日本共産党

□「革命」とは

◇「革命」の意味は

 革命というのはなにも物騒なことではありません。中央委員会でものべたことですけれども、前の首相の森喜朗さんは「IT革命」という言葉が大好きでした。いろんな分野で何か大きな変化を起こそうとすると、何とか革命、何とか革命、こういうことがしきりにいわれます。政治の舞台でいえば、政治や経済の大きな流れを変えること、これが革命と呼ばれるものであります。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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◇なぜ「革命」というのか

 では、なぜ、それを革命と呼ぶのか。その解明が次に続きます。

 「それらは、資本主義の枠内で可能な民主的改革であるが、日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移すことによってこそ、その本格的な実現に進むことができる」

 つまり、そういう形で、国の権力を、ある勢力から別の勢力の手に移すことによって、はじめて民主的改革を全面的に実行することができるようになるわけだし、この変革を革命と意義づける根拠もそこにあります。

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

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◇民主主義革命は、社会主義につながるのか

 民主主義革命にしても、社会主義的変革にしても、日本がその道をすすむかどうかは、すべて、国の主人公である日本国民の判断にかかわる問題です。今回の改定案では、この立場から、民主主義革命そのものが、社会主義につながる性格を本来的にもっているとか、民主主義革命が成功したら、次の段階への前進を急ぐのが当然の任務になるとか、連続革命論的な誤解を残すような表現は、すべて取り除き、社会の進歩は、どんな段階でも、主権者である国民の判断の発展によってすすむという根本の見地が、すっきりとつらぬかれる表現に整理したわけです。

(「党綱領改定案についての質問・意見に答える」から)

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◇社会主義に向かう場合も「革命」?

 田代さん(中央)からの質問は、「社会主義的変革」といって、「社会主義革命」と言わない理由はなにか、というものでした。これは、民主主義革命の段階から社会主義的変革の段階に前進する場合の、権力の変化の仕方を考えてのことです。第四章で、民主主義革命について、革命によって実現される内容は「民主的改革」なのに、それがなぜ「革命」なのかという問題を、国の権力が一つの勢力から別個の勢力に移るのが革命だ、という立場から、次のように解明していました。すなわち、民主的改革を本格的に実現するためには、「日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力」から、「日本国民の利益を代表する勢力」の手に、国の権力が移らなければならない、という事情です。それによってこそ、民主的改革の諸課題は達成され、日本国民の歴史を転換する事業がなしとげられるのです。

 では、社会主義への前進のさいに、同じようなことが起こるだろうか、というと、この過程には、いろいろな場合がありえます。国民の大多数が社会主義・共産主義への前進を支持するときには、政権を構成している勢力のあいだでも、それに対応する前進があるでしょうから、民主連合政府が、「社会主義をめざす権力」に成長・発展するという場合もあるでしょう。あるいは、情勢の進展のなかで、政権勢力のあいだに再編成が起こり、政権の構成が変わる、という場合もあるでしょう。実際的には考えにくいことですが、理論的には、別個の勢力がそれまでの政権にとってかわって、新しい任務の推進者になるという場合も、起こらないとはいえません。社会主義的変革への発展は、国の権力という面から見ると、こういうさまざまな可能性をふくみますから、国の権力が別の勢力の手に移行することを意味する「革命」という言葉は、使いませんでした。

(「党綱領改定案についての質問・意見に答える」から)

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□「ルールなき資本主義」をどうする

◇「ルールなき」資本主義――日本経済の弱点・欠陥

 では、日本経済、日本資本主義の弱点はどこにあるのか。日本の現状を同じ資本主義国でもヨーロッパの国ぐにと比べてみると、問題がはっきり浮き出てきます。大企業の横暴勝手が野放しにされて、国民の暮らしや権利を支える手だて、仕組みが貧弱だということ、ここに私は、日本経済の最大の弱点・欠陥があると思います。

 いくつかの実例を挙げてみましょう。

 日本で働いている方の大部分は、企業で働いている労働者の方々です。その労働者の方々が、同じ資本主義の国でも、ヨーロッパの労働者とどれだけ違った状況におかれているか、という問題です。

 職場に行きます。日本では法律や協約で七時間とか八時間とか一日の労働時間が決まっていても、それに残業がついてくるのが当たり前になっています。しかしヨーロッパでは、七時間と決まったら一日の労働時間は七時間なんです。よほどのことがない限り追加の残業はありません。

 だから、労働者もその家庭も、七時間の仕事がすんだらきちんと帰ってくるということを基準にして、生活を組み立てています。ましてや、ただ働きのサービス残業なんてことは、考えられもしません。私たちがヨーロッパの方々に日本の実情を説明しても、理解してもらうのにたいへん苦労するのです。

 労働時間の関係では、くわえて有給休暇の問題があります。日本では、法律では最高二十日と決まっています。しかし、二十日の休暇をまとまって取る人はあまりいないで、病気欠勤の穴埋めに使う、それも使い残して、政府の統計だと半分も使われていないのが実情です。ところが、ヨーロッパでは、たとえばドイツでは二十四日、フランスでは三十日と決まっていますが、これをばらばらで使う人はいないんです。みんな、夏休みなどにまとめて使う。ドイツでは法律の想定をこえて、労使の協定で夏四週間、冬二週間、休暇をまとめてきちんと取ることがだいたい、世間の標準になっています。

 さらに労働強化による「過労死」が日本では大問題ですが、これはほかの国では例のないことで、それにあたる言葉はどこにもなく、「カローシ」という日本語で、世界に通用しています。それぐらい、労働強化の面でも、日本は異常なのです。

 解雇されるときはどうか。日本には、労働者を解雇するときに、資本が守るべきルールを決めた法律はありません。しかし、ドイツでもフランスでも解雇制限法、解雇規制法というのがあって、道理のない解雇は厳しく禁じられています。

 しかも、解雇されたあとはどうなるかというと、失業保険の長さがまるで違います。日本では相次ぐ改悪で、いま定年退職だと失業保険は約五カ月、リストラでも、最高十一カ月でしょう。ところがドイツは、失業保険は最高三十二カ月ですから、二年以上職を探しながら生活ができます。フランスではいま、最高六十カ月です。

 ヨーロッパと日本では、同じ資本主義国といっても、働くものの立場を守る仕組みがこれだけ違うのです。

 政府の側の問題はどうでしょう。これは選挙のときにくりかえし訴えてきたことです。世界中で、国民の暮らしを支える社会保障のために、国や地方が出す支出よりも、大型プロジェクト中心の公共事業に出す支出の方が多いなんていう国は、日本以外どこにもありません。つまり、企業と労働者のあいだの関係で、働くものの暮らしや権利を支える仕組みが弱いのに、それに加えて、政府の税金の使い方も逆立ちになっています。

 ここに、実は、日本経済の最大の弱点があるのです。だから、不況に見舞われると、日本は不況が特別に深刻になります。いま、株価が少し上がったといって政府は喜んでいますが、もっとつっこんだ経済評論を見ると、株価は上がっても雇用が伸びない、消費も伸びない、まだたいへんだということが指摘されています。専門家は、国民の消費という一番の経済の土台を見るのです。それが日本ではたいへん弱くて、もっとも不安定だということ、この根本の弱点が日本経済をとりわけ基盤の弱いものにしているのです。

 私たちは、こういう点をしっかり見て、この弱点を大もとから正そうじゃないか、このことを、経済改革の方針として、今度の綱領改定案で明確にうちだしました。

 ヨーロッパにはあるが、日本にはルールがないか弱い、そこを改革して、国民の生活と暮らし、権利を守る“ルールのある経済社会”をつくろうじゃないか。国民に薄く、大企業に手厚い税金の「逆立ち」した使い方を変えようじゃないか。大企業にもそれなりの社会的責任をきちんと果たしてもらおうじゃないか。そういうことをはっきりと示したのが、私どもの経済の民主的改革の方針であります。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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◇たとえば「原発問題」では

