日本共産党

2004年10月31日(日)「しんぶん赤旗」

湿布もち“痛み、けがは”

新潟中越地震

医師や看護師ら200人

民医連が医療支援活動


 新潟県中越地震で三十日、全日本民主医療機関連合会(民医連)の呼びかけに応えた全国の医師、看護師、薬剤師、栄養士ら約二百人が長岡市と小千谷市、川西町で避難所訪問や医療支援活動を行いました。


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避難所で被災者の体調を調べる静岡民医連の医療ボランティア=30日、新潟・小千谷市

 震源地の小千谷市では、病院や医院が大きな被害を受けており、被災地の避難所をいくつかのグループに分かれて計六十八人が訪問しました。

 静岡県三島市からは八人が参加。共立クリニックの医師、唐沢裕史さん(39)と共立病院の看護師の鈴木記代江さん(46)は小千谷市の本町周辺で、避難所や民家を一戸一戸訪ね、ケガや痛みなどの具合をきいて回りました。痛みを訴える人に湿布を渡していくと持参した三十パックは、ほとんど無くなりました。唐沢さんは「避難生活の疲れが出てきている。早く落ち着いて住めるようになればいいのだが…」といいます。

 村松巨樹さん(20)=ジュニア・サッカーのコーチ=は記代江さんの息子の要治さん(23)=学生=に誘われて参加。「ニュースでは分からない被災者の大変さ、苦労、地震の怖さを実感した。前に経験した地震(一九六四年)より、今度の方がもっと大変だと話してくれた。ここにいるだけで自分でも何かの役に立つ。助け合いって大事だと思った」と話していました。

 記代江さんの娘の志穂さん(17)=高校三年生=は「道路が沈んだり、盛り上がったり。テレビで見るよりすごい」と震災被災地の印象を語りました。

 要治さんと友人の伊礼考さん(19)=酪農=は被災者の話を聞いて回りました。「困ったことはありませんか」と被災者を訪ねると感謝とともに次々と震災の経験を話してくれました。

 「立ってるどころか床に手をついていても転びそうな揺れだった」と話すのは、田崎美江子さん(53)。家の片づけの手を止め、地面に実際に手をついてみせ、「震度5以下は、ああ来た来た、ですむけど震度6だと、わーっていう感じで全然違う。一週間で四キログラムやせた。精神的に食べられなくなって…。先のことは真っ暗。家の一部でも補強して住めるようになれば、と思っている」といいます。

 要治さんは「被災した人たちは意外としっかりしてたけど、疲れが見えるのがいたたまれなかった」。伊礼さんは「みんな明るかった。ぼくに話すことでストレスとか解消になってたらうれしい」と話していました。



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