2005年1月4日(火)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

日本列島縦断の旅

車いすのシンガーソングライター

人と結びつくことの意味知った

森圭一郎さん(26)


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シンガー・ソングライター森圭一郎さん

 心の底からわきあがるまっすぐな感情。優しい「詞」が聞く人を包み込んでいきます――。車いすのシンガー・ソングライター森圭一郎さん(26)=埼玉県出身=。16歳で交通事故に遭い下半身不随に。ギターを手に歌うことで自分を取り戻しました。日本縦断ツアーを敢行し、たくさんの人たちとできた新しいつながりが森さんを大きくしました。

 昨年十二月十八日、横浜市大さん橋国際客船ターミナル。多目的ホールの特設舞台に森さんはいました。車いすに乗り、アコースティックギターを抱えて。

 ニューヨーク(NY)でレコーディングしたデビューアルバム「一人じゃないから」から曲を披露しました。

 ♪生きているのではなく生かされている事に気づいてから 愛せることに感謝できた 君の笑顔を守れること感謝できた (一人じゃないから)

 「なんか静かになっちゃいましたね」。歌い終え自信たっぷりの笑みを浮かべます。

 群馬から娘二人と最前列に陣取った女性は「母子家庭なんです。負けそうになったとき元気をもらうんです」と。彼女が好きな曲は「宝物」。

 ♪後悔したくないし 負けたくない だからまた階段をのぼりだすんだ 自分にしか出来ない事 ずっと探して歩いてきたんだから

事故

 人一倍目立ちたがり屋で勝ち気な少年でした。中学で暴走族の仲間に。

 「勉強もできないし。とにかく集団で走れば言葉がなくても一体感がある。強い男になりたい」

 夜ごと繰り返した死と隣り合わせのカーチェイス。十六歳の夏、「今夜は帰れないよ」と母に告げた後、車にはね飛ばされました。

 事故の瞬間はまったく覚えていません。気がつくと血の海に横たわりもうろうとしていました。

 下半身に感覚がなく車いす生活の宣告を受けます。看病してくれた彼女も離れていきました。わずか数センチの段差も自力で上れず、「もういい。おれの人生は終わった」。

 ヤンキーとしてカッコつけてきた自分が「弱者」と見られ、同情されることも惨めでした。一日中家に引きこもりゲームに明け暮れます。

 そんな時、母が定時制高校の入学を申し込んできました。「冗談じゃねえ」。ふてくされました。

 入学後「ギター部」に籍をおくものの「部室が三階でみんなが車いすの僕を必死で運んでくれる。申し訳なく嫌で…」。部活の日は学校を休んでいました。

 夏休み、自動車教習所の「障害者」コースに嫌々通い出しました。一カ月間の合宿生活。同世代の障害者と話しあう貴重な体験でした。

「外」へ

 「普通ジャン。障害者でも面白いやつやカッコいいやつがいる。人間の魅力には障害があるなしは関係ない」と。初めて自分から「外」に出るきっかけをつかみました。

 エリック・クラプトンの影響を受け、バンドを組みました。友達に「文化祭で歌わないか」と誘われ励まされ初演奏。曲はハードロックでした。

 舞台が開きバーンと音をたたきつけた瞬間「バイクで疾走したときと同じ戦慄(せんりつ)が走った」といいます。

 「今の自分を表現できる。その手段が音楽でした」。目立ちたがり屋の自分を取り戻していました。

 「障害者の店で飲めるか」「おめーのほうが障害者だろう」

 卒業後、上京し友達のお母さんが始めたバーで働きました。酔っぱらって絡むお客とけんかしたことも。

 「障害って自分の中にある。平気で人を傷つけたり、人の痛みが分からなかったり。ぼくらは車いすの“不便者”なだけなのに」

 ストリートライブなどで尾崎豊や松山千春の曲を歌い作詞・作曲も手がけます。しかし、「人間の底力がない」と思いました。曲作りも壁にぶつかります。

1万キロ

 吉川英治作『宮本武蔵』を読んだのもこのころです。巌流島から熊本まで武蔵の足跡を追ったことも。「旅」をしながら自分を鍛える。「『外』に出て経験しないといい曲もかけない」。〇三年十月、日本縦断ツアーを事務所の反対を押し切って敢行します。

 森さんのマネジャーを志願した石貞美幸さんは、「体のことが心配でしたが、旅へ出て経験を積みたいとの気持ちは一緒でした」と振り返ります。

 北海道から鹿児島まで約一万キロ。九十日間かけ自主制作CD「ONE」を売りながらストリートライブを実施しました。

 ストリートは人との「出会いの場」でした。恥ずかしく、むなしく…。「何おまえ同情売って金もらってんだよ」。さげすまれたり…。

 大見えを切って始めたものの、途中で車が事故に遭い「ドクターストップが掛かってほしい」と本気で“期待”したことも。

 奈良県でラジオに出演したときです。男性から「いつか晴れた日に」がリクエストされていました。男性は、岩手県盛岡市の女性と遠距離恋愛中でした。「彼女との関係がぎくしゃくしていましたが気持ちが一つになりました」と。彼女が盛岡でCD二枚を購入し一枚を彼氏に贈り、この曲が二人のテーマソングになっていたのです。