 私たちは、当面的な基準ではなく、やはり改革の基本方向をしめすもの――十年、二十年という物差しでその有効性を保ちうるもの、そういう気構えでつくりました。

 一例をあげます。原発の問題でもっと具体的な提起を、という発言は、多くの方からありました。すでに吉井さん(国会)からかなり詳しい解明がされましたが、私からも若干の点をのべておきます。現在、私たちは、原発の段階的撤退などの政策を提起していますが、それは、核エネルギーの平和利用の技術が、現在たいへん不完全な段階にあることを前提としての、問題点の指摘であり、政策提起であります。

 しかし、綱領で、エネルギー問題をとりあげる場合には、将来、核エネルギーの平和利用の問題で、いろいろな新しい可能性や発展がありうることも考えに入れて、問題を見る必要があります。ですから、私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか、これは、いまから予想するわけにはゆかないことです。

 ですから、私たちは、エネルギー政策の記述では、現在の技術の水準を前提にして、あれこれの具体策をここに書き込むのではなく、原案の、安全優先の体制の確立を強調した表現が適切だと考えています。

(「党綱領改定案についての質問・意見に答える」から)

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◇「綱領改定案」から

 1 「ルールなき資本主義」の現状を打破し、労働者の長時間労働や一方的解雇の規制を含め、ヨーロッパの主要資本主義諸国などの到達点も踏まえつつ、国民の生活と権利を守る「ルールある経済社会」をつくる。

 2 大企業にたいする民主的規制を主な手段として、その横暴な経済支配をおさえる。民主的規制を通じて、労働者や消費者、中小企業と地域経済、環境にたいする社会的責任を大企業に果たさせ、国民の生活と権利を守るルールづくりを促進するとともに、つりあいのとれた経済の発展をはかる。経済活動や軍事基地などによる環境破壊と公害に反対し、自然と環境を保護する規制措置を強化する。

 3 国民生活の安全の確保および国内資源の有効な活用の見地から、食糧自給率の向上、安全優先のエネルギー体制と自給率の引き上げを重視し、農林水産政策、エネルギー政策の根本的な転換をはかる。国の産業政策のなかで、農業を基幹的な生産部門として位置づける。

 4 国民各層の生活を支える基本的制度として、社会保障制度の総合的な充実と確立をはかる。少子化傾向を克服する立場から、子どもの健康と福祉、子育ての援助のための社会施設と措置の確立を重視する。

 5 国の予算で、むだな大型公共事業をはじめ、大企業・大銀行本位の支出や軍事費を優先させている現状をあらため、国民のくらしと社会保障に重点をおいた財政・経済の運営をめざす。大企業・大資産家優遇の税制をあらため、負担能力に応じた負担という原則にたった税制と社会保障制度の確立をめざす。

 6 すべての国ぐにとの平等・互恵の経済関係を促進し、南北問題や地球環境問題など、世界的規模の経済問題の解決への積極的な貢献をはかる。

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□独立、主権の日本をつくる

◇日本は独立国?

 一つは、日本が本当の独立・主権の国とはいえない状態にあることであります。

 日本が戦争に負けてから五十八年たちました。敗戦のときにアメリカが日本を占領して、占領軍の権力で日本中に米軍基地をつくりました。その基地の骨組みが沖縄にも、そしてこの東京にも―横田基地がその代表ですが―、あるいはお隣の神奈川の横須賀の軍港にも残っています。そしてアメリカ軍のこれらの基地は、アメリカが自分の戦争のために勝手に使える仕組みになっています。こういうことは、日本の長い歴史の中でもかつて経験したことがないことであります。

 そういう状態にある国を独立国とはいえません。しかも、そういう状態にあるために、日本の政府は、アメリカがやる戦争については、どんなに無法な戦争、道理のない戦争であってもすべて賛成する、そういう立場に縛られています。二十世紀の六〇年代から七〇年代にかけて、アメリカがベトナムへの侵略戦争をやりました。日本はその最前線の基地になりました。この戦争がいかに無法な侵略戦争であったかということは、いまでは世界で隠れもない事実ですけれども、日本の政府はこれにまったく反対せず、いまでもこれに協力したことを反省していません。

 テロ問題が起きたときに、アフガニスタンがテロの拠点だというので、アメリカが報復戦争を仕掛けました。私たちは、こういうやり方ではテロはなくならない、世界の世論と正義の道理でテロ勢力を追い詰める、これが大事だと訴えましたが、日本の政府はアメリカの報復戦争に無条件で賛成でした。

 続いてアメリカがイラクに戦争を仕掛けました。国連では最後まで議論が続きました。北大西洋同盟条約という、日米安保条約よりも歴史の古い軍事同盟をアメリカはヨーロッパ諸国との間に結んでいましたが、このなかでも大きく意見が分かれました。しかし、そのときも日本の政府は、アメリカがやる戦争なら賛成だと、イラク戦争賛成の態度をとりました。

 そしてアフガニスタンにたいする戦争では、自衛隊の軍艦をインド洋に送り、イラクの戦争のときにもその軍艦が引き続きインド洋に残っていてアメリカの戦争に協力する、こういう態度を取りました。

 “日本政府はアメリカのいうことには絶対に反対できない政府だ”、このことはいま世界中で有名になっています。

 しかもみなさん、いま新聞をご覧になると、あの対イラク戦争に、いったい道理があったのか、大義があったのか、このことが当のアメリカやイギリスでも大問題になっているでしょう。

 アメリカのブッシュ大統領は“イラクは大量破壊兵器を確実に持っている、われわれはその証拠を握っている、国連がいくら査察しても見つける能力がない、だから国連の査察を相手にしないで、われわれが戦争で解決するんだ”といって、一方的に戦争を始めました。ところが、戦争が終わってイラク全土を占領したが、何カ月たってもどうしても見つけることができない。ですからいま戦争をやったアメリカでも、イギリスでも、議会やマスコミでこの戦争が正当な戦争であったのかどうかということが大問題になっています。

 ところが日本政府はどうでしょう。小泉首相がアメリカのイラク戦争に賛成する根拠にしたのは、ブッシュ大統領がイラクには大量破壊兵器があるといっているということ、それだけでした。あれだけ国際的に議論されて、さまざまな角度から検討されても、そういうものにはいっさい耳を傾けず目を向けない、ブッシュ大統領がいっているから間違いない、それだけで、あの不法な戦争に日本を引きずり込み、自衛隊を戦争に協力させたのです。

 しかもいまの国会には、イラク新法といって、自衛隊をアメリカのイラク占領軍の応援部隊として派遣する法律がかけられて、衆議院では通過し、参議院も間もなく強行をはかるという段取りになっています。

 アメリカやイギリスが戦争の根拠にし、日本政府も戦争支持の根拠にした大量破壊兵器の存在、それがどうだったのかがいま大問題になっているのに、自分が根拠にしたことが正しいかどうかの検証もしないで、イラクに自衛隊を送り込む次の法律を平気で用意する。みなさん、これぐらい自主性のない国はいま世界には見あたりません。

 一昨日(七月十六日付)の「しんぶん赤旗」にエジプトの有力な新聞で論陣を張っている方(アルアハラム紙のコラムニスト、サラマ氏)が、「赤旗」記者とおこなったインタビューが掲載されました。この方は、その中で、日本がイラクに自衛隊を派遣したら、日本とアラブ諸国の関係が台無しになる、そういう心配をしながら、こういっていました。

 「私たちは日本人やその文化に親しみを持っています。しかし懸念するのは、今回のように国際的な危機が発生したときにはいつも日本政府が米政府の政策に従うことです。それも盲目的に、よく考えることもなしに」。よく見抜いているじゃありませんか。「これではわれわれは日本の外交政策を信用することができなくなります」。

 この気持ちはけっしてこのエジプトの一論者だけのものではありません。私たちはこの間、アラブの国ぐにともアジアの国ぐにとも、そしてヨーロッパの国ぐにとも多くの対話や交流をおこなってきました。ほとんどの国の代表が、“日本はアメリカになぜノーといえないのか。そんな状態を続けていたら、いったい二十一世紀にどんな道があるというのだ”、そういう気持ちをズバリズバリと語ります。

