2006年7月23日(日)「しんぶん赤旗」
主張
創刊2万号
国民とともに、歴史刻んで
「しんぶん赤旗」はきょう、一九二八年二月一日の創刊から、通算で二万号を迎えました。
この日にあたって、多くの読者や日ごろ「しんぶん赤旗」の編集にご協力いただいているみなさんから、温かいお祝いや激励の言葉をちょうだいしました。「読者の広場」欄でお願いした「私と『赤旗』」の手記募集には、百五十人をこえる方から、心のこもった投稿をいただきました。
みなさんに感謝するとともに、読者・国民に支えられて歴史を刻み続けていく決意を、この機会に新たにしたいと思います。
困難をおし、敢然と
「日本共産党は、過去七年にわたり、常にあらゆる闘争の先頭に立ってきたが、今日はじめて、この『赤旗』を通じて大衆の前に公然現われ(た)」―七十八年前の「赤旗」創刊にあたっての宣言です。
当時、天皇絶対の専制政治に反対したため、日本共産党は度重なる野蛮な弾圧にさらされていました。その日本共産党と国民をつなぎ、真実を伝えるために発行された「赤旗」もまた、命がけの発行を余儀なくされました。
しかし、そうした困難をおして、「赤旗」は天皇制政府による侵略戦争の拡大を告発し続け、平和の実現と国民が主人公になる政治を求めて論陣をはりました。戦前の発行は百八十七号で中断されましたが、その活動は国民の正義の主張として、歴史に記録されています。
「赤旗」は戦後再刊され、国民主権と恒久平和主義、基本的人権の保障をうたった新しい憲法の下で、六十年余にわたり活動してきました。占領軍の弾圧などによる中断もありましたが「赤旗」は一歩また一歩と歴史を刻んで二万号を迎えています。
新聞の使命はなにより真実を伝え、権力を監視することです。大新聞をはじめ多くのマスメディアがジャーナリズムとしての役割を投げ捨てていくなかで、「赤旗」は、国民の立場に立った真実の報道を貫き、歴史の節々で役割を発揮してきました。
たとえば一九六〇年の日米安保条約の改定・強化に際し、一般紙は新聞協会機関紙でも「安保改定反対一紙もなし」といわれるような状況でした。「赤旗」は堂々と反対を貫き、「赤旗がなければあの反対運動の高揚はなかった」といわれました。
六〇年代から七〇年代にかけてのベトナム戦争でも、多くのマスメディアがアメリカの描いたシナリオに沿ってベトナム人民のたたかいに矛先を向けるなかで、アメリカの侵略戦争を批判し続けたのは「赤旗」です。その報道は、国内だけでなく世界で注目されました。
公害など大企業の無法の追及や戦争協力と海外派兵に反対する活動など、「赤旗」は国民のくらしと平和を守る報道を脈々と続けてきました。
なくてはならない新聞
真実を伝える「赤旗」の役割は、マスメディア、とくに大手紙が政府の政策を支持し、翼賛化の度合いを深めている今日、いよいよ鮮明です。
九条を中心にすすむ憲法改定では、大手紙の中で「護憲派が消えた」(「産経」)といわれます。「海外で戦争のできる国」をめざす改憲の狙いを批判し、「九条の会」などの活動を伝え続ける「しんぶん赤旗」は、なくてはならない新聞です。
二万号は新たな出発点です。次の三万号が、「しんぶん赤旗」の国民的新聞としての発展と、日本の前途を切り開く事業の前進のなかで迎えられるよう、私たちはこれからも力をつくす決意です。