党大会での討論
日本共産党第21回大会
入党して1年で町議4年後2議席実現
岐阜 波多野こうめ代議員
1997年9月26日付「しんぶん赤旗」
私は入党して一年で、岐阜県川島町の町議となり、四年後のことし、得票を三倍にして二議席となったことについて、多数派となるための党活動を深める立場から発言します。
福祉なんとかしたいとみずから入党
私が入党することになったきっかけは、夫が病に倒れたとき、いまはなき父から「困ったときは、日本共産党の人に相談しなさい」と告げられていた(笑い)ことを思い出したことです。私は迷わず、日本共産党の川島町議に相談しました。町議は、わがことのように奔走してくださいました。
夫がなくなり、夫の病気を通して知った福祉のお粗末さを、なんとかしたいと考え、日本共産党の人と活動したいと思い、みずから入党しました。(拍手)
そして、一年で町議になりました。男性社会のなかで、ただ一人の女性議員、唯一の野党として、がんばってきました。オール与党の議員は、町長のいうことはなんでも賛成、日本共産党のいうことはなんでも反対すればいいと思い込み(笑い)、筋をとおして発言しても聞く耳すらもっていません。女性べっ視、言葉のセクハラなど当たり前というありさまでした。なんとしても二議席にしなければと痛感しました。
6中総の指摘うけ2議席挑戦を決定
川島町では二十四年間、一議席でした。支部での論議では、総選挙での得票は、伸びたとはいえ二人分の票はないし、「国政の選挙はいいが、町議選は知り合いばかりだから共産党には入れられない」という人も決して少なくないなどの意見もでました。支部が二議席に挑戦することを決定したのは、六中総決定で「七百万の背後には、投票しなかったが、日本共産党に夢を託し、その動向を注目している数千万人の人がいる」との指摘をうけてでした。川島町でも、こういう人はいっぱいいる。この人たちに働きかければ、いけるのではと確信を持ちました。
川島支部では、前大会後、六人の新入党者を迎え、週一回の支部会議では、会議の半分は学習につとめてきました。「赤旗」などに赤線をひいて学習するなどしてきたので、いまでは全員が赤鉛筆と定規を入れた袋をもって会議に参加(笑い)するようになりました。
これが力になり、高齢の新入党者が、全戸電話に挑戦し、高齢の同志も「二議席にするのが私の願い。自分が選挙をたたかえるのは、これが最後かもしれない」と連日、事務所につめ、全戸電話にとりくみました。二十歳の新入党者は、連日宣伝カーに乗るなど、支部員のほぼ全員が何らかの活動に参加しました。 町議選は、都議選の結果がでた翌々日からはじまり、町民から「都議選はすごいなあ。こんどは川島だね」と声をかけられました。
結果は、新人候補が得票率八・六二%で三位、現職の私が得票率八・四八%で四位と、そろって高位で当選(拍手)、議案提出権を獲得しました。これは、前回の得票の二・九倍、総選挙の一・八倍の伸びとなり、有権者比一三・〇四%は得票目標の有権者比一五%に大きく接近する結果となりました。日本共産党にたいする熱い期待が、川島町にも脈うっていることを示すものでした。
議案提出権の活用もしながら、政治活動の水準を高めて、要求実現に力をつくし、多数派結集へのスピードをあげることを決意しています。(拍手)
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