2005年2月4日(金)「しんぶん赤旗」 “おいしい、くさや作りたい”三宅島復興へ第二陣自宅、商店に荷物次つぎ
伊豆諸島・三宅島の噴火活動にともなう避難指示を解除した東京都三宅村には三日、第二陣で帰島する村民ら百二十人が入りました。同村では、自宅の片付けをしたり、商店に機械を運び込むなど、村民の復旧・復興に向けた取り組みが始まっています。 島北部の神着(かみつき)地区では、早朝の定期船で帰島した鈴木護さん(80)、アヤ子さん(75)夫妻宅に、運送業者が家財を運び込んでいました。 アヤ子さんは「島に帰ると、何となく安心します。(二〇〇〇年九月に)避難した時はどうなるかと思いましたが、今日からはゆっくり片付けます。火山ガスは怖いけど、やっぱり自分の住む所だから」と、ほっとした表情。 鈴木さん夫妻は、島で最も歴史の古い「くさや」製造業者の三代目。一時帰島が再開されてから十五回ほど、島に帰りました。背丈ほどまで伸びたカヤや庭の草を少しずつ刈り、くさやの原液をかき混ぜ続けてきました。 「四年半、よく辛抱したと思います。冷凍庫がダメになったのは痛いですが、何とかしておいしいくさやをつくりたい」と護さんはいいます。 島南東部の坪田地区で井上忠義さん(58)が営む豆腐店には、同店の再開をテレビで知った女性がさっそく豆腐を買いに来ました。「今朝、島についたばかり」という人です。 井上さんは「帰った時は店もほこりだらけだったし、借金も大変だけど、自分のやりたい仕事に戻れるんだから最高ですよ。若い人たちにもっと島に帰ってきてほしいし、国や東京都も村民を支援してほしい」と話していました。 東京都・川井 亮記者 写真部・橋爪拓治記者 |