2001年5月19日「しんぶん赤旗」

 小泉首相が厚相の時にしたことは?


 〈問い〉 小泉首相は、何回も厚生大臣を務めているそうですが、それぞれの時期にどんなことをしたのか、具体的に知りたいと思います。(福岡・一読者)

 〈答え〉 小泉首相は、自民党の“厚生族”として社会保障切り捨て政治の中心にすわってきました。厚相を務めたのは、竹下改造内閣(一九八八年十二月)を最初に、宇野内閣(八九年六月)、橋本内閣(九六年十一月)、同改造内閣(九七年九月)の四回を数えます。

 厚相としての初入閣は、消費税導入(八八年)の際、自民党の国会対策副委員長の筆頭だった小泉氏の仕事ぶりが評価されたものです。消費税導入決定後の国会に、小泉厚相が提案したのは年金の支給開始年齢を先送りする法案(廃案)。六十歳支給を段階的に六十五歳支給にするのだから「現実的」だ(参院答弁)といって、大幅な給付カットを押し付けようとしました。

 さらに福祉、生活保護、教育など暮らしに直結した国庫負担金・補助金カット一括法の成立に加担。当時、生活保護費を減らすための、人権を無視した強圧的な指導が問題になり自殺者まで出ましたが、指導も「かなり適正におこなわれている」(衆院答弁)といいはりました。

 宇野内閣でも年金支給開始年齢の繰り延べを通そうとしましたが、参院選大敗で内閣が崩壊したため見送りとなりました。

 橋本内閣の厚相として実施したのが医療改悪(九七年)。一割だった健保本人の自己負担は二割負担となり、老人医療費の患者負担も引き上げ、深刻な受診抑制をもたらしました。また難病患者の医療費に自己負担を導入。このときの二兆円にものぼる患者負担増は、消費税増税などと併せて現在の大不況の原因となりました。今国会でこの問題での責任を追及した日本共産党の質問にたいし、小泉首相は「重要な改革であった」と開き直りました。(斉)

 〔2001・5・19〕


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