校拒否的気分を抱いている子が、なんと二二%もいます(NHK「小学生の生活と文化」調査、九四年)。

 さらに、高校や青年期にはいっての登校拒否も増加の一途です。九万人をこえる高校中途退学者のなかには、こうした生徒が多くふくまれています。

 学校へ行かない・行けない子どもが、このように急激に増加する傾向は、すべての子どもたちを人間として主権者として育てていくという、公教育の任務が事実上崩されかねないほどの深刻な問題であり、社会の民主的な発展にとっても重大な問題となっています。

 ところが、こうした子どもたちの学習や生活の問題については、その子の親、あるいは担当教師・学校にまかされ、放置されているにひとしい現状です。これは、子どもの学習権、人権保障のうえから、けっして許されるものではありません。すべての子どもの人間的成長を保障するために国と社会全体でとりくんでいく必要があります。

 それだけに、この問題が直接の関係者にとどまらず広範な国民のあいだで討論され、解決の努力がすすめられる必要があると考えます。本論では、そのための問題提起の一つとして登校拒否・不登校問題の要因と、もとめられる対策について考えてみたいと思います。

一、登校拒否・不登校問題は、競争社会と学歴社会への警告 

(1)過度の競争と緊張で苦しむ子どもたち

 小学校に入学してまもなく不登校になる子、高学年で「疲れた、休みたい」といって登校を拒否する子、二十歳代になっても「閉じこもる」若者など、登校拒否・不登校問題はいまや幼年期から青年期におよぶ重大な教育・社会問題となっています。

 子どもたちは学校へ行けなくなったとき、前の晩に目覚まし時計をセットするなど、なんとか学校に行こうといたいたしい努力をします。しかし、いざ登校となると、不安や緊張感がたかまり、発熱や頭痛・腹痛などで学校へ行けない状態になるのです。その後、しだいに、自室に閉じこもる、生活が昼夜逆転する、不眠症やチック症など神経症的症状をみせる、家庭内暴力をふるうなど、いろいろなあらわれ方をします。

 これらの子どもたちが再登校して社会にでていくまでには、長い時間がかかる場合もあります。それだけに、登校拒否の子どもをかかえる親の苦しみ、悩みは察するに余りあります。なかには、家庭崩壊という深刻な事態も生まれています。

 登校拒否には、一人ひとりについて、きっかけ、状況、経過がちがうように、さまざまな要因がからみあっています。

 そのなかでまず、子どもをとりまく家庭や社会の環境が急激に変化したことが指摘されています。少子化の問題や地域での子ども同士の遊びの少なさなど、集団のなかで育ち自立していく条件が年ごとに悪くなっています。また、親たちは、長時間・超過密労働、単身赴任で身も心も疲れ、子どもと接する時間も諸外国とくらべ極端に少なくなっています。とくに“高度成長”期以降、企業社会の競争にまきこまれ、家庭生活のゆとりや親子のふれあいがうばわれてゆくとともに、子どもたちが一人ぼっちにされる状況が多くみられるなど子育ての困難さがひろがりました。

 わが国の過酷な労働条件などが、家庭生活を不安定なものにし、家族の結びつきを弱めることで、子どもの発達に影響をおよぼすとともに、家庭不和や場合によっては家庭崩壊をもひきおこしていきます。また、“カネとモノ”中心の消費社会の影響が、かつてなく子どもの生活と遊びにおしよせ、子どもたちはみずからの人間的価値に目覚めることがむずかしい状況にあります。

 登校拒否・不登校問題は、こうした子どもの成長や発達の基盤を切り崩してきた社会のマイナスの面が反映しているということを、真剣に考えなければなりません。

 学校との関係こそ

 しかし、なんといっても、登校拒否・不登校児は「学校へ行けない」のですから、学校と子どもとのかかわりを、真正面にすえて考えてみる必要があるのではないでしょうか。そのことなしには、登校拒否・不登校問題の本質にせまることはできないと思うからです。

 子どもをとりまく環境がはげしく変化し、自立する社会的基盤が不安定になればなるほど、学校は国民の期待にこたえ、その本来の教育的機能を発揮して、子どもの成長・発達をより確かなものにするよう、努めなければならないはずです。自立して社会にでていくための諸能力を身につける期間が学校生活です。

 ところが、いま学校はどうでしょうか。見すごすことのできない問題は「いじめられている」「いじめがおこなわれている学校に行きたくない」など、「いじめ」との関係です。子どもを自殺にまでおいやる深刻な「いじめ」の実態にたいして、少なくない学校では、いまなお、きちんとした対応がされておらず、「いじめ」があっても放置しているなど、逆にこれを助長している面すらみられます。それにくわえて教師による体罰の横行などが登校拒否・不登校の大きな要因となっているのです。