 みなさん、私たちは、綱領改定案で、この現状を、いまの日本は「きわめて異常な国家的な対米従属の状態」にあると表現しました。この状態から抜け出さない限り、私は、二十一世紀の国際政治で、日本が国際社会の尊敬や信頼をかちとりながら生きてゆく道はないと思います。

 従属国から抜け出さない限り、二十一世紀の世界で日本が堂々と生きていく道はない。しかし、この大問題を正面から取り上げている政党は日本共産党だけというのが、残念ながら日本の政界の現状であります。

 しかしみなさん、ここには二十一世紀に、日本の国民がどんなことがあっても解決しなければいけない大問題があります。日米安保条約を国民の総意で廃棄して、独立・自主・非同盟の日本に道筋を切り替える。そして、平和の憲法をいかして、世界から信頼される、自分の足で立った平和の外交に転換する。私たちはこの切り替えこそがいま日本がぶつかっている大きな大変革の一つになると考えています。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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「日本共産党綱領改定案についての提案報告」関連部分

◇「党綱領改定案」から

 わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカに握られた事実上の従属国となっている。

 わが国には、戦争直後の全面占領の時期につくられたアメリカ軍事基地の大きな部分が、半世紀を経ていまだに全国に配備され続けている。なかでも、敗戦直後に日本本土から切り離されて米軍の占領下におかれ、サンフランシスコ平和条約でも占領支配の継続が規定された沖縄は、アジア最大の軍事基地とされている。沖縄県民を先頭にした国民的なたたかいのなかで、一九七二年、施政権返還がかちとられたが、米軍基地の実態は基本的に変わらず、沖縄県民は、米軍基地のただなかでの生活を余儀なくされている。アメリカ軍は、わが国の領空、領海をほしいままに踏みにじっており、広島、長崎、ビキニと、国民が三たび核兵器の犠牲とされた日本に、国民に隠して核兵器持ち込みの「核密約」さえ押しつけている。

 日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍の掌握と指揮のもとにおかれており、アメリカの世界戦略の一翼を担わされている。

 アメリカは、日本の軍事や外交に、依然として重要な支配力をもち、経済面でもつねに大きな発言権を行使している。日本の政府代表は、国連その他国際政治の舞台で、しばしばアメリカ政府の代弁者の役割を果たしている。

 日本とアメリカとの関係は、対等・平等の同盟関係では決してない。日本の現状は、発達した資本主義諸国のあいだではもちろん、植民地支配が過去のものとなった今日の世界の国際関係のなかで、きわめて異常な国家的な対米従属の状態であって、アメリカの対日支配は、明らかに、アメリカの世界戦略とアメリカ独占資本主義の利益のために、日本の主権と独立を踏みにじる帝国主義的な性格のものである。

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□自衛隊をどうする

◇自衛隊の段階的解消

自衛隊の問題です。

 憲法との関係は違いますが、自衛隊の問題にも、解決の仕方には、天皇制の場合とよく似た問題があります。日本の憲法第九条には、日本は戦力を持たない、それからまた、武力行使はしない、武力による威嚇もしない、国際紛争の解決に武力は使わない、こういうことが明記してあります。

 この条項に照らしていえば、自衛隊をもっとも強く擁護する人でも、いまでは自衛隊が戦力であることを否定する人はいません。その点からいっても、いまの自衛隊のあり方、ついに海外派兵までやるようになった現状が憲法違反であることは明らかであって、自衛隊を違憲の存在だとするわれわれの立場は少しも変わりません。

 しかし、これも、日本共産党がそういう主張をし、そういう立場をとっているというだけでは、解決できないのです。

 すでに半世紀、国民は自衛隊とともに生活してきました。“安保条約と自衛隊なしに日本の安全は守れない”ということが、それこそ、国をあげてという形で広められてきました。憲法と自衛隊との矛盾を解決するには、やはり、国民の合意というものが何よりも大事になります。

 私たちはこういう立場で、三年前の党大会で自衛隊の段階的解消という方針を定めました。

 民主連合政府ができますと、安全保障の問題で、まずやることは安保条約をなくすことです。これについては安保条約に規定がありまして、日本政府が安保条約はいらない、廃棄するという日本の意思をアメリカに通告すると、アメリカの同意がなくても一年たったら条約はなくなる、こういう取り決めがあります。この取り決めに従って、廃棄の通告によって安保条約をなくす、民主連合政府はまずこのことを実行するでしょう。それはもちろん、国民の合意がなくてはできません。

 しかし私たちは、「安保条約をやめて、日本の独立を回復しようじゃないか」ということで、国民多数が賛成だということになったときにも、その多数の方が「一緒に自衛隊までなくしちゃおうじゃないか」ということに簡単に合意するとは思っていません。いくら憲法第九条があっても、「自衛隊をなくしてもいいよ」という気持ちに国民がなるには、やはりそれだけの時間と手続きがいると考えています。日本が憲法第九条に従って、自衛隊を持たなくてもちゃんとアジアで平和に生きていけるじゃないか、そういうことに国民が確信を持てるようにならないかぎり、その合意はすぐ生まれるものではないのです。

 だから私たちは、三年前の党の大会で、自衛隊については、「段階的解消」という方針を決めました。軍縮などの措置はすぐにとりかかることができるでしょう。何しろ今の日本は、憲法第九条で軍隊を持ってはいけないことになっているのに、軍隊に使っている軍事費は、アメリカに次いで世界で二番目、そこまで大きな軍隊を持つ国になってしまっているのですから、その流れを、軍備拡大から軍備縮小に切り替える、この仕事にとりかかることが大事です。

 そういうことをやりながら、アジアの平和な関係を築く努力を最大限にやる。東南アジアでは、どんな国際紛争も武力ではなく平和な話し合いで解決しようということが、東南アジアのすべての国の合意になっています。そういう合意が北東アジアに広がり、アジア全体に広がってゆくなかで、私たちが憲法第九条を条文どおりに具体化しても、アジアの国ぐにとちゃんと安心して平和に生きていけるような、そういう状態をつくりあげることができます。その努力を日本が先頭に立ってやる、こういうなかで、憲法の完全実施に向かって一歩一歩前進していこうじゃないか、こういう方針を三年前の大会で決めました。

 そのことを、今度の綱領改定案では綱領らしい形で明記したわけであります。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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「日本共産党綱領改定案についての提案報告」関連部分

◇「党綱領改定案」から

 自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。

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□天皇をどうする

◇憲法にある制度として、天皇制と共存

天皇制の問題です。

 戦前の日本では、日本共産党は「天皇制打倒」という方針をかかげました。戦前は、天皇が国の全権力を体現していましたから、天皇が全権限を握るという政治の仕組みをなくさない限り、平和もない、民主主義もない、社会のいろんな改革もないのです。天皇制打倒の立場に立たないと、国民主権の民主主義の立場も、侵略戦争反対への反戦の立場も、成り立ち得ない。そういうときですから、わが党の先輩たちは、命がけで天皇制反対、天皇制打倒の旗をかかげたのです。このために「国体に反対する」ということで迫害され、随分多くの方たちが命を落としました。しかし平和と民主主義のために、この旗を貫きました。

 しかし、戦後は、みなさんご存じのように、天皇制の性格と役割が憲法で変わりました。戦争前は天皇というのは、日本の統治者で、国の全権限を握った存在でした。ところが今の天皇は「国政に関する権能を有しない」、つまり、国の政治を左右する力はまったく持たないものだということが、憲法第四条に明記されています。だから、天皇制をなくさないと、私たちがかかげる民主的な改革、安保条約の廃棄もできないとか、国民の暮らしを守るルールもつくれないとか、そういうことはないわけです。だから私たちは、四十二年前に綱領を決めたときも、実際にはもっと前からですが、「天皇制打倒」の旗をかかげたことは一度もないのです。

