2005年1月5日(水)「しんぶん赤旗」

インド洋大津波 被災地から

「船と網を」と漁民

インド・チェンナイ


 昨年十二月二十六日のスマトラ島沖地震によるインド洋大津波で大きな被害を受けたインド南部タミルナド州の州都チェンナイ(旧マドラス)。救援活動が始まる中、漁師たちは津波で失った漁船や魚網の補償を政府に要求する動きを見せています。

 (チェンナイ=小玉純一 写真も)


女性団体が診療所

 同市の海沿いの漁師居住地区の一つ、スリニワーサプラム地区にインド共産党(マルクス主義)の友好団体・全インド民主女性連盟(AIDWA)のチェンナイ支部は津波直後に、独自の救援テントを設置しました。

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 ライオンズ・クラブなどの団体の援助物資配布が警察の統制の下で行われているのとは独立したもの。診療所の設置のほか、コメ、衣類、歯ブラシ、石けん、食用油などを被災者に配っています。

 AIDWAのバナジャさん(43)によると、とくに重視したのは医師の配置。毎日、午前十一時から午後五時まで診察しています。「かぜかもしれない。頭が痛くて」と診察を受けたバーバニーさん(23)は「津波で何も残らなかった。ほかの病院にはいけない」と話していました。

 同地区のヤシの葉でふいた漁師の家々はほぼ全壊状態でした。砂浜の上には細い木々の小さな囲いがつくられ、それぞれの家の区画だったことを示していました。一月二日の夕暮れ時、がれきのなかで海を見つめ、しゃがみこんでいる男性がいました。そこは自分の家があった場所でした。男性の名はダクシナ・ムーティさん(48)。津波で住居が全壊し、木で組んだ小船(カトマラン)と漁網が使いものにならなくなりました。それから一週間、陸上の生活ばかりが続きます。

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全インド民主女性連盟が組織した医師の診察=3日、チェンナイのスリニワーサプラム地区

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小船の残がいに座る漁師のダクシナ・ムーティ氏=2日、チェンナイのスリニワーサプラム地区

 三十年間、漁で生きてきました。「海に出たくて仕方がないよ」「海はおれのすべてだ」と語ります。

 州政府は住居を失った家族に当座の援助金を配り始めています。しかしわずか四千ルピー(約一万円)。もちろんこれで網は買えません。「政府援助が十分なければ、知り合いにたのんで借金しなければ。でも何人に頼めば集まるのかな」と嘆きます。

 同地区に隣接するノチクパム地区の漁師組合の指導者I・C・プルティマンさん(46)らによると、損害で大きいのは小船の外付けエンジンと漁網など。見せてもらった網は絡みあってゴミが絡まっています。組合は漁を再開できるよう船と網の補償を政府に求めています。

 組合員のムーティーさん(45)は「海は怖い。だが暮らしがかかっている。ほかでは生きていけない」といいます。

 チェンナイにある漁業監督署は三日、漁師居住地区から戻った調査官で混雑していました。損害額の評価で忙しいといいます。漁の再開に向けて、漁師にどのくらいの援助がいつ実際に届くのか、まだ決まっていません。中央政府の津波全体の被害額の算定も始まったばかりです。

 スリニワーサプラム地区のヒンズー寺院に三日、漁師たちが押しかけました。漁業監督署の職員が来ていました。ある漁師は「名前の確認だけだった。きょうは何ももらえない」とため息をつきました。

州で7千800人死亡

 タミルナド州(人口六千二百万人)で漁村や漁師居住地区の漁師は七十五万人といわれ、海岸線全域で被害が出たとみられます。州全体で二日までに約七千八百人の死亡が確認されました。

 チェンナイでの死者は二百人余。前市議会議員のコマーティ・マーハラ氏によるとスリニワーサプラム地区には、千三百の漁師世帯があり、三十九人の死亡が確認され、五十人が行方不明となっています。



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