 また、登校拒否の子どもたちのなかには、「学業の不振」の問題をあげる子もいます。子どもたちは、小学校入学と同時に勉強、宿題、テストの毎日です。そのうえ、いつもテストの点数で評価され、「できる」「できない」で判別されつづけています。そのために、よい点数をとりつづけることに疲れたり、学習でつまずき遅れたりするとなかなか追いつけず、劣等感や挫折感を抱き、自己不信におちいってしまうような状況です。

 実際、これはつめこみと超スピードの授業を強化した学習指導要領の改定につれて、登校拒否児がふえつづけているという事実と一致します。小学校で五十日以上欠席した登校拒否児数をみると、七八年の学習指導要領改定時に三千二百十一人でしたが、八九年の改定時では約二・二倍の七千百七十九人となり、ついに九三年度では三・五倍の一万千四百六十九人にふえています。さらに、学年がすすむにつれて多くなり、小学校六年から中学校にかけて急増していることも特徴的です(文部省「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」九四年)。

 さらに、管理主義教育によって生活が管理され、個性がそこなわれ、校則や基準にいやいや合わせなければならない毎日です。こうして展望のない課題においたてられ、極度の緊張を強いられ不安感がたかまった結果、登校拒否に追いこまれていく子もいます。

 一点でも良い点をとることや他人をけ落とすことが当然視される風潮がつくられ、他人の悩みをわかちあおうという人間関係がくずれていることも重大です。いまの子どもたちは一見、友だち関係が成り立っているようにみえても、それぞれがバラバラで孤独な状況におかれているのです。「いじめ」の主な原因の一つともなっている、そうした人間関係・子ども集団から避難しようとすることも、登校拒否の一因となっています。

 子どもたちにとって、こうして学校は自分の「心地よい居場所」としてますます感じられなくなっているのです。

 受験競争の過熱

 もう一つ重大なことは、受験競争の過熱が幼児期までおよんでいるという学歴社会の弊害です。いまの子どもたちは、幼児期から親のきめた「目標」や「よい中学校・高校」「よい大学」をめざした受験競争にくみこまれ、「早く早く」とせきたてられているのではないでしょうか。この競争が、子どもの生活から遊びとゆとりと子ども同士の結びつきをうばい、時間でおいたてる生活を強いています。そのため、子どもたちは、あまりにも多忙で、疲れきっています。

 子どもの生活をみると、授業、クラブ活動(部活)、宿題など、学校にかかわる拘束時間が、諸外国にくらべ異常に長いうえに、子どもの成長にとって大切な睡眠時間が年々減少しています。「夜、眠れない」が三四%、「運動していないときでも疲れやすい」が二八%など、ストレスによる症状を訴えている子がふえています(前掲NHK「調査」)。

 また高校も差別的に多様化され、格差づけられているために、子どもたちは入試のさい、中学校での推薦や内申点によってきびしくふるい分けられています。本人の希望をぬきにして高校にはいらざるをえず、「不本意」入学を増大させています。それが将来の進路と夢を断ちきり、子どもたちを高校中退や不登校においこむ大きな要因ともなっています。

 このように登校拒否・不登校問題とは、ごく普通の子どもが、子どもとしての“ゆとり”を感じることができなくなっているうえ、急激に変化した社会や家庭のなかで、いきすぎた競争や管理のきびしい学校の影響のもとで、たえず不安をかかえこみ自分をさらけだせずに、しだいに自己否定や自己不信の状態においこまれていく結果おきることが多くなっています。

 それは、自分を痛めつづける学校や社会にたいする、やむにやまれぬ拒否反応、自己防衛のあらわれとみることができます。事実、登校拒否の子どもたちは、緊張感から解放され、自分を表現できる「自由」を感じたときには、本来の輝きをとりもどしているのです。

