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2004年12月29日(水)「しんぶん赤旗」 ウクライナの選択(上)敗北した非民主政治
ウクライナ大統領選決選投票は、野党候補のユーシェンコ元首相がクチマ現大統領、ヤヌコビッチ首相の両者をまとめて批判、汚職・腐敗の一掃を訴えて支持を広げ勝利しました。最高裁が十一月の決選投票でのヤヌコビッチ陣営の不正を認め、やり直しを命じて実現した今回の投票結果です。(キエフ=田川実 写真も) 劣勢に立たされた首相は、与党候補でありながら「改革者」を演じてきました。二十七日までの中央選管集計で、首相の得票は44%を超えています。ウクライナ国立科学アカデミーのキジマ教授は「これまでのクチマ体制に反対するかのようなポーズと経済政策での一定の成功が、東、南部の住民の支持を集めた」と指摘します。 経済の矛盾深刻東部ドネツク州は、ウクライナ共産党の支持が高い地域でしたが、首相は一九九七年の副知事就任、その後の知事時代、炭鉱など旧国営企業をたて直し、給与、年金支給を改善。二〇〇二年の総選挙で、与党議席の上積みに貢献し、国民から見放され窮地にあったクチマ大統領の信頼を得ました。 その後首相に抜てきされてからも、東部の重工業地帯の労働者の給与改善を実現。遅配に抗議するストライキもめっきり減りました。 「これまでクチマが何度大統領令を出しても実行されなかった改革を、ヤヌコビッチは実現した。管理者としては有能といえる」とキジマ教授は評します。 しかし、やり直し選挙は、そのヤヌコビッチ氏を明確に敗者の立場に追い込みました。何がこの変化を生み出したのでしょうか。第一には、経済、社会の矛盾の深刻化です。 十年続いたクチマ現体制は首都キエフのオリガルヒ(新興財閥・資本)に支えられ、行政と企業の組織をフルに活用して支配を固める一方で、長期間にわたり給与、年金の遅配など経済困難を国民に強いてきました。 抗議行動広がるまた、首相自身、東部のオリガルヒと結びつき、各種選挙では行政、企業の機構をフル回転させて票を固めたことに象徴される非民主的な政治を強行しました。国営テレビの一方的な与党寄りの報道、組織的な投票動員は、不正の温床でした。さらに、インターネット新聞で厳しい体制非難を続けていた記者の暗殺で、大統領らの関与を示す会話記録が二〇〇〇年末に明るみに。「クチマなきウクライナ」と名付けられた抗議行動が全土に広がりました。 ユーシェンコ元首相の勝利は確実となりましたが、ヤヌコビッチ首相は、二十六日の投票で野党側の大規模不正があったとして、最高裁に訴える構えです。 二十七日午後、ユーシェンコ勝利を確実にしようとキエフ市内で開かれた集会に、子どもを連れ参加した女性はこう断言しました。「ヤヌコビッチには民主主義がありません」(つづく) |


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