2004年10月29日(金)「しんぶん赤旗」
「お母さんや、お姉ちゃんの分まで生きてほしい」。新潟県を襲った地震で、土砂崩れの現場から二十七日、奇跡的に救出された皆川優太ちゃん(2っ)。懸命の救助活動を続けた東京消防庁ハイパーレスキュー隊の隊員らは、姉の真優ちゃん(3っ)の遺体を残し撤退する無念をかみしめながら、優太ちゃんに「よく頑張ったな」と呼び掛けました。
絶望的な現場でした。今にも崩れそうな岩、押しつぶされた車、やまぬ余震。到着した田端誠一郎隊員(28)の頭にまず浮かんだのは、八カ月の娘と家族の顔でした。恐怖心。「絶対助ける。でも、自分も生きて帰る」
先遣隊五人のうち、小さな命のともしびに最初に気付いたのは巻田隆史隊長(44)でした。かすかに聞こえる声と息遣い。「生きている」。土砂に埋まった車はナンバープレートしか見えませんでしたが、その横に三十センチほどの開口部がありました。
「今すぐ行くからな。頑張れ」。五人で声を掛けながら、手で土砂を掘り下げます。一握りの砂も中に落とさないように、細心の注意を払いました。
呼び掛けに反応して手を伸ばしたのか、ヘッドランプの光に白い手が浮かびました。田端隊員が逆さまの姿勢で頭から入ります。声を聞いた時点で、恐怖心は吹き飛んでいました。
狭い穴の中で体を入れ替え、外に押し上げました。優太ちゃんの下半身は紙おむつ一枚。「この寒さの中で耐えていたのか」。斎藤俊巳隊員(39)は冷えた体を温めようと、抱き締めました。
母親の貴子さん(39)の遺体は運び出しましたが、真優ちゃんの救助は難航しました。危険な現場で夜を徹して作業を続けましたが、死亡が確認され、救助活動は中止されました。
全体を指揮した清塚光夫部隊長(47)は「心を鬼にして、隊員に中止を告げた。本当につらい」と口元をきつく結びました。