(2)たちあがる親たちととりくみが示すもの

 文部省は、長いあいだ、登校拒否・不登校を「問題行動」としてとらえ、その原因を子どもの「神経症的」行動や病気、「なまけ」「甘え」などにもとめるなど、子ども自身の問題、家庭の問題とする態度をとってきました。それが、登校拒否がふえつづけ社会問題化するなかで、ついに文部省も登校拒否は「どの子にも起こりうるもの」と認めざるをえなくなりました(文部省学校不適応対策調査研究協力者会議報告「登校拒否(不登校)問題について―児童生徒の『心の居場所』づくりを目指して」九二年三月十三日)。
 これは、登校拒否・不登校問題の多くが、学校をふくめた社会的要因にあることを認めたことにほかなりません。しかし、文部省は登校拒否を生みだしているみずからの行政責任をかえりみることなく、学校を「精神的に安心していることのできる場所―『心の居場所』としての役割を果たせ」などというだけで、その責任を一方的に学校や教師におしつけてきました。そのため、ある学校では登校拒否撲滅運動と称して、校長、教頭などが先頭にたって登校拒否児に登校をよびかけたり、学校にむりやりつれてくるなど解決に逆行する事態もうまれています。

 登校拒否・不登校問題の解決のためにたちあがってきたのは、登校拒否児をかかえる親たちであり、子どもの人権をまもろうとする教師や献身的な人びとでした。とくに親たちは、各地で会をつくり、交流し、学びあい、自覚的な教師などと協力しあって、さまざまな努力をしています。親と教師が信頼しあい協力しあって努力しているところでは、解決への一定の前進もみられます。

 こうしたとりくみからあきらかなことは、登校拒否・不登校問題とは子どもの資質の問題ではなく、明確に学校・社会のあり様こそが問われなければならない性格の問題であることです。そして学校のあり方にメスを入れて改善することなしに、学校へ行けない子どもにのみ登校を強制して解決できるような問題ではないということです。どの子ももっている自己回復力や自己成長力を信頼して、この力が発揮できるように援助すること、そのためにもまず親や教師がその子どもたちの現状をありのままにうけいれていくことがなによりも大切なのです。

 そして、親や教師にとって必要なことは、悩みを一人だけでかかえないで、きめこまかな援助のネットワークをつくっていくことです。子どもの苦しみや心のうちを親や教師がうけとめ、共有するところからはじめ、やがてはカウンセラーなど専門家の援助をえながら、いっしょになって子どもの自立にむけたとりくみを開始することではないでしょうか。

 以上の立場から、登校拒否・不登校問題について、つぎのような対策が急がれると思います。


登校拒否・不登校問題をともに考え、子どもの自立を確かなものにするために(下)/1995年11月22日

◇ ◇ ◇

二、登校拒否・不登校問題で学校や行政がすべきこと

 登校拒否をひきおこすさまざまな要因を、可能なところから一つひとつとりのぞいていくとともに、なによりもまず、学校に人間的あたたかさをとりもどすこと、安心して相談できる場をつくることが急がれます。 

(一)登校拒否・不登校を生み出さないように、一人ひとりに目配りを 

 (1)「いじめ」問題の克服と子どもの友だちづくりをとくべつ重視する

 いじめの放置、体罰、子どもの心を傷つける教師の言動などがきっかけとなって、登校拒否になるケースは多くあります。友だちへの「いじめ」や教師による体罰を目の当たりにして、恐怖を感じて学校に行けなくなる例もあります。それだけに、いじめ問題の克服、体罰の一掃を急がなければなりません。「いじめ」で子どもたちの人権や命にかかわる問題が発生した場合、その子どもの生命、人権をまもることが、すべてに優先されなければなりません(「人間を大事にする教育の実現こそ、『いじめ』問題克服の道―日本共産党の提言」九五年五月四日)。

 また、子ども同士の人間的ふれあいや人間としての連帯を大切にした友だち関係がつくれるようにすることは、子どもの自立をうながすうえでとくに重要です。学校では、子どもたちの個性を大切にし、子ども一人ひとりの“出番”をつくること、それらをつうじて人間的ふれあいの機会をもうけることをとくべつに重視していく必要があります。友だち同士ではげましあい切磋琢磨(せっさたくま)しあうことが、子どもの人間的成長にとって意義あるばかりか、そのなかでつくりだされる「友だちに会いたい、遊びたい、学びあいたい」という子ども自身の感情、願望、要求は、登校拒否・不登校問題の解決にとっても重要だからです。

 (2)親が安心して相談できる体制づくりをいそぐ

 わが子の登校拒否・不登校に直面した親にとって、安心して相談できる場がないことが、登校拒否問題の解決を困難にしています。親がはじめに相談するのは教師ですから、教師・学校は親の相談に誠実にこたえ、また一人ひとりにあった対応をする必要があります。教職員集団が真剣に登校拒否問題で相談し対応しあえる学校づくりをめざします。

