2005年1月16日(日)「しんぶん赤旗」

マスメディア時評

抑圧側に身を置く「読売」「産経」


 従軍慰安婦問題を取り上げたNHK番組にたいし、安倍晋三官房副長官(=当時、現自民党幹事長代理)や中川昭一衆院議員(現経済産業相)が介入し、大幅に改ざんさせたとされる問題は、政府・与党の幹部が言論を抑圧した大問題として、批判が広がっています。

 安倍・中川両氏やNHKは否定にかかっていますが、これまでの言明によっても、放送前に両氏が番組の内容を非難し、「放送中止」まで口にして圧力を加えた事実は否定できません。ことが検閲を禁じた憲法や「何人からも干渉されない」と定めた放送法に反することは明白です。

被害者と加害者取り違える

 各新聞の社説でも、この問題をいち早く報じた「朝日」が十三日付で「NHK 政治家への抵抗力を持て」と主張したのをはじめ、「日経」(十四日付)が「公共放送の独立性を貫け」、「毎日」(十五日付)が「政治に弱い体質が問題だ」と、あいついで取り上げているのは当然でしょう。

 「東京」は十三日付社説で、「放送番組介入 憲法のイロハを無視」と主張しています。安倍・中川両氏の責任を真正面から批判しているのが特徴です。

 ところが「読売」は十五日付社説で「不可解な『制作現場の自由』論」と、番組を制作した側に矛先を向け、「産経」に至っては同日付で「NHK慰安婦番組 内容自体も検証すべきだ」と主張したうえ、一面トップで番組の内容を非難する記事を載せています。

 いま問題になっているのは、番組が放送される前に、政府・与党の幹部がその中身を問題にして圧力を加え、制作現場の意に反して番組を改ざんさせたことです。その問題を取り上げるのに、介入したとされる安倍・中川両氏や圧力に屈したNHK幹部ではなく、制作現場や番組内容を問題にするというのは、文字通り被害者と加害者を取り違えるものであり、番組を抑圧した側に身を置くものといわなければなりません。

 実際安倍氏は、放送前日に、NHKの放送総局長に会い意見をいったことを認めつつ、番組が「ひどい内容」と聞いていたからなどと、みずからの行為の正当化を図っています。制作現場や番組内容に矛先を向ける「読売」や「産経」の立場は、これとうりふたつです。

 この点では、「政治家が事前に内容を知り、政治的圧力を加えていたとすれば、憲法で禁じる検閲に通じる行為」(「日経」)、「番組に問題があると言うなら、放送後、オープンな場で批判する機会はいくらでもあるはずだし、最終的には番組を評価するのは視聴者」(「毎日」)といった指摘が、はるかに正論でしょう。

歴史の改ざんにつながる

 重大なのは、制作現場や番組内容に矛先を向ける「読売」や「産経」が、何を問題にしているかです。

 「読売」は、番組が取り上げた「女性国際戦犯法廷」が昭和天皇に有罪を言い渡したことをあげ、そうした「法廷」の趣旨に沿った番組が問題だと主張します。「産経」も、女性国際戦犯法廷が慰安婦を「戦時性暴力」の犠牲者ととらえ、昭和天皇などを裁いたことをあげ、一面トップの記事では「強制連行 事実扱い」などと非難しています。

 底がすけて見えるとは、まさにこのことでしょう。「読売」や「産経」が問題にしているのは、歴史の事実として従軍慰安婦問題をとりあげ、旧日本軍の関与や昭和天皇の戦争責任を明らかにすることそのものです。それはNHKに圧力を加えたとされる安倍氏らの言動とも合致しており、NHKの番組改ざんによって、従軍慰安婦問題の責任が日本国と昭和天皇にあるとした「法廷」の判決部分が全面的にカットされたことにも示されています。

 従軍慰安婦問題では、政府が一九九三年に発表した見解でも旧日本軍の関与を認め、国際的に「お詫(わ)びと反省の気持ち」を明らかにしています。それを否定するような番組の改ざんは、まさに歴史そのものを改ざんしようとするものであり、国際的にも批判を免れません。

 本来、権力による言論抑圧は、言論の自由を守るジャーナリズムであれば、立場の違いはどうあれ、声をそろえて批判すべき問題です。それを放棄しただけでなく歴史の改ざんにまで手を貸そうとしている「読売」や「産経」の姿は、これらの新聞がもはや言論機関ではなく、言論抑圧の機関になりさがったことを示しています。

 (宮坂一男)



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