 もちろん私たちは、日本の国の制度、政治の制度の問題としては、一人の個人が「日本国民統合」の象徴になるとか、あるいは一つの家族がその役割をするとか、こういう仕組みは民主主義にもあわないし、人間の平等の原則にもあわないと考えています。ですから将来の日本の方向として、どういう制度をとるべきかということをいえば、天皇制のない民主共和制をめざすべきだというのが日本共産党の方針であって、この点に変わりはありません。

 しかし天皇制というのは、憲法で決められた制度であります。日本共産党の考えだけで、変えられるものではありません。日本の国の主人公である国民の間で、民主主義をそこまで徹底させるのが筋だという考えが熟したときに、はじめて解決できる問題であります。それまでは、私たちの好き嫌いいかんにかかわらず、憲法にある制度として、天皇制と共存するのが道理ある態度だと私たちは考えています。

 では、共存しているときに何が大事かといえば、私はこの点でも、憲法で決められたことをきちんと守ることが非常に大事だと思います。先ほどいいましたように、憲法第四条には、天皇は「国政に関する権能を有しない」と書いてあります。

 世界にはいろんな君主制があります。イギリスではいま女王が君主の地位についています。こういう君主制の国では、国政に関する権能をまったく有しない君主というものはいないのです。君主というからには、統治権の一部は必ずもっており、「国政に関する権能」を持っているのです。それを憲法で、勝手なことができないよう制限している、これが立憲君主制なんですね。みなさんご存じでしょうか。イギリスの議会で施政方針演説を誰がやるかというと、書くのは政府ですが、議会でこれを読み上げて演説するのは女王なんです。やはり君主として統治権を持っていることのあらわれが、そういうところに起きるわけですね。日本のように、「国政に関する権能を有しない」ということを定めた条項をイギリスは持っていません。

 国の政治の体制の性格をみるには、主権がどこにあるか、ということが一番大事です。日本は、憲法で国民主権を明確に宣言している国ですから、天皇主権の国ではなく、天皇と国民が主権を分かち持っている国でもありません。主権が国民に属する国ですから、日本の今の政治の体制を君主制だというと、これは大きな誤解を生むことになります。だから今度の綱領の改定案では、その種の言葉はやめました。

 そうすると、天皇制と共存している時期に何が一番大事か。憲法のこの条項を守ることです。国政に関する権能がないのに、昔のように、天皇にだんだん政治的な権能を持たせようとするような動きとか、君主扱いするような動きとか、そういうものが、いろんな形で顔をだし、むしろ強くなってゆく傾向にあります。これにたいして、日本共産党が、憲法に照らして、そういう間違いをきちんと正そうじゃないか、天皇制の問題でも、憲法どおりの政治の運営、国の運営もやろうじゃないか、こういうことをきちんとやることが大事です。そのことを私たちは今度の改定案で具体的にうたいました。

 まとめていいますと、私たちは、目標としては民主主義の精神、人間の平等の精神にたって、天皇制をなくす立場に立ちます。これをどうして実現するかといえば、主権者である国民の多数意見が、その方向で熟したときに、国民の総意で解決する、ということです。これが、天皇制の問題を解決してゆく、道理ある方法だと考えて、今度の綱領に明記したわけであります。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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◇国会での「賀詞決議」をめぐって

 次に天皇条項の問題に関連して、稲垣さんから、一昨年国会でおこなわれた皇太子の長女誕生にさいしての「賀詞決議」にかかわる質問が出ました。

 まず、問題の基本からのべますと、私たちは、一般的にいえば、憲法で定められた国家機関のあいだの儀礼的な関係として、慶弔のいろいろな事態にたいして、「賀詞」や「弔辞」が出されることそのものを、全般として否定する態度はとっておりません。もちろん、その場合でも、民主主義の立場にたって、どこまでが“許容範囲”か、という問題があります。私たちは、その点で、国権の最高機関である国会が、皇室との関係で、とくにへりくだったり、いたずらに相手がたをあがめ奉ったりする態度(用語をふくめて)はとるべきでない、ということを、その都度、国会のしかるべき場所で主張してきました。

 例の賀詞の問題では、経過的にみて、一つの問題が起きたのです。最初に参議院の案が提示され、その案をもとに検討し、党は賛成の態度を決めました。ところが、衆議院では、党の代表は、基本的な態度はのべたのですが、文案そのものの吟味はおこなわず、結果的にはいいっぱなしということになりました。当事者は、内容は参院の賀詞とほぼ同じと思っていてのことでしたが、衆院の賀詞には、参院のものにはなかった文言、「皇室の繁栄」を望むという趣旨の文言が入っていたのです。これは、日本の将来にもかかわる問題で、天皇制にたいする党の考え方からいって、賛成しえない問題でした。こういう経過から、衆議院では、党の立場にふさわしい原則的な態度がとれなかった、という結果になりました。

 これが、一昨年の国会での賀詞決議をめぐる問題の経過であります。

 こういう問題は、これからも、いろいろな形で起こりうるものですが、今回、天皇制の現在と将来にたいする党の基本態度を、綱領であらためて明確化するということもあり、ことの性質におうじた正確な対処をするように、努力したいと考えています。

(「党綱領改定案についての質問・意見に答える」から)

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◇「党綱領改定案」から

 天皇条項については、「国政に関する権能を有しない」などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。

 党は、一人の個人あるいは一つの家族が「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。しかし、これは憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。

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□資本主義は究極の社会か

◇資本主義が直面する矛盾

 社会主義をめざすというのはどういうことか。それはいま資本主義が落ちこんでいる矛盾を見れば分かります。生産力があまりにも巨大になって、それをうまく管理できないでもてあましている。資本主義の矛盾とか危機といわれるものの根源には必ずこれがあるのです。

 いま、地球の環境が危ないといわれます。昔生命が地球上に生まれたときに、陸地に出ていっても生きてゆけるような環境条件を三十億年以上かかって整えた、それが、最近のわずか数十年の資本主義の活動で、温暖化とかオゾン層の破壊とか、根本から脅かされようとしている。ここまで経済の管理能力がないのだったら、資本主義はもうもたないんじゃないか。

 私は「赤旗まつり」でも、こういう話を何回かしてきましたが、地球環境の問題は、巨大な生産力を資本主義がうまく管理できなくなっている、もてあましているということの、もっとも典型的なあらわれであります。

 不況という問題も同じです。経済力が大きくなりすぎて、その生産手段を使い切れないでいるのが不況ですから。

 なぜそんなことが起きるのか。それは経済を動かす原動力が、個々の資本のもうけの追求だというところに一番の根っこがあります。利潤第一主義、これが経済のあらゆることを支配しているから、経済全体の管理ができないのです。しかも、その巨大な生産力と生産体制を現実に動かしているのは、そこで働いている人たちなのですが、その人たちは社会的には資本にやとわれ、使われるという受け身の存在で、生活も厳しい条件のもとにあります。ここにも利潤第一主義の不合理と犠牲があります。

 それを乗り越えることが、私たちは、次の新しい社会の一番大事な役目だと考えています。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

関連部分

◇「資本主義を離脱した国」とは?

