2004年10月22日(金)「しんぶん赤旗」
土砂災害に河川のはんらん、港では大型帆船が座礁。水没した観光バスの屋根には乗客が取り残されました。猛威をふるった台風23号は、各地に大きな被害を出して太平洋上に去りました。
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京都府舞鶴市で二十日夜、台風23号の豪雨で由良川があふれ、冠水した国道175号で大型観光バスが孤立し、乗客ら三十七人がバスの屋根で恐怖の一夜を過ごしました。乗客らは、二十一日午前八時半までに、海上自衛隊のヘリコプターやボートなどで全員が救出されました。また、由良川周辺で孤立していた住民十六人も救出されました。
救出された乗客は兵庫県市町村年金者連盟豊岡支部の公務員退職者と同支部事務局員で、男性十九人、女性十七人。大半が六十歳代。水没したのは「トマトバス兵庫営業所」(兵庫県吉川町)の大型観光バス。福井県芦原温泉への旅行から帰る途中でした。京都府によると、運転手を含め全員けがはありませんが、衰弱している人もおり、健康状態を確認するため、舞鶴市内の病院に搬送されました。
九時間ぶりの救出。迫り来る水のなか、乗客らは、みんなで肩を組んで励ましあったといいます。「わっしょい、わっしょいと声を掛け合った」とも。乗客は闇夜の中、三十メートル以上の暴風に耐え、徐々に上がる水位の恐怖とたたかいながら、バスの屋根の上で身を寄せ合って救助を待ちました。
屋根の上では、水の中に落ちないよう、ロープを張って、肩を寄せ合って震えていたといいます。
六十代の女性は「向こう岸から警察や消防が拡声器で励ましてくれたが、雨や強風であまり聞こえなかった。携帯電話も不通になった。腰の高さまで水かさが増した」と恐怖の時を振り返りました。
オレンジ色の救命具を装着し、ずぶぬれの身体に毛布を掛けられ救助された男性は「水位はひざの高さまで迫り、寒かった。声を出したり、肩を組んで助けを待った」とほっとした表情で語りました。
舞鶴海洋気象台(京都府舞鶴市)によると、同市の二十日の雨量は二七七ミリで同気象台が一九七四年に設置されてから最大を記録。また、最大瞬間風速は二十一日午前二時六分に三二・五メートルを記録、「人が立っていられない」(同気象台)暴風でした。
ペットも被害に―。台風による増水でバスやトラックなどに多数の人が一時取り残された京都府舞鶴市の現場近くで、ペット飼育会社の犬百匹以上が水死していたことが二十一日、分かりました。犬をおりに入れて飼育していた男性社長(60)は「かわいそうなことをした」と嘆きました。
社長によると、同社はヨークシャーテリア、ダックスフントなどの人気小型犬を飼育。飼育小屋には三段の棚があり、一匹ずつおりに入れていました。ペット店周辺の交通規制が解除され、社長が二十一日昼に確認すると、一、二段目の棚にいた犬がすべて水死していました。
二十一日午前七時ごろ、滋賀県大津市の園城寺(三井寺)で、同寺の宮大工が国宝の金堂の屋根が数カ所破損しているのに気付きました。台風23号の風雨で吹き飛ばされたとみられます。県教委などが被害状況を調査するとともに、今後の修復について協議を進めています。
![]() 病院玄関の水がひかずボ欟トに乗檸て出入りする患者や病院関係者=21日午後5時、兵庫県豊岡市の豊岡病院 |
兵庫県北部の豊岡市では市中心部を流れる円山川の堤防の一部が決壊し、近隣の住宅地が水にのみ込まれました。市内はほぼ冠水、ピーク時には住宅の二階まで水に漬かりました。同市などでは計約八百世帯が孤立し、住民が避難できない状態となりました。
県はヘリコプター二機で民家の屋根に避難していた七人を救助するなど、これまでに同市内で約百人を救出しました。
しかし、まだ多くの人が屋根で救助を求めており、県は総務省消防庁に緊急援助隊の出動を要請。近隣府県からもゴムボートなどによる支援を受けています。
豊岡市に隣接する出石町では出石川の堤防が決壊しました。町役場によると、水かさが一・五メートルを超えた地域があり、避難所となっていた同町の小坂小学校も床上浸水。住民約六十人が校舎二階に避難しました。
![]() 座礁した練習用帆船「海王丸」から救助され、搬送される負傷者=21日午前、富山市の岩瀬漁港 |
富山市の岩瀬漁港で二十日夜、航海訓練所の練習用帆船「海王丸」(二、五五六トン、池田重樹船長)が座礁した事故で、伏木海上保安部は二十一日午後三時二十分ごろまでに、乗組員と実習生の百六十七人全員を救出しました。
このうち五人が肋骨(ろっこつ)骨折などで入院、船長ら十三人が手当てを受けました。
記者会見した市川義文次席一等航海士(40)によると、同船は富山に入港予定で沖合で停泊していましたが、台風接近で風とうねりが予想以上に強く、二十日午後十一時ごろ、いかりが外れ、約三十分後に防波堤に衝突。船底に穴が開き、船内に水が入ってきました。
実習生らはサロンと無線室に分かれて避難しましたが、サロンではテーブルまで浸水。乗組員の励ましで実習生は落ち着いていたといいます。