 また、教育行政は、気軽に相談できる機関を設けるべきです。その場合、臨床心理の専門家、児童相談所のケースワーカー、精神科医などの専門家、カウンセラーの援助がどうしても必要です。これらの専門家と学校、教育関係者との協力、連携をつよめることが大切です。各学校や教育行政は、カウンセラー、教育相談員との協力ができるよう、必要なネットワークづくりをすすめていくことがもとめられます。

 ところが、一部では、相談所・室のカウンセリング料が一回七千円から一万円などと高く、親の大きな負担になっている場合があります。公的援助制度を確立して、父母負担をなくし、安心して相談できるようにすべきです。また、カウンセラーの多くが非常勤であるため、落ち着いて仕事ができる条件に欠けるとの指摘があります。文部省は、カウンセラーの養成・配置とともにその身分保障にも力をそそぐべきです。 

 (3)「子どもの権利条約」をくらしのなかに生かす 

 「子どもの権利条約」は、子どもを独自の権利と要求をもった独立した人間としてみることをもとめており、この立場にたって、家庭でも学校でも子どもと接する必要があります。とくに学校では、子どものあいだの問題を、形式的な多数決の原理でおしきったり、建前をくりかえして説得するのではなく、子どもの納得を大事にしなければなりません。それは、自由と平等の真の民主主義を、教育の場に確立する根幹でもあります。教師も親も子どもとのぶつかりあい、葛藤(かっとう)をさけないで、民主主義的な関係をつくりあげることが大切です。

 この条約にもとづいて、校則、学校行事、クラブ活動(部活)など学校生活全般についても見直していくことが大切です。中学・高校での自主的な生徒会活動の保障、生徒の参加による校則の見直し、改正への、全校レベルのとりくみを急ぐべきです。

 「子どもの権利条約」を子ども、父母、学校、地域のなかでもっと普及、活用させることとあわせて、「子どもの権利条約」に反する、政府・文部省の諸通達、通知、法令の廃棄を要求します。

 たとえば、現行の諸法令等の改正を「必要はない」として、管理主義教育を容認する文部省事務次官通知「『児童の権利に関する条約』について」(九四年)、また高校生の自主的活動を禁止する初中局長通知「高等学校における政治的教養と政治活動について」(六九年)などの無効確認、破棄は当然です。 

 (4)三十人学級など条件整備をいそぐ

 教師のあたたかく余裕あるまなざしが一人ひとりの子どもにとどくよう学級定数を縮小し、できるだけ早く欧米並みの一クラス二十人前後の学級編成にすべきです。当面、三十人学級を要求します。

 保健室登校が可能な子が多くいます。子どもの心の健康をうけとめてくれる養護教諭の役割が大きいにもかかわらず、その配置は三学級から二十九学級で一人、三十学級をこえる大規模校に二人という状況です。本来の職務を遂行するうえからも、全校必置を前提に養護教諭を児童・生徒三百人ごとに一人を配置するなど抜本的に配置基準を見直し増員すべきです。そして保健室は、現在のような大部屋のほかにドアのある小部屋、相談室もつくるなど構造上も配慮すべきです。

 文部省は、以上の緊急にもとめられている条件整備をさけ、登校拒否のでている学校にたいして、専門にあたる教員の加配のみでこと足りるとしています。しかも、登校拒否の子どもがでている学校が一万四千百五十二校(九二年度)もあるのに、これまで加配された教員はわずか三百人程度にすぎません。もし文部省が、ほんとうに「どの子にも起こりうる」(前掲文部省報告書)と認めるのなら、登校拒否問題に専門にあたることのできる教員をすべての学校に配置すべきでしょう。

 子どもの再登校をスムーズにうけいれ、彼らの権利を保障できるようにするために、文部省は、「一年以上当該学校に通学していない児童生徒は教職員定数の算定上は在籍しないこと」とする通知(八五年十二月二十三日)をただちに改正すべきです。 

(二)登校拒否・不登校の子どもの学習と進路の保障を 

 (1)学校へ行けない子どもへの学習の機会の確保 

 学校へ行けない子どもの学習権を保障することはきわめて重要です。そのために、子どもが通常生活する範囲のなかに、なんらかの学習の場を設けるなどの工夫が必要です。文部省のすすめる「適応指導」学級は、再登校を前提としたり、性急なミニスクール化をめざすのではなく、子どもの「心の居場所」を保障することを第一の目標として運営されなければなりません。

