|
2005年1月4日(火)「しんぶん赤旗」 上野の山に 東京大空襲の碑建立へ悲劇繰り返さない海老名香葉子さん東京大空襲から今年三月で六十年。この空襲で肉親を亡くしたエッセイストの海老名香葉子さん(71)が、東京・上野の山に「慰霊碑」を建てることになりました。「二度と戦争を起こさないために、後世に伝えたい」との熱い思いが実を結びました。三月九日に除幕式を行う予定です。 一九四五年三月九日深夜から十日にかけて米軍機が東京の下町を中心とする地域を爆撃、十万人余が死亡した東京大空襲。海老名さんは両親と兄弟ら一家六人を失いました。十一歳のときでした。 海老名さんは毎年三月十日に、身元不明の犠牲者の遺骨を安置した「東京都慰霊堂」(墨田区横網)を訪れています。でも、そこを訪れる人は年々減り、かつては山のように手向けられていた花も少なくなりました。 「東京大空襲のことが忘れ去られてしまうのではないか」。海老名さんは多くの人が集まる上野公園に東京大空襲のことを伝え、平和を願うための碑を建てたいと考えました。上野の山には犠牲者の遺体が仮埋葬された歴史もあります。 海老名さんはそうした歴史を示す資料を集めて、上野公園を管理する公園緑地事務所に何度も足を運び、碑をつくりたいと訴えました。しかし、すでに横網に慰霊堂があることや、都市公園法上の制限などのため、実現しませんでした。 寛永寺が提供海老名さんは「私はもう七十一歳だから、後世に伝えるには今のうちに頑張らないと」と必死でした。昨年八月、上野にある寛永寺(徳川家の菩提=ぼだい=寺)に、碑を建てる場所を分けてもらえないかと頼みました。寛永寺側は快く無償で土地を提供してくれることになりました。 寛永寺子院・現龍院の墓地の入り口に建てられる予定の碑は表に「哀しみの東京大空襲」、裏には「再びこうした悲劇が繰り返されないことを願って…」と刻まれます。寛永寺執事長の浦井正明さんが「…これからの日本を支えていく若い人々に、この『哀しみの心』を伝えていきたいと希っているのです」との碑文を添えます。 一方、都側は「時計塔ならば設置できる」と海老名さんに提案。海老名さんの案を生かし、幸せそうな母子の姿を彫刻した時計塔を海老名さんの寄贈で公園内に建てることになりました。母子像はアニメーション作家の有原誠治さんがデザイン。「時わすれじの塔」と名づけられます。 海老名さんは「戦争で一番被害を受けるのは一般市民です。東京大空襲ではたった二時間で十万人が亡くなりました。その死を無駄にしてはなりません。東京でこういうことがあったのだということを、若い人たちに伝えて、二度と戦争を起こさないようにしてほしい」と語っています。 |

学習・党活動版編集部の紹介ビデオ