 名古屋市で姉妹から差し出されたカードには「あなたを必要としている人がいることを決して忘れないで」と書かれてありました。

 「おれこの言葉を待っていたのかも。人とつながることの意味を教えてくれた最高の贈り物だった」

支え

 自分を探す旅を繰り返すうちに、支え合う人と人の結びつきの大切さが分かってきました。音楽が「自分を表現する手段」以上のものであることも…。

 「ONE」という曲の起源は、二〇〇一年九月十一日の同時多発テロにあります。NY行きの計画がテロで行けなくなりました。

 腹いせに友人と神奈川県茅ケ崎へ。海岸でパァッと開けた空を見ているうちに、「この空はニューヨークまでつながっている。みんな同じ一つの空の下で暮らしているんだ。戦争で奪い合ってどうするんだ」。

 昨年四月、NYへ渡りグラウンドゼロでストリートライブを行いました。花を供え泣いている女性のわきで、観光客が写真を撮っていました。

 「平和な顔して歌なんか歌っていていいのか。僕はなんなんだ…。複雑な気持ちだった」といいます。

 NYの三週間。デビッド・ボウイのアルバム制作にかかわった、サウンドプロデューサー畑亮次さんのアパートに滞在。「二階から階段を毎日おぶってもらいました」

 家族には心配を掛け続けています。「おかんがおれの部屋にきて洗濯なんか、さりげなくしていったりしてくれると助かる。この人を悲しませないようにしよう」

 ♪大切な家族や友達、恋人、関わる全ての人に出会えて良かったと思う (一人じゃないから)

 ストレートで自然体。その歌声が耳から離れません。遠藤寿人記者 写真大川清市記者


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森圭一郎さんのCDと著書

 もり・けいいちろう 1978年、埼玉県生まれ。シンガー・ソングライター。7月、NYで録音したデビューミニアルバム「一人じゃないから」を発売。11月に出版した『両輪(ダブル・ホイール)』で音楽への情熱と葛藤(かっとう)を語ります。車で日本縦断ツアーを2度敢行。影響を受けたアーティストはエリック・クラプトン。「ピュアハーツ」(東京・四谷)所属


お悩みHunter

きつくて辞めたけどケーキ屋で働きたい

  新年を迎えるにあたって、反省がいっぱいですが、決意も新たにしています。私はケーキ屋に勤めていましたが、昨年辞めました。職場はタイムカードがなく、仕事がなくなるまで帰れません。そんなこともあって、ついお客さんへの笑顔を失い、きつい表情になってしまうこともたびたびでした。

 そんな自分がいやになり、体調もくずしてしまいました。あまりきついので、辞めたのですが、何も言わずに辞めたことに悔いが残っています。

 またケーキ屋さんで働きたいと思っています。今度はもう少し自分を大切にして、ある程度言うべきことは言うようにしたいと思っています。(28歳、女性。埼玉県)

お客さんのために勇気持って

  明けましておめでとうございます。昨年は情勢が大きく変わり、先が見えなくなってきました。特に青年の雇用問題が大変深刻になってきています。低賃金、長時間労働で働きがいを見失っている青年が大勢います。二〇〇五年は、青年にとって未来に展望が持てる年になってもらいたいものです。本来、仕事とは生活の基盤となるお金を稼ぐための手段ですが、それだけでなく自分の生きがいや自己実現のためのものでもあります。

 ケーキ屋さんで働くのも、おいしいケーキを作ってみんなに食べてもらいたい、喜んでもらいたい、という思いがあるのだと思います。しかし、どんなにやりたい仕事でも労働条件が悪ければ、続けていくことが困難になってくると思います。せっかくやりがいのある仕事なのに、辞めざるを得ないのはつらいことでしょう。

 雇われている側は立場が弱いし、他の従業員に迷惑がかかると思ってしまい、自分の言いたいことがなかなか言えないと思います。どの職場でもそういう雰囲気があると思います。しかし言いたいことを言わなければ、どんどん都合のいいように使われてしまいます。

 そして、肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまったら、いいケーキが作れなくなったり、接客がうまくできなくなってしまいます。それはお店にとってもそうですが、何よりもお客さんにとっていいことではありません。

 今年また働き始めるなら、やはり自分のやりたいケーキ屋さんがいいと思います。そして、自分の体調や生活を大切にして、おかしいことはおかしいと勇気を持って言えるようになってほしいと思います。いい年になりますように応援しています。


 第41代日本ウエルター級チャンピオン 小林秀一さん 東京工業大学卒。家業の豆腐屋を継ぎながらボクシングでプロデビュー。99年新人王。03年第41代日本ウエルター級チャンピオン。



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