2005年1月31日(月)「しんぶん赤旗」

日本政府の汚染マグロ調査

米当局が打切らせた

54年のビキニ水爆実験

米公開文書で判明


 一九五四年三月、米国がビキニ環礁で行った水爆実験で、日本漁船が被ばくした事件を契機に、日本政府が始めた放射能汚染マグロ調査が同年末に突然、打ち切られた背景に、米国の核実験当局「米原子力委員会」の強い関与があったことが、九三年以降の米公開文書から三十日までに分かりました。 中国・四国総局 前田泰孝記者


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第五福竜丸の実物展示を見上げる人=23日、東京都江東夢の島の都立第5福竜丸展示館内

 この文書は、米原子力委員会の人物に送られた書簡で、「マグロ検査中止は、一九五五年一月一日に実行されます。このことを実現するために寄与した、あなたと、あなたのお仲間にお祝いの言葉をお贈りします」などと記され、同委の関与が、調査打ち切りにつながったことに祝意を表しています。

 書簡は五五年一月五日付。送り主は、「米マグロ調査協会東京支部」なる団体の人物。受取人は、米原子力委員会のメンバーで、「同委生物医学部」のW・R・ボス博士でした。同委生物医学部とは、人体への放射線の長期的影響の研究を担い、広島、長崎市のABCC(原爆傷害調査委員会)に資金提供していた機関です。

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米マグロ調査協会の人物から、米原子力委員会生物・医学部のW・R・ボス博士にあてた書簡

 調査打ち切りの経緯について、書簡は「放射線に関する最初の国際会議(五四年十一月十五―十九日開催『放射性物質の影響と利用に関する日米会議』)は、明らかに政府(厚生省)に漁獲マグロの放射線汚染度を調べる検査を、中止するよう影響を与えた。十二月二十八日に、内閣は厚生省のそうした勧告を承認した」と記しています。

 この「最初の国際会議」とは、米が日本に原子力を持ち込むことを念頭に、初めて開いた日米会議でした。米側参加者七人中六人が、ボス博士を含む米原子力委の科学者でした。

 ビキニ事件は、日本人に放射能の脅威を認知させ、核兵器廃絶への世論を一気に高めました。米側は、放射線被害の実態を日本国民から隠し、情報管理の徹底で、事態の収束をはかろうとし、日本政府にも調査の打ち切りを迫ったのでした。

 米国はビキニ事件後、日本人が被災したことについて、法的責任なしで「すべて解決済み」を条件に、二百万ドル(七億二千万円)の慰謝料を日本側に払う政治決着を提案しています。日本政府はビキニ事件の翌年、五五年一月四日付で米政府と、政治決着を了承する交換公文を交わしています。


「解決済み」の体制日米政府がつくる

 米公開文書を分析した広島平和研究所の高橋博子研究員(35)の話 マグロ調査が行われた五四年末までは、汚染マグロは水際で発見され、廃棄されましたが、調査を打ち切った五五年以降、フリーパスの扱いになりました。日米の二百万ドル政治決着は、放射線被ばくの実態が明らかになる前に「すべて解決済み」という体制を、将来にわたってつくったことを意味します。ですから、太平洋の放射能汚染や、人体に与える影響の実態について、日米政府は機密扱いにし、ほとんど何も解明されていません。水爆実験による被ばく者医療補償も放置されてきました。


 ビキニ事件 一九五四年三月一日、米国が南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で、広島原爆の一千倍の威力を持つ水爆「ブラボー」を爆発させた核実験。一万七千平方キロメートルに放射性物資の「死の灰」を飛ばしました。静岡県のマグロ漁船「第五福龍丸」の乗組員二十三人が被ばく。無線長・久保山愛吉さんが亡くなりました。政府によるマグロ漁船調査が行われた五四年末までに、八百五十六隻の船舶が放射能汚染し、日本近海で汚染マグロが捕獲され、全国に放射能雨が降ったことが分かっています。南太平洋では、四六―六二年、米英が七十九回の核実験を強行しています。



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