 最上さん(福島)からは、「資本主義から離脱した」国はどれだけあって、その現状をどう評価しているかという質問がありました。私たちが、「資本主義から離脱した」国としているのは、現在ある国では、中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮です。そのなかで、現実に社会主義への道にたって努力をしていると見ているのは、中国、ベトナム、キューバで、この改定案で「市場経済を通じて社会主義へ」という路線に立っての取り組みについてのべているのは、中国とベトナムです。キューバについては、私が話のなかで、この路線に取り組んでいる国の一つとしてあげたことがあるのですが、昨年、上田副委員長を団長とする代表団がキューバを訪問したときの意見交換では、市場経済路線はとっていないとのことでした。

(「党綱領改定案についての質問・意見に答える」から)

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◇「党綱領改定案」から

 ソ連などの解体は、資本主義の優位性を示すものとはならなかった。巨大に発達した生産力を制御できないという資本主義の矛盾は、現在、広範な人民諸階層の状態の悪化、貧富の格差の拡大、くりかえす不況と大量失業、国境を越えた金融投機の横行、環境条件の地球的規模での破壊、植民地支配の負の遺産の重大さ、アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの多くの国ぐにでの貧困の増大(南北問題)など、かつてない大きな規模と鋭さをもって現われている。

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□アメリカでマルクスに注目

◇過去1000年間で最も偉大な思想家はマルクス
 ――BBCアンケート――

 マルクスについていいますと、これは去年の赤旗まつりで話したことですが、二十世紀が終わって、二十一世紀を迎えようというときに、九九年の秋でしたが、イギリスの公共放送のBBCが、国内国外の視聴者に、「過去一千年間」、百年じゃないですよ、「過去一千年間で最も偉大な思想家は誰か」というアンケート調査をやったことがあるのです。第三位が生物の進化を明らかにしたダーウィンでした。第二位がアインシュタインでした。そして第一位が、抜群でマルクスでした。イギリスの公共放送は、けっしてマルクスびいきではありません、その公共放送が、率直、簡明に、アンケート調査をやったら、第一位がマルクスだったのです。

 二番目の問題。去年の一月、「ワシントン・ポスト」にクリントン政権の商務副次官だった人物が、論文を書きました。論文の書き出しの言葉は、「この世界のどこかで次のマルクスが歩いている」。何かというと、“いまやアメリカは、世界最大の資本主義国であり、唯一の超大国だとして、大きな顔をしている。しかし、おごりたかぶると、必ず昔のローマ帝国や大英帝国のように、衰え滅亡する。マルクスは片付いたと思っていても、次のマルクスが、世界のどこかで必ず歩いている、前途はたいへんだぞ”、こういう趣旨の論文でした。そこでは、「次のマルクス」が歩いていそうなところとして、ずいぶん、世界中、さまざまな国や都市の名前が挙げられていました。(笑い)

 三番目は去年の八月です。今度はイギリスの「フィナンシャル・タイムズ」という、経済・財政関係の新聞ですが、イギリスのオックスフォード大学の教授で、アメリカでも教授をやっている経済学者が、いまこそマルクスに耳を傾けるときだ、という趣旨の論文を書いています。「マルクスが十九世紀の資本主義について指摘した欠陥は、今日においても明白に存在している」というのです。

 マルクスは過去の思想家どころではないのです。

 きょうはこの三つにくわえて新しい情報を追加しましょう(笑い)。アメリカの三大週刊誌といわれる一つに『USニューズ・アンド・ワールド・リポート』というものがあります。それが最近、「二十世紀を形作った三つの知性」という特別号を出しました。マルクスとアインシュタインと精神分析学のフロイト、この三人の人物を挙げて、それぞれなりにいろんな論評や論文が出ているのです。

 マルクスのところに、「いま、マルクスがいるところ」という文章がありまして、アメリカの大学の様子が書かれていました。それによると、アメリカの大学にはいまたいへんな変化が起きているとのことです。“一九六〇年代はマルクスの講座を持っていたのは一握りの大学だけだったが、今日その数は四百を超えている。ある見積もりによれば、大学でのマルクス主義の教授の数は、一九八〇年代半ばまでに一万人に到達した。マルクスを読み、労働者の権利のために献身している社会主義の思想グループ、こういうグループが活動している大学の数は、二〇〇二年は百十八だったが、二〇〇三年には三百近くに急上昇した。そして、アメリカのイラク戦争に反対する運動が、この傾向と結びついている”というのです。

 この雑誌の編集者もマルクスびいきではないと思います。表紙に三人の知性の顔をならべたなかでも、マルクスは一番小さく描かれていました(笑い)。しかし、資本主義の総本山であるアメリカで、こういう変化が起きているということは、私は非常に興味あることだと思います。

 二十一世紀の世界というのは、そういう世界です。ソ連が崩壊した、東ヨーロッパが崩壊した。では、“資本主義万々歳か”というと、そうはいかないよ、と総本山に住んでいる人たちが思っているのです。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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□貧しい国で新たな模索

◇資本主義を乗り越える

 経済面では、多くの国ぐにが資本主義経済の枠組みの中で活路を見いだそうとしましたが、二十世紀の経験では、ごく一部をのぞいて、成功しませんでした。資本主義の枠の中で活路を見いだそうとしても、かえって重荷が重なって、進んだ資本主義国との経済的な格差がどんどん開いていく。世界の貧困のいわば集中地帯になる。

 南北問題といわれますが、私は、この広大な地域に資本主義をのりこえる新しい模索が始まるのが二十一世紀の大事な特徴になるんじゃないかと考えています。

 とくにこの世界で、社会主義に向かう新しい潮流が発展していることは重大であります。アジアでは中国、ベトナム。ラテンアメリカではキューバ。

 中国は革命以来、五十四年たちました。多くの大波乱があり、「文化大革命」というような内乱状態が起きたこともあります。無法が横行したこともあります。しかし、九〇年代の最初に「市場経済を通じて社会主義へ」という路線を確立し、百年単位の大計画を立てて、いま国づくりに取り組んでいます。私たちも、その中国と五年前に関係を正常化しました。そのときの交渉で、私たちは中国の現在の指導部が、毛沢東時代にわが党にたいしておこなった乱暴な干渉についてきっぱり反省し、それを是正する約束をきちんとする態度を見て、こういう誠実な態度なら、まじめな対話と交流ができることを実感したのですが、その実感にそった関係がいま発展しています。

 アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカ全体が低迷している中で、中国やベトナムのアジアでの発展、キューバのラテンアメリカでの発展、とくにアジアでの発展は二十一世紀の重要な流れとして世界中から注目されています。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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「日本共産党綱領改定案についての提案報告」関連部分

◇「党綱領改定案」から

 二一世紀の世界は、発達した資本主義諸国での経済的・政治的矛盾と人民の運動のなかからも、資本主義から離脱した国ぐにでの社会主義への独自の道を探究する努力のなかからも、政治的独立をかちとりながら資本主義の枠内では経済的発展の前途を開きえないでいるアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国ぐにの人民の運動のなかからも、資本主義を乗り越えて新しい社会をめざす流れが成長し発展することを、大きな時代的特徴としている。

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□異なる文明の平和共存

◇共産党の野党外交――アジア、ヨーロッパ、イスラム世界…

 日本共産党が、いろいろな国の政権党と外交をやりあう、これは昔はあまり考えられなかったことです。なかでもこれまでの常識でいうと、交流が難しいと思われてきた多くの国ぐにと、私たちは外交関係を開いてきました。

 たとえば、昨年十月に緒方国際局長を団長とする代表団がサウジアラビアを訪問しました。イスラムの盟主といわれている国です。サウジアラビアは、“共産主義とは共に天を戴(いただ)かず”という立場から、ソ連とも中国とも長く国交を持たず、国交を結んだのは、ようやく九〇年代の初めだったという国です。そういう国が、わが党の代表団を喜んで迎えてくれて、政府の代表と会談し、そこでイラク問題で意見の一致を確認し合う、こんなことは以前は考えられないことでした。

 私たちの野党外交の広がりの背景には、日本共産党がソ連のアフガニスタン侵略に反対したことなどを知って、そういう自主独立の党ならという、共感や評価がもちろんあります。同時に、そこには、世界の流れの変化が反映している点が大事だと思います。

 それに関連して、ひとつ報告があります。このほど、チュニジアの政権党の立憲民主連合から、私のところに党大会への招待状が届きました。「あなたが率いる代表団」の大会参加を望むというものでした(拍手)。このチュニジアの大統領は立憲民主連合の党首です。首相は副党首です。実は三年前に外務大臣が訪日したのですけれども、そのとき私が会談して、パレスチナ・イスラエル問題など、中東問題を話しあいました。この外相も政治局員でした。「あなたが率いる」とわざわざいってきたのは、このときの会談も背景にあったのかもしれません。