 登校拒否児の再学習と進学の道が多様にひらかれていることも必要であり、そのための制度改革を急ぐべきです。現状のもとでも、登校拒否の子どもたちの学習に役だっている学童保育、夜間中学校、定時制通信制高校、単位制高校などを、学習権保障の立場から条件整備することは大切です。また、障害児学級(情緒障害児)、病虚弱児養護学校(寄宿舎をふくむ)の実績に注目し、その充実を急がなければなりません。

 また高校入試にあたっては、登校拒否の有無、出席日数に関係なく受験資格をあたえ、登校拒否をしたことで差別されないなどの配慮が必要です。中卒者や高校中退者にも、各種資格の取得や大学検定試験の活用をふくめ、再進学の道をひらくなど、必要な手だてを講じること、とくに公立の職業訓練施設では、中卒者を対象とした資格取得に必要なカリキュラムを設けるなど、門戸をひろげるべきです。 

 (2)登校拒否・不登校児の自立を支援している民間施設への援助

 登校拒否の子どもをあずかり、その自立の手助けをしている民間の施設のほとんどは、自覚的な意思や善意でおこなわれ、公的援助がないため運営が苦しく、親の負担も大きいのが現状です。文部省など行政当局が登校拒否問題の対応をおこたり放置してきたためです。これまで、私財を投げだしてまで登校拒否児問題にとりくんできた、民間の人たちへのさまざまな公的援助をおこなうのは当然です。

 民間施設にかよう日数が学校の出席日数として認定されている施設については、ただちに公的補助の対象にすべきです。また子どもの通園等にあたっての交通費への学割適用、施設での学習費などの、教育費控除の適用を急ぎます。

 教育委員会など行政当局は、学校へ行けない子どもたちの自立を献身的に手助けをしている親たちの、“草の根”のとりくみを支援し援助すべきです。同時に、「風の子学園」など児童虐待を手段に「登校拒否児の治療」などを売り物にしている施設については、責任をもって指導し、適切な規制をする必要があります。 

(三)登校拒否・不登校の子どもたちの「親の会」へ公的援助を

 いまや、「親の会」の活動は、きわめて重要な役割をになっています。親たちが、「親の会」をつうじてカウンセラーなどの専門家や登校拒否の子をもつ親同士のあいだで、たがいの苦しみを語りあい、学びあいながら、みずからも変わり、その心でわが子と向かいあい、わが子をうけいれていくことができるからです。ところが、そうした「親の会」への公的援助がほとんどありません。そのため、集いの場所など活動の場を確保するだけでも大変です。和歌山県などでは、自治体が「親の会」を援助しています。公民館など公的施設の無料開放、会報発行への援助、さらには学習会への講師の交通費補助や運営費補助などを実現させましょう。

おわりに

 未来の主権者としての子どもの成長、自立をたしかなものにするには、人間が大事にされる教育・社会の形成が不可欠であるとともに、一人ひとりがかけがえのない存在としてありのままに認められ、子どもの成長や発達のみちすじにそって学校教育がていねいに整備、確立されることが大切です。

 戦後五十年のいまこそ、憲法・教育基本法にある教育の理念を学校教育の中心にすえて、人間を大切にする教育へ、人間的自立をたしかなものにする教育へと変えていこうではありませんか。「勉強ぎらい」「学校ぎらい」をつくる学習指導要領の抜本的見直しを大きな世論にし、学校にゆとりと人間的あたたかさを取りもどしましょう。

 また、子どもの成長と発達にとってかけがえのない家庭にこそ、ゆとりと「家族のきずな」がなくてはなりません。労働基準法が定める「人たるに値する生活」からほど遠い日本の現状で登校拒否問題を家庭のみの責任にすることはできません。サービス残業などはただちにあらためるべきですし、労働時間の大幅短縮、完全週休二日制を実施させましょう。

 「効率」「スピード」「利潤」の価値のみが優先される社会のゆがみがいよいよあらわになってきました。そのうえ、正義が正義としてとおらない政治、無差別殺人、「いじめ」による自殺事件など、社会の病理は深刻です。人間の尊厳がまもられる世直しのために力をあわせようではありませんか。

 「子どもは特別な保護及び援助についての権利をもつ」(「世界人権宣言」)

 「子どもの人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限まで発達させること」(「子どもの権利条約」)

 これらは世界の合意なのです。子どもたちにとってよい環境であること、未来に展望をもち安心して冒険と創造にとりくめること、そして、人権、環境、平和がまもられる社会にするために、おとなの責務をはたそうではありませんか。地域で子育ての輪をひろげ、登校拒否・不登校問題の解決にむけ、ともに力をつくしましょう。


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