2005年1月10日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

震災に負けない

今年も小千谷で闘牛を

“村のみんなが待っている”川上哲也さん(29)


 新潟県中越大震災で大きな被害を受けた小千谷市。同市の伝統文化、「角突き(闘牛)」も例外ではありません。闘牛三十八頭中三頭は、地震による牛舎の倒壊で死にました。小千谷闘牛場も、亀裂や陥没したところがあるといいます。しかし、「地震なんかに負けてらんねえ」と今年の闘牛開催を心に決めている若者がいます。藤川良太記者

 その若者は、小千谷市の川上哲也さん(29)。小千谷闘牛で今「横綱」と考えられている「小杉」(十歳)を、大震災から救出し、同市内の仮牛舎で育てています。大震災にあっても、川上さんは「闘牛を(今年も)やるのは自然なことです」とはっきりと言いきりました。

 十月二十三日、大きな揺れとともに、小千谷闘牛場のある小栗山地区は道路が寸断され孤立しました。同地区にある川上さんの自宅は玄関側が、がけ崩れのため二十メートル下がり、家の半分は宙に浮きました。幸い自宅の裏にあった牛舎は被害を免れました。

ヘリで泣いた

 しかし、市は、地区に避難勧告を出し、住民はヘリコプターで避難。牛は連れていけません。川上さんは「残る」と主張しますが、裏山に亀裂が入り、雨の天気予報。残ることは許されませんでした。祖父からは「てめえの勝手で牛を飼うんだから、牛を優先に考えろ」と言われていました。

 ヘリコプターの中でさまざまな気持ちが交錯し涙が流れました。「せつなく、悲しく、悔しい気持ち。見殺しにするような気持ちだった」と川上さんは当時を振り返ります。

 文献に残っているだけでも二百三十年の歴史がある小千谷闘牛。小さいときから祖父に連れられて通いました。物心付いたときには、牛を飼いたいと考えるようになっていました。

 祖父は闘牛を飼っていましたが、父は飼いませんでした。「小学生のとき、友人が闘牛を飼っているのがうらやましかった。普通の人が猫や犬を飼いたいと思うのと一緒」

 闘牛を飼えるようになったのは二十二歳になってから。大切に育てました。そして、パワーと技を兼ね備えた立派な闘牛に成長。「あそこ(川上さん)の牛が今、一番強え」といわれるまでになりました。「知らない人から、『おめえんとこの牛は強えなあ』といわれるのがうれしくてたまらない」。「小杉」は闘牛の楽しさを教えてくれました。

5日後に救出

 避難後も続く大きな余震。八百キロから千百キロある闘牛の巨体を支えるのは、細い四本の足です。鼻にはひもを通し、つないでいます。鼻が切れ、足が折れてもおかしくありません。

 そうなれば、「小杉」はもう闘牛はできません。牛舎倒壊や、土砂に埋まる可能性もありました。小千谷総合体育館に避難した川上さんは、「ずっと、牛のことを考えていた。自分ばっかり逃げたと思い、罪悪感にかられて絶望的になってました」。

 地震により「小杉」も含め残された闘牛を、川上さんたちは、大震災から五日後の二十八日、ヘリコプターや自力で集落から救出します。牛舎に向かった川上さん。「小杉」はしっかりと立っていました。「本当にうれしかった」。けが一つありませんでした。

 救出された、闘牛は一時、長岡市内の中央家畜市場に避難。現在は、岩手県に八頭、新潟県新発田(しばた)市に二頭が分かれて避難しています。

自分も見たい

 川上さんはいいます。「避難所でも、どこでも、おれの顔を見たら『牛はどうした。今年はどうなるんだ』と村の人が声を掛けてくれます。そんな声に励まされました。みんな待っている。大きな地震だったけど、負けてられないし、闘牛を見ることで元気になる村の年寄りもいます。自分も早く闘牛見たいです。伝統を絶やさせてはいけない」


小千谷闘牛

 小千谷市、山古志村の四会場で開催されます。重さ一トンほどの牛と牛がたたかう格闘技(角突き)。無制限一本勝負ですが、長くても五分程度で両牛の脚に綱をかけ、「引き分け」にするのが伝統。しかし、どちらが強いかは、おのずとわかります。国の重要無形文化財。原型は江戸時代にあったとされています。


お悩みHunter

おとなになるとは?まだなりたくない…

  今年「成人」を迎えましたが、まだおとなになりたくない気持ちがあります。今の世の中大変だし、見通しがなかなかもてません。一応、金融関係の職場を目指していますが、燃えるような気持ちはありません。むしろ、もう少し将来のことを考えたい。成人するとか、おとなになるということはどういうことなんでしょうか。(学生、男性。茨城県)

「前」を向いて、一つひとつ

  本当に守りたいもの、すべてを賭けてでも守らなければならないものができたとき、その人のことを「おとな」という。おれはそんな風に思っています。そして、成人式というのは、そのスタートラインに立ったことを意味する儀式なんだっておれは思います。

 思い返せば、おれが成人式を迎えた十四年前、「おとな」には程遠い存在だったような気がします。確かにかなえたい夢はあった。でもそれは守るものじゃなく、手に入れたいものだったにすぎません。

 しかし、あれから十四年。今、おれにはたくさんの守るべきもの、守りたいものがあります。それがあるからきっと今、おれは頑張れているのだとさえ思います。今、あなたが不安の中にいることは、おれ自身の経験からもよくわかります。そんなあなたに心を込めてアドバイスを贈ります。

 うつむいて「下」を見ていても地面しか見えない。当てもなく「上」を見上げていても、届かない空しか見えない。「前」を向いて歩いてほしい。あなたの目の前には、あなたを必要としているものたちがたくさんあるから。そして、その一つひとつと向き合いながら進めばいい。おれはそうやって生きています。


 ヤンキー先生 義家弘介さん 明治学院大学法学部卒。99年から母校北星学園余市高校教諭。テレビドラマになった「ヤンキー母校に帰る」の原作者。



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