 チュニジアというのは北アフリカの地中海に面するアラブ・イスラム国家の一つで、以前はフランスの植民地でした。民族独立運動に勝利して、一九五六年に独立をかちとりました。アラブの世界で重要な地位を占めていて、アラブ連盟の事務局がここに置かれたこともあり、パレスチナのPLO、アラファト議長の組織がイスラエルの侵略で追われたときには、この組織の代表事務所をチュニジアに迎えて、そういうことを十年続けたこともある、そういう国です。しかもヨーロッパとイスラム世界を結ぶ大事な接点ともなっている国です。

 私たちは多くのイスラム国家と交流していますが、党の代表者がアラブの国の政権党から招待を受けたというのは日本共産党の歴史で初めてのことでありまして、私は“喜んでお受けする”という返事を出しました。(拍手)

 大会は七月二十八日からですが、私は、新しい世界へのこの訪問が、イスラム世界との友好と連帯を深めると同時に、アジア、ヨーロッパの諸党との新しい対面の機会となることを楽しみにしています。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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◇「党綱領改定案」から

 社会制度の異なる諸国の平和共存および異なる価値観をもった諸文明間の対話と共存の関係の確立に力をつくす。

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□帝国主義とは

◇「帝国主義」をどうとらえるべきか

 今日の世界資本主義を分析する上での大きな理論問題として、帝国主義をどうとらえるべきか、という問題に入りたいと思います。

 二〇世紀のはじめ、帝国主義が地球全体をほぼ支配するにいたった時期に、最初に帝国主義の全面的な分析をおこなったのは、ご承知のように、レーニンの『帝国主義論』でした。レーニンは、第一次世界大戦のさなかに書いたこの本のなかで、「帝国主義とは資本主義の独占段階である」という定義を与え、これをもっと具体的に展開したものとして、「帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が形成され、資本輸出が卓越した意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、そして最大の資本主義諸国による地球の全領土の分割が完了した、そういう発展段階の資本主義である」とのべました。

 この特徴づけのうち、最後の、地球の全領土が資本主義諸大国によって植民地として分割され終わった、という点は、帝国主義の時代が始まる転機として、レーニンがもっとも重視した点でした。これ以後は、ある独占資本主義国が植民地を獲得したり、拡大しようとすれば、世界の分割のしなおしを要求するしか道はなくなります。だから、帝国主義時代に入ると、世界の再分割、植民地の奪い合いの戦争が起こるのだ、と分析したのでした。

 これは、いわば帝国主義時代の特徴づけですが、各国の分析をするときにも、独占資本主義の段階に達した国は、いやおうなしに帝国主義の政策、領土や植民地拡張の政策をとるようになる、というのが、当時は、世界政治と世界経済の自明の方向でした。

 たとえば、日本のように、あとから追いつく形で独占資本主義の段階にすすんだ国は、おくれをとりもどして自分の植民地を獲得しようとして、アジアで、もっとも凶暴な帝国主義の道をすすみました。また、ドイツのように、第一次世界大戦で敗北し、すべての植民地をとりあげられた独占資本主義国は、その力を回復すると、ヨーロッパでの大規模な領土拡張戦争にのりだして、西方における第二次世界大戦の最大の火付け人となりました。

 つまり、この時代には、帝国主義とは、独占資本主義の段階に到達した資本主義のことだ、あるいは、独占資本主義の国は帝国主義国となる、こう規定してほぼ間違いなかったのです。

 ところが、二〇世紀の後半に、世界情勢には、この点にかかわる巨大な変化が進行しました。すでに見たように、植民地体制が崩壊し、植民地支配を許さない国際秩序も生まれました。さきほど、レーニンが、地球の領土的分割が完了したことを、帝国主義時代の始まりの画期としたと話しましたが、領土的分割のもとになる植民地そのものがなくなってしまったのです。それだけでも時代は大きく変化しました。こういう時代ですから、資本の輸出なども、以前のような、経済的帝国主義の手段という性格を失ってきています。

 独占資本主義というのは、独占体が中心ですから、独占体に固有の拡張欲とかそれを基盤にした侵略性とか、そういう性格や傾向を当然もっています。しかし、今日の時代的な変化のなかでは、それらが、植民地支配とその拡大とか、それを争っての戦争などという形で現れるという条件はなくなりました。

 そういうときに、すべての独占資本主義国を、経済体制として独占資本主義国だから、帝国主義の国として性格づける、こういうやり方が妥当だろうか。この点は、根本から再検討すべき時代を迎えている、というのが、ここでの問題提起です。

党の綱領で、ある国を「帝国主義」として告発するのは、どういう時か?

 党の綱領というのは、経済学の文献ではなく、政党の政治文書であります。その綱領で、ある国を「帝国主義」と呼ぶときには、それは独占資本主義にたいする学問的な呼称だということではすまないのです。「帝国主義」という呼称には、その国が、侵略的な政策をとり、帝国主義的な行為をおこなっていることにたいする政治的な批判と告発が、当然の内容としてふくまれます。

 問題は、そういう立場で考えたときに、「独占資本主義=帝国主義」という旧来の見方で世界を見てよいだろうか、という問題です。最近でも、イラク戦争の問題をめぐって、独占資本主義国のあいだで、先制攻撃戦争という道に国連無視で踏み出したアメリカ、イギリスと、これに反対するフランス、ドイツが対立しました。この対立を、帝国主義陣営内部の対立、矛盾と見てすむか、そうではなくなっているというところに、世界情勢の今日の変化があるのではないでしょうか。

 「独占資本主義=帝国主義」という旧来の見方についていえば、私たちが、綱領問題でとってきた立場は、従来から、この見方ですべてを見るという機械的なものではありませんでした。日本は独占資本主義の国であることは明らかですが、アメリカに支配された従属国家という一面をももっています。私たちの党の綱領的立場は、そのことを重視して、日本は独占資本主義の国だが、帝国主義の国ではない、この面では復活の過程にある段階だと規定してきました。

 しかし、現在では、もっと立ち入って、対米従属下の日本の特殊問題としてではなく、より一般的な意味で、帝国主義という規定を再検討する必要があると、私たちは考えています。

 すでに説明してきたように、植民地体制の変化をふくむ現在の世界情勢の変化のもとでは、独占資本主義の国でも、帝国主義的でない政策や態度、つまり、非帝国主義的な政策や態度をとることは、ありえることです。さきほど紹介した、イラク戦争におけるフランス、ドイツの態度は、その一つの現れであります。

 こういう時代に、私たちが、ある国を帝国主義と呼ぶときには、その国が独占資本主義の国だということを根拠にするのではなく、その国が現実にとっている政策と行動の内容を根拠にすべきであり、とくに、その国の政策と行動に侵略性が体系的に現れているときに、その国を帝国主義と呼ぶ、これが政治的に適切な基準になると思います。

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

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◇「党綱領改定案」から

 アメリカが、アメリカ一国の利益を世界平和の利益と国際秩序の上に置き、国連をも無視して他国にたいする先制攻撃戦争を実行し、新しい植民地主義を持ち込もうとしていることは、重大である。アメリカは、自分を「世界の保安官」と自認することによって、アメリカ中心の国際秩序と世界支配をめざすその野望を正当化しようとしているが、それは、独占資本主義に特有の帝国主義的侵略性を、ソ連の解体によってアメリカが世界の唯一の超大国となった状況のもとで、むきだしに現わしたものにほかならない。これらの政策と行動は、諸国民の独立と自由の原則とも、国連憲章の諸原則とも両立できない、あからさまな覇権主義、帝国主義の政策と行動である。

 いま、アメリカ帝国主義は、世界の平和と安全、諸国民の主権と独立にとって最大の脅威となっている。

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□私有財産はどうなる

◇「生産手段」と「生活手段」の区別

 人間が社会で作っているいろいろな物資は、大きく分けると二種類あるのです。衣食住をはじめ、私たちが生活のなかで消費してゆくもの、これは生活手段なんです。これにたいして、いろいろなものを生産するために使うものが生産手段なんです。

