日本共産党

□帝国主義とは

◇「党綱領改定案」から

 アメリカが、アメリカ一国の利益を世界平和の利益と国際秩序の上に置き、国連をも無視して他国にたいする先制攻撃戦争を実行し、新しい植民地主義を持ち込もうとしていることは、重大である。アメリカは、自分を「世界の保安官」と自認することによって、アメリカ中心の国際秩序と世界支配をめざすその野望を正当化しようとしているが、それは、独占資本主義に特有の帝国主義的侵略性を、ソ連の解体によってアメリカが世界の唯一の超大国となった状況のもとで、むきだしに現わしたものにほかならない。これらの政策と行動は、諸国民の独立と自由の原則とも、国連憲章の諸原則とも両立できない、あからさまな覇権主義、帝国主義の政策と行動である。

 いま、アメリカ帝国主義は、世界の平和と安全、諸国民の主権と独立にとって最大の脅威となっている。

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◇「帝国主義」をどうとらえるべきか

 今日の世界資本主義を分析する上での大きな理論問題として、帝国主義をどうとらえるべきか、という問題に入りたいと思います。

 二〇世紀のはじめ、帝国主義が地球全体をほぼ支配するにいたった時期に、最初に帝国主義の全面的な分析をおこなったのは、ご承知のように、レーニンの『帝国主義論』でした。レーニンは、第一次世界大戦のさなかに書いたこの本のなかで、「帝国主義とは資本主義の独占段階である」という定義を与え、これをもっと具体的に展開したものとして、「帝国主義とは、独占体と金融資本との支配が形成され、資本輸出が卓越した意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、そして最大の資本主義諸国による地球の全領土の分割が完了した、そういう発展段階の資本主義である」とのべました。

 この特徴づけのうち、最後の、地球の全領土が資本主義諸大国によって植民地として分割され終わった、という点は、帝国主義の時代が始まる転機として、レーニンがもっとも重視した点でした。これ以後は、ある独占資本主義国が植民地を獲得したり、拡大しようとすれば、世界の分割のしなおしを要求するしか道はなくなります。だから、帝国主義時代に入ると、世界の再分割、植民地の奪い合いの戦争が起こるのだ、と分析したのでした。

 これは、いわば帝国主義時代の特徴づけですが、各国の分析をするときにも、独占資本主義の段階に達した国は、いやおうなしに帝国主義の政策、領土や植民地拡張の政策をとるようになる、というのが、当時は、世界政治と世界経済の自明の方向でした。

 たとえば、日本のように、あとから追いつく形で独占資本主義の段階にすすんだ国は、おくれをとりもどして自分の植民地を獲得しようとして、アジアで、もっとも凶暴な帝国主義の道をすすみました。また、ドイツのように、第一次世界大戦で敗北し、すべての植民地をとりあげられた独占資本主義国は、その力を回復すると、ヨーロッパでの大規模な領土拡張戦争にのりだして、西方における第二次世界大戦の最大の火付け人となりました。

 つまり、この時代には、帝国主義とは、独占資本主義の段階に到達した資本主義のことだ、あるいは、独占資本主義の国は帝国主義国となる、こう規定してほぼ間違いなかったのです。

 ところが、二〇世紀の後半に、世界情勢には、この点にかかわる巨大な変化が進行しました。すでに見たように、植民地体制が崩壊し、植民地支配を許さない国際秩序も生まれました。さきほど、レーニンが、地球の領土的分割が完了したことを、帝国主義時代の始まりの画期としたと話しましたが、領土的分割のもとになる植民地そのものがなくなってしまったのです。それだけでも時代は大きく変化しました。こういう時代ですから、資本の輸出なども、以前のような、経済的帝国主義の手段という性格を失ってきています。

 独占資本主義というのは、独占体が中心ですから、独占体に固有の拡張欲とかそれを基盤にした侵略性とか、そういう性格や傾向を当然もっています。しかし、今日の時代的な変化のなかでは、それらが、植民地支配とその拡大とか、それを争っての戦争などという形で現れるという条件はなくなりました。

 そういうときに、すべての独占資本主義国を、経済体制として独占資本主義国だから、帝国主義の国として性格づける、こういうやり方が妥当だろうか。この点は、根本から再検討すべき時代を迎えている、というのが、ここでの問題提起です。

党の綱領で、ある国を「帝国主義」として告発するのは、どういう時か?

 党の綱領というのは、経済学の文献ではなく、政党の政治文書であります。その綱領で、ある国を「帝国主義」と呼ぶときには、それは独占資本主義にたいする学問的な呼称だということではすまないのです。「帝国主義」という呼称には、その国が、侵略的な政策をとり、帝国主義的な行為をおこなっていることにたいする政治的な批判と告発が、当然の内容としてふくまれます。

 問題は、そういう立場で考えたときに、「独占資本主義=帝国主義」という旧来の見方で世界を見てよいだろうか、という問題です。最近でも、イラク戦争の問題をめぐって、独占資本主義国のあいだで、先制攻撃戦争という道に国連無視で踏み出したアメリカ、イギリスと、これに反対するフランス、ドイツが対立しました。この対立を、帝国主義陣営内部の対立、矛盾と見てすむか、そうではなくなっているというところに、世界情勢の今日の変化があるのではないでしょうか。

 「独占資本主義=帝国主義」という旧来の見方についていえば、私たちが、綱領問題でとってきた立場は、従来から、この見方ですべてを見るという機械的なものではありませんでした。日本は独占資本主義の国であることは明らかですが、アメリカに支配された従属国家という一面をももっています。私たちの党の綱領的立場は、そのことを重視して、日本は独占資本主義の国だが、帝国主義の国ではない、この面では復活の過程にある段階だと規定してきました。

 しかし、現在では、もっと立ち入って、対米従属下の日本の特殊問題としてではなく、より一般的な意味で、帝国主義という規定を再検討する必要があると、私たちは考えています。

 すでに説明してきたように、植民地体制の変化をふくむ現在の世界情勢の変化のもとでは、独占資本主義の国でも、帝国主義的でない政策や態度、つまり、非帝国主義的な政策や態度をとることは、ありえることです。さきほど紹介した、イラク戦争におけるフランス、ドイツの態度は、その一つの現れであります。

 こういう時代に、私たちが、ある国を帝国主義と呼ぶときには、その国が独占資本主義の国だということを根拠にするのではなく、その国が現実にとっている政策と行動の内容を根拠にすべきであり、とくに、その国の政策と行動に侵略性が体系的に現れているときに、その国を帝国主義と呼ぶ、これが政治的に適切な基準になると思います。

(「日本共産党綱領改定案についての提案報告」から)

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