日本共産党

2004年12月9日(木)「しんぶん赤旗」

平頂山住民虐殺事件とは?


 〈問い〉 戦前、中国で日本軍が起こした平頂山住民虐殺事件とは、どんなことですか?(岡山・一読者)

 〈答え〉 平頂山事件とは、1932年9月16日、中国東北部の撫順市近郊にある平頂山集落において発生した住民虐殺事件です。

 当時、平頂山には、3000人以上の村民が住み、その多くは撫順炭鉱の労働者でした。日本軍は記念写真を撮るなどとだまし、住民をがけ下の一カ所にかり集めました。村民がカメラと思ったのは、実は機関銃でした。機関銃を覆っていた布が取り払われると、住民は逃げるまもなく機銃掃射にさらされました。一斉掃射の後、生存者がいれば銃剣で刺して回り、とどめを刺しました。遺体にガソリンをまいて焼き払い、最後は、がけを爆破して遺体を埋め、事件を隠滅しました。

 そのころ、中国東北部では、柳条湖事件(31年9月18日)に端を発した関東軍の占領に対し、抗日運動が日に日に激しくなっていました。そんな中、日本が占領していた撫順炭鉱が抗日ゲリラに襲撃される事件が起きました。日本軍は住民がゲリラと通じていると決めつけ、見せしめのために、平頂山の住民の皆殺しを図ったものでした。

 現場は発掘され、いまは「平頂山殉難同胞遺骨館」として展示されています。この事件は、その後の中国における日本軍の数々の残虐行為に先行する事件として有名です。

 この事件で剣に突き刺されながらも奇跡的に命をとり止めた莫徳勝さんら3人が日本政府に損害賠償を求め、96年8月、東京地裁に提訴しました。

 02年6月、東京地裁は、平頂山事件の事実を認定したものの、戦前の国の違法な公権力行使は責任を問うことができないという「国家無答責」の原則を唯一の根拠として原告らの請求を棄却しました。

 国は、戦後においても事件を無視し続け、裁判でも事実認否すらしないという不誠実な対応に終始しました。地裁判決のなかで、事実を正面から認定した部分は評価できます。現在、東京高裁で控訴審がたたかわれています。 (喜)

 〔2004・12・9(木)〕



もどる
「戻る」ボタンが機能しない場合は、ブラウザの機能をご使用ください。

日本共産党ホームへ「しんぶん赤旗」へ


著作権 : 日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 Mail:info@jcp.or.jp