 「生産手段の社会化」というのは、共産主義・社会主義の社会になって、社会化されるのは何かということを言葉の上でも明確にしています。つまり社会化されるのは、生産に使われる物資だけであって、生活の手段は社会化の対象にならないということが、この言葉にははっきり表現されています。

 よく私たちへの非難として、共産党の社会になると貯金全部とられちゃうぞとか、財産を全部もっていかれるとか、そんなことをよくいわれます。しかし、人間にとって生活の上で大事な生活手段の財産はしっかり守り、豊かにしようというのが、共産主義・社会主義の大事な内容なんです。(拍手)

 私たちは今度の綱領の改定案に、そのことをはっきり書きました。「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」。

 なお、つけくわえていえば、生産手段の「社会化」も一律のものではありません。私的な経営、個人経営が、長く役割を果たし、そのことが尊重される部門も広くあります。綱領改定案が「農漁業、中小商工業など私的な発意(はつい)の尊重」と書いているのは、そのことです。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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◇生活手段の私有財産は守られる

 すなわち、社会化と私有財産の関係について、

 ――この変革によって社会化されるのは、生産手段だけで、生活手段を社会化する必要はない、

 ――逆に、生活手段については、私有財産として生産者自身のものになる権利が保障される、

 こういう形で、問題が理論的に整理されるようになりました。

 『資本論』の刊行から間もない時期に、こういう事件がありました。当時、インタナショナル(国際労働者協会)という国際組織ができて、マルクスがその指導的なメンバーとなっていましたが、この組織に、いろいろな方面から、激しい反共攻撃がくわえられました。その一つに、インタナショナルは「労働者から財産を奪う」という非難があったのですが、インタナショナルの会議で、エンゲルスがただちに反撃をくわえました。その立場は明確です。

 「インタナショナルは、個々人に彼自身の労働の果実を保障する個人的な財産を廃止する意図はなく、反対にそれ〔個人的財産〕を確立しようと意図しているのである」(全集(17)六一五ページ)

 反撃はきわめて明りょうです。「生産手段の社会化」という定式を確立したことが、私有財産の問題でも、反共攻撃を許さない明確な足場をきずくことに結びついたのです。

 この立場は、私有財産の問題での原則的なものとして、改定案に明記されています。

 「社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される」(第一五節の二つ目の段落)

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

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◇「党綱領改定案」から

 社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。社会化の対象となるのは生産手段だけで、生活手段については、この社会の発展のあらゆる段階を通じて、私有財産が保障される。

関連部分


□労働時間の抜本的短縮

◇労働時間の短縮――より多面的な人間に成長、発展する道が開かれる

 マルクスは労働時間の短縮ということを非常に重視しました。いま私たちが、みんな一日八時間働いて、これだけのものをつくっているとしましょう。生産力が二倍になったら、労働時間を半分にしても同じ量のものができるはずです。生産力が四倍になったら、労働時間を半分にしてもいままでの二倍の量のものができるはずです。生産力の発展というのは、まともな社会だったら、労働の時間を減らして、それ以外の時間を増やすことと結びつくはずなのです。そうしたら短い労働時間を社会のためにつくしたあとは、自由に使える時間が十分にできる、あとの時間は遊んじゃうという人もいるでしょうけど(笑い)、遊ぶだけじゃさびしいから、自由な時間を自分の持っている能力を発展させるために使えば、より多面的な人間に成長、発展する道が開ける。誰でもやる気になればそういうことができる。そういう社会になるはずです。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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◇労働時間短縮の意義

 第一。「生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす」(第一五節の三つ目の段落)

 この文章で注意してほしいのは、一般的な生活の保障、向上の問題とあわせて、人間の全面的な発達を保障することを、未来社会の非常に大事な特徴としていることです。社会を物質的にささえる生産活動では、人間は分業の体制で何らかの限られた分野の仕事に従事することになります。しかし、労働以外の時間は、各人が自由に使える時間ですから、時間短縮でその時間が十分に保障されるならば、そこを活用して、自分のもっているあらゆる分野の能力を発達させ、人間として生きがいある生活を送ることができます。この人間の全面的発達ということは、社会主義・共産主義の理念の重要な柱をなす問題でした。労働時間の短縮にも、こういう意義づけが与えられてきたのですが、人間の発展のこういう大道が開かれる、というのが、大事な点です。

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

関連部分

◇「党綱領改定案」から

 生産手段の社会化は、人間による人間の搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、社会から貧困をなくすとともに、労働時間の抜本的な短縮を可能にし、社会のすべての成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす。

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□地球環境を守るには

◇資本主義の地球管理

 地球環境条件の破壊の問題ですが、いまオゾン層の破壊や地球温暖化の危険として問題になっていることは、この地球がもっている“生命維持装置”――人類やその他の生物が地上で生存できるようにしている環境条件――を根底からくつがえす環境破壊です。この“生命維持装置”は、科学がすでに明らかにしているように、地球に生命が誕生して以来、三十億年以上の年月をかけた自然と生命体の共同作業でつくりあげられてきたものです。その装置が、世界資本主義の最近わずか数十年の経済活動で崩壊の危機にさらされるようになったのですから、今日の資本主義にこれを解決する能力がないとしたら、それはまさに、資本主義が地球の管理能力を失っているということの証明にほかなりません。

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

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◇もうけ本意から抜け出してこそ

 いまの地球がこんなにひどいことになっていることをみると、もうけ本位で勝手放題にやってはだめだ、経済への計画的な働きかけが大事だ、と誰でもが思います。だから小泉内閣でも「計画」と名のつくものをずいぶん作りました(笑い)。雇用拡大計画だとか。高齢者対策の計画だとか。しかしいま自民党政治のもとで立てられる計画で、100%近く実行されるのは、防衛力増強の計画ぐらいのものです(笑い)。あとはまったく看板だおれです。

 それは実際の経済の動きが、資本の利潤本位の行動に任されているからです。いくら政府が机の上で計画を立てても、これは現実の社会になんの影響もおよばさない。公害もなかなかとめられない。

 生産手段が社会のものになって、そういう個々の企業の利潤本位のやり方がなくなったとき、はじめて経済を計画的に動かしてゆく道が開かれます。

 自動車をこれだけ増やしても、それが大気汚染を増やさないようにするためにはどういうことが必要か。こういう計画がはじめて本物の形で問題になるようになります。ここにも新しい側面が開けるでしょう。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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◇生活の発展のための生産へ

「生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の成員の物質的精神的な生活の発展に移」す。つまり、もうけのための生産から、社会と社会の成員の生活の発展のための生産にきりかわる、ということです。これによって、「経済の計画的な運営」が可能になり、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大を引き起こさないような、有効な規制ができるようになる、ということです(第一五節の四つ目の段落)。

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

関連部分

◇「党綱領改定案」から

 生産手段の社会化は、生産と経済の推進力を資本の利潤追求から社会および社会の成員の物質的精神的な生活の発展に移し、経済の計画的な運営によって、くりかえしの不況を取り除き、環境破壊や社会的格差の拡大などへの有効な規制を可能にする。

関連部分


□市場経済と社会主義

◇市場経済とは

 市場経済といいますと、何か資本主義と同じものだと思っている方もおいでですけれども、市場経済というのは自由に商品が売買され、市場で競争し合う仕組み、体制のことです。これは資本主義に向かう道筋にもなれば、条件によっては社会主義に向かう道筋にもなりうるのです。

 日本はいま、資本主義的な市場経済が支配している国であります。そこで私たちが将来社会主義への道に踏み出すとしたら、資本主義的市場経済のただなかに、社会主義の部門が生まれることになるでしょう。もちろん、そこには資本主義の部門が残っていますから、社会主義の部門と資本主義の部門が同じ市場の中で競争し合うことになるでしょう。社会主義の部門が能率が悪くて、製品の出来も悪かったら、そういうだめな社会主義は当然、市場で淘汰(とうた)されます。そういう過程をへながら、経済の面でも一段一段、国民の目と経験で確かめながら、社会主義への段階を進む。当然、日本はこういう道筋をたどるでしょう。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

