日本共産党

2004年10月16日(土)「しんぶん赤旗」

店舗は、従業員は、球団は、国民は

ダイエー この先


 不良債権処理の最大の焦点となっていたダイエー。ドタバタ劇の末、産業再生機構活用という苦渋の選択を強いられました。ダイエー処理策がつきつける問題とは――。


ダイエー問題をめぐる最近の動き
4月16日ダイエー、04年2月期決算発表。再建計画の目標数値を達成
5月24日UFJ銀行の沖原隆宗新頭取が04年3月期決算発表の席上、上期中にダイエーなど過剰債務を抱える大口融資先を処理する方針を明言
7月30日ダイエー、産業再生機構を使わない民間主導の次期再建3カ年計画案を主力3行に提示
8月 3日竹中平蔵金融・経済財政担当相がダイエー案を「先送り型では解決にならない」と批判

 5日主力3行の首脳が記者団に「再生機構を活用した方がいい」

10日主力3行、ダイエーに再生機構活用を通告。ダイエーは直ちに拒否

20日ダイエー、計画修正案を主力3行に提示

27日ダイエーの高木邦夫社長と主力3行の担当役員が直接会談。議論は平行線
9月 3日高木社長と3行役員が再会談。自主再建と再生機構活用の両案に基づく資産査定を並行して実施することで合意
10月 6日再生機構、ダイエーと主力3行に12日までに支援要請を決断するよう書面で通告

 8日高木社長と3行首脳が相次ぎ会談。主力3行側、12日までに再生機構活用を決断するよう最後通告

11日ダイエー、臨時取締役会で民間主導の再建方針確認。3行に回答

12日高木社長、再生機構の斉藤社長と会談し、機構活用の受諾要請を拒否。機構、査定中止を表明


深夜高木社長、主力3行役員と会談し、再生機構の活用検討へ傾く

13日再生機構の活用を決断

再生機構「活用」で

 「うちは、再建計画にそって営業を続けてきたのに……」。ダイエー関係者は、言葉を詰まらせます。

 土壇場まで自主再建策をさぐってきた高木邦夫社長は十三日夜、産業再生機構の活用を選択。来年三月までに不良債権処理を半減するという竹中路線が金融庁、銀行、そして監査法人も巻き込みダイエーを力でねじ伏せました。

 産業再生機構活用という決断は、国民負担拡大の路線の新たな幕開けになります。

 政府の出資金で運営している日本政策投資銀行は、ダイエーにたいして八十億円の出資をしています。さらに長期貸付金残高も約百億円にのぼり、経営に深く関与してきました。今後、産業再生機構による再建計画がどのようになるかは現段階では未定。しかし、政府系金融機関の日本政策投資銀行は、産業再生機構の処理策に法律で協力を義務付けられています。そのため、出資金、融資ともに損失が発生する可能性は強く、国民負担を招くことになります。

 ダイエーは二〇〇二年四月、現在すすめている「再建計画」にたいして、「産業再生」法の適用を受けています。同法は人員削減をすればするほど減税される仕組みです。このとき、ダイエーグループで約二万人の人員削減計画に、五億七千五百万円もの減税の恩典を受けています。

 産業再生機構は、これまで手掛けてきたカネボウなどの支援対象企業にたいして、この「産業再生」法を適用させています。今後、ダイエーの再建策でも「産業再生」法の再適用が検討されることになるでしょう。

 また、産業再生機構には十兆円の政府保証がついています。もし、ダイエーの事業「再生」に失敗し、〇八年の同機構の解散時に赤字があれば、税金で穴埋めされる仕組みです。

事実上解体の恐れ

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産業再生機構の支援要請が決まったダイエーの店舗前で開店を待つ客=14日午前9時半すぎ、東京都目黒区のダイエー碑文谷店

 ダイエー球団は、二百六十をこす店舗は、二万三千人の従業員は――。いま、不安が全国に広がっています。

 産業再生機構は今後、来年三月末の買い取り決定期限にむけ、億単位ともいわれる金を使う資産査定をおこない再建計画を立てます。想定されているシナリオは、総合スーパーの看板を下ろし、食品スーパーに特化。不動産事業は切り離して、大型店の二、三階部分にある衣料品など売り場を他の企業に売却したり、貸し出したりするものです。また、周辺事業を整理・売却すると見られています。これは、事実上のダイエー解体です。

