2005年2月1日(火)「しんぶん赤旗」

ハンセン病元患者 勝訴

誤った投薬で後遺症

東京地裁 国に5千万円賠償命令


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ハンセン病医療過誤訴訟で勝訴後、涙をぬぐいながら会見する原告の女性=31日午前、東京・霞ヶ関の司法記者クラブ

 国立ハンセン病療養所「多磨全生園」(東京都東村山市)の元入所者の女性(66)が、誤った投薬治療で後遺症が残ったとして、国に損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁の佐藤陽一裁判長は三十一日、請求通り、国に五千万円の支払いを命じ、原告側全面勝訴の判決を言い渡しました。ハンセン病の医療過誤で初の判決。元患者への差別・偏見を助長し、適切な治療を怠ってきた国の姿勢を厳しく批判しています。

 佐藤裁判長は「一九八四年までには再発を確認し、効果的な薬剤を投与すべきだった。再発後も末梢(まっしょう)神経症状への対症療法に終始し、疾患への一切の治療を怠った」と国の過失を認定。損害額は約七千六百万円とし、請求額をすべて認めました。

 また、世界保健機関(WHO)が勧告した複数の薬併用の治療法を採用すべきだったとした上で、「らい予防法が国立療養所に診療活動を独占させ、閉鎖的な環境にとどめた結果、診療の歩みを停滞させた構造的な問題も背後にあった」と指摘しました。

 さらに、「提訴が遅れたのは元患者らへの差別や偏見が助長された結果で、そのような状況を生み出した国による時効の主張は、権利の乱用に当たる」と批判しました。

 訴えによると、女性は五三年にハンセン病と診断され、静岡県の療養所を退所後、七○年から同園でハンセン病治療薬(DDS)を投与され、経過観察が続きました。

 八一年に顔に痛みを感じ、八六年に再発を確認。主治医は四年間、治療薬投与を中止し、ステロイド剤だけを投与しましたが、脱毛や皮膚感覚が失われるなど悪化しました。九二年に主治医が交代し、複数の薬併用で症状は改善しましたが、手足の感覚まひなどが残りました。

 女性側は「八二年には再発を確認すべきなのに、漫然と単剤治療を続けた上、治療薬投与を一時中断し、症状を悪化させた」と主張。国側は「適切な治療だが、女性は外泊が多く、計画通り進まなかった」と反論しました。

 女性は九○―二○○二年、同園に入所し、○三年に提訴。強制隔離政策で初めて国の責任が認められたハンセン病国賠訴訟でも原告でした。

道長く、喜び静かに

原告「医療体制変わって」

 ハンセン病医療過誤訴訟の勝訴判決を受け、原告の女性(66)は三十一日、東京・霞が関の司法記者クラブで、弁護団とともに記者会見し、「裁判によって医療体制が変わっていくことを願っています。ありがとうございました」と語りました。

 冒頭、弁護団は「全面勝訴です」。女性は帽子とサングラス姿で、うつむき加減。静かに喜びを語る一方、時折涙をぬぐいました。「不安な生活を送ってきた。今後、どうやっていくのか心配だった」と述べ、長い道のりも振り返りました。

 さらに「多くの人たちの支援を受けた。一人では何もできなかったが、多くの人の愛に包まれ、判決を聞けたのは、一番幸せな一生の思い出になりました」と感謝の言葉を口にしました。

 今後については「療養所に戻らないよう頑張りたい」と訴える一方、「厚生(労働)省も大きな気持ちで、大勢の医師がいる本格的治療のできる療養所をつくってほしい」と要望しました。

 同席した内藤雅義弁護士は結審後の一月上旬、国側が敗訴した場合、控訴すると伝えてきたことを明らかにしました。女性は当時の状況を思い出したのか、再びハンカチで目をぬぐいました。


個人の勇気が道開く

国賠訴訟原告団協議会・谺雄二会長

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 ハンセン病患者個人が人間の尊厳を守るために国を相手に起こした勇気ある裁判でした。

 らい予防法が国立療養所に診療活動を独占させ、閉鎖的にとどめてきた構造的な問題があったことが背景にあったことを指摘し、国の責任を認めた当然の判決です。国は、控訴せずに判決を受け入れ、確定させるべきです。

 国立ハンセン病療養所では、医療過誤があっても改善されることなく劣悪な医療が平然と続けられてきました。それは、医療過誤事件で患者が亡くなっても、ハンセン病にたいする偏見と差別が強く、家族が訴訟を起こすことなく泣き寝入りせざるを得なかった状態があったためです。

 殺人とも思える医療過誤事件が起きても、無念の思いで亡くなった患者の仲間は、たくさんいました。その無念さを補ってくれた判決で、新たな力を得ました。



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