関連部分

◇市場経済を通じて社会主義へ

 第二の点は、市場経済を通じて社会主義へすすむ問題であります。

 中国やベトナムの場合には、いったん市場経済をしめだしたあとで、市場経済を復活させる方針に転換し、いま「市場経済を通じて社会主義へ」という道に取り組んでいます。しかし、日本の場合には、いま資本主義的市場経済のなかで生活しているわけですから、社会主義に向かってすすむという場合、社会主義的な改革が市場経済のなかでおこなわれるのが、当然の方向となります。市場経済のなかで、社会主義の部門がいろいろな形態で生まれ、その活動も市場経済のなかでおこなわれる、そういう過程がすすむし、その道すじの全体が「市場経済を通じて社会主義へ」という特徴をもつでしょう。

 そこで、どのようにして、計画性と市場経済とを結びつけるのか、農漁業や中小商工業などの発展をどのようにはかってゆくのか、それらは知恵の出しどころですが、そういう点を重視しながら、日本らしい探究をすすめることを、わが党の注意点として書きました。

 なお、「計画経済」を国民の消費生活を規制する「統制経済」に変質させてはならないという点は、「自由と民主主義の宣言」をはじめ、わが党が一貫して重視してきたことです。

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

関連部分

◇「党綱領改定案」から

市場経済を通じて社会主義に進むことは、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向である。社会主義的改革の推進にあたっては、計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営、農漁業・中小商工業など私的な発意の尊重などの努力と探究が重要である。国民の消費生活を統制したり画一化したりするいわゆる「統制経済」は、社会主義・共産主義の日本の経済生活では全面的に否定される。

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□選挙による国民合意ですすむ

◇どんな改革も国民の合意によって

 どんな改革も国民の合意によってやるということです。民主連合政府をつくったら、国民が民主主義の段階だと思っているあいだに、政府が勝手に社会主義にいっちゃったなどということは絶対ないのです(笑い)。国民と相談しないで勝手に改革をやるということはありません。

 社会主義への最初の改革に進みだすときでも、事前に選挙による国民の合意を得て実行する。さらに次の改革をやるときにも、そういう国民の合意を先行させる。これは、当たり前のことであります。「人間が主人公」の社会をつくろうというのに、国民をそっちのけにした、勝手なことができるはずがありません。(拍手)

 そのことは綱領改定案で、「その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる」と明記されています。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

関連部分

「日本共産党綱領改定案についての提案報告」関連部分

◇「党綱領改定案」から

 社会主義的変革は、短期間に一挙におこなわれるものではなく、国民の合意のもと、一歩一歩の段階的な前進を必要とする長期の過程である。

 その出発点となるのは、社会主義・共産主義への前進を支持する国民多数の合意の形成であり、国会の安定した過半数を基礎として、社会主義をめざす権力がつくられることである。そのすべての段階で、国民の合意が前提となる。

関連部分


□人間が主人公

◇「人間のため」が経済の第一目的に

 「生産手段の社会化」に社会が踏み出したら、人間社会の前には、資本主義のもとでは考えられなかった、いろいろな新しい展望が開けてきます。

 まず、生産や経済が、資本のもうけのためではなく、社会のためにはたらくようになります。社会を構成しているのは人間ですから、人間のためということが経済の第一の目的となります。ですから経済条件が許すなかで、社会を構成する人たちの生活をいかにして保障するか。これが経済の中心になります。

 それだけではありません。マルクスという人は、未来社会を考えるときに、人間が全面的に発展する社会だということを一番強調しました。どういうことかというと、私たちはみんな頭と体にさまざまな能力を持っています。しかし自分の持っている能力を全部発展させる機会にはなかなかめぐまれない。分業社会ですから。たまたま、めぐりあわせである仕事にぶつかったら、一生その仕事ですごしてしまうという人が多いのです。隠された能力がいっぱいあっても、自分でも発見しないままに人生が終わってしまう。それはさびしいじゃないかということが、マルクスの未来社会論の根底にあるのです。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

関連部分

◇「党綱領改定案」から

 社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる。「搾取の自由」は制限され、改革の前進のなかで廃止をめざす。搾取の廃止によって、人間が、ほんとうの意味で、社会の主人公となる道が開かれ、「国民が主人公」という民主主義の理念は、政治・経済・文化・社会の全体にわたって、社会的な現実となる。

関連部分


□ソ連社会とは何だったのか

◇社会主義とは無縁の人間抑圧型の社会に成り下がったソ連

 ソ連の覇権主義がこの間に表面化し、社会主義の精神に反するその実態をさらけだしながら、最後には崩壊にいたったことであります。私たちは、ソ連の覇権主義との闘争に正面から取り組みながら、それを生み出したソ連社会の実態についても研究をおこない、「ソ連社会は、対外関係においても、国内体制においても、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会であった」という結論的な認識に到達しました。この面からいえば、党綱領の制定以来の四十二年間は、こういう認識の確立にいたる過程だった、といってよいと思います。

 若干経過的にふりかえると、最初にぶつかったのは、社会主義の立場に立っているはずのソ連からの、日本共産党にたいする無法な干渉攻撃でした。こんな無法な行動に出る相手は、社会主義ではありえない、というのが、当時の私たちの直感的な認識でした。そして、私たちは、わが党にたいする干渉だけでなく、ソ連の国際政治の上でとる覇権主義の政策と行動にたいして、きびしい批判と告発、三十年にわたる闘争をおこない、世界におけるその役割は、進歩と平和への逆流、「巨悪」だと位置づけました。私たちは、ソ連社会の実態についても、研究をおこなってきましたが、この「巨悪」が崩壊したときに、崩壊のなかで明らかになってきた諸事実を綿密に分析し、ソ連社会の実態についても、第二十回党大会で、さきにのべた結論的な認識に到達し、これを定式化したのであります。

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

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◇世界の歴史にいまだ先例のない、新しい事業へ

 社会主義という問題ではいろんな誤解があります。社会主義をめざすといいますと、貧しい窮屈な社会を考える人もいます。しかし、それは、これまでの社会主義をめざす試みが経済力のまだ弱い国で始まったから、貧しい状態があらわれたということであります。そういう国ぐにの中で、ソ連のように、途中で変質して、社会主義とは無縁の人間抑圧型の社会に成り下がって、解体してしまった国もあれば、中国のように、いろいろな危機をへ、いろいろな動乱をへて、社会主義をめざす自分なりのレールをようやく見つけ出し、世界から注目されるような活力をいま発揮している国もあります。しかし、その中国でも、国民一人あたりの国民総生産で経済力を比べますと、現状は日本の四十分の一なんです。いま、一番新しい統計は二〇〇一年のものしかないのですけれども、中国の一人あたり国民総生産は、八百九十ドルでした。一ドル百二十円で計算したら、十万六千円というところです。同じ年の日本の一人あたり国民総生産は、三万五千九百九十ドル、四百三十二万円ですから、四十倍の開きということになります。 資本主義の時代にそれだけ高度な経済発展をとげたその日本国民が、より進んだ社会をめざして、社会主義・共産主義の社会を探求する道に踏み出したとしたら、それは文字どおり、世界の歴史にいまだ先例のない、新しい事業になるわけです。その事業の前途を、経済力の弱いところから出発した国がこうだったから、ああだったからということで推し量ろうというのは、まったく見当はずれの議論だということを、私はまず最初に申し上げたいのであります。

(「党綱領の改定について」不破議長の党創立81周年記念講演から)

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◇「党綱領改定案」から

 ソ連とそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国で一九八九〜九一年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道を進んだ結果、社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた。

 ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の崩壊は、大局的な視野で見れば、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性を開く意義をもった。

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