 さらに再建策にはゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなどのアメリカの証券大手やリップルウッド、サーベラスなどのファンド(基金)などの名前があがっています。また、世界最大の小売業のウォルマートも触手をのばしています。外資も入り乱れた「いいとこ取りの争奪戦」は、すでに始まっています。

 ダイエーはこの三年間で関東や近畿など全国で六十店舗を閉鎖してきました。今後も店舗閉鎖が増えるとみられており、従業員や取引業者に不安が広がっています。

 ダイエー球団の売却については産業再生機構の斉藤惇社長が、「やってみなきゃわからない」とコメントしています。球団の行方にも大きな関心が集まっています。

 金子豊弘記者


ダイエーの歩み
1957年創業。「主婦の店ダイエー」(大阪市)出店
71年株式上場
75年コンビニ1号店
80年小売業界初の年間売り上げ1兆円突破
82年米国ハワイ・アラモショッピングセンター買収
96年カンパニー制度導入
97年営業・経常利益の大幅減で、経営危機あらわに
98年初の単独・連結同時赤字
99年連結決算最終損益が412億円の欠損。上場以来初の無配当に。ダイエー「グループ再生3カ年計画」発表(3000人の人員削減、赤字関連会社の売却、2000年までに56店舗の閉鎖)。アラモショッピングセンター売却
2000年リクルート株売却
01年中内功氏が取締役辞任。高木邦夫氏が社長に。「修正再生3カ年計画(フェニックスプラン」)発表
02年「新3カ年計画」発表(不採算事業の整理、グループで100店舗の閉鎖、単独で2000人の人員削減)。産業再生法の認定(4月)
03年グループ有利子負債1兆2053億円に減少
04年同1兆751億円に減少

破たん招いた大規模展開

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産業再生機構の斉藤惇社長との会談後、記者団の質問に答えるダイエーの高木邦夫社長=13日午後11時10分すぎ、東京・丸の内

 「今回のダイエー“支援”劇は、取引先銀行の経営をいかに速やかに救うか、という視点でおこなわれたものだ。だれも、小売業としてのダイエーの再生や将来を本当に考えてはいない」(流通業関係者)

 流通業者の間には、強い不満があります。同時に、今回の事態は、大手小売業の根本的な問題点も示しています。

 ダイエーは中内功氏が一九五七年、「主婦の店ダイエー」(大阪市)として創業。低価格販売と、チェーン店の多数展開による大量販売を追求。一九八〇年には日本の小売業では初めての年間売上額一兆円を突破。大規模チェーン展開は現在の大手小売業の手本となっています。

 ダイエーは、中心市街地や駅前一等地に土地を買い取り、次々と大規模店舗を建てて営業。消費者を呼び込みました。

 背景には、既存の土地・建物を担保に銀行から借金し、新店舗を建設するというやり方がありました。地価が上がりつづけるとする「土地神話」にもとづき、銀行も貸し付けを勧誘してきました。

 しかし、この方法は、九〇年代に入り、バブルの崩壊によって破たん。地価が下がり、土地担保の評価額が下落すると、多額の貸し付けは銀行の経営に負担となり、返済負担の増加はダイエーの経営を引っ張りました。

 中内氏は、大店法の段階的廃止などを主張し拡大路線をとり続けました。

 九〇年代後半には、酒類や家電、ホームセンターなど安売り店が急増。不況の長期化とあいまって総合スーパーの存在価値が消費者に問い直され、ダイエーの収益は下がっていきました。

 ある流通コンサルタントはこういいます。

 「日本の大手小売業の一番の問題は、大規模店舗がアメリカ流のまねだということ。一つの大型店出店にかかるコストは、土地価格が安いアメリカと日本とでは全く違うし、車で大量に買いだめするアメリカ人と、毎日生鮮品を買いに行きたい日本人など、消費者の買い物行動も違う。ダイエー問題は、日本の風土を無視した大規模店舗展開の問題点を提示しています」

 大小島美和子記者



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