2004年10月11日(月)「しんぶん赤旗」
台風22号の暴風雨に見舞われた被災地では十日、日本共産党が議員を中心にただちに調査、激励に入りました。被害にあった住民の声を聞き、各自治体に要求するなど活動を展開。住民からは、対策や補償などの要望が次々に寄せられました。
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台風22号が長野県に最接近した一時間後の九日午後五時ごろ、長野市信更町安庭で地滑りが発生しレストランと経営者の自宅、国道19号が流され、国道19号が不通となっています。人的被害はありませんでした。
十日早朝、日本共産党の石坂千穂県議、中野さなえ衆院長野1区候補、長野市議団(六人)が現地を視察。対策本部で激励をし、避難所を見舞いました。
地滑りは幅約百メートル、長さ約百五十メートル、深いところは八メートルで、概算で三十万立方メートルの規模。国道は完全に抜け、復旧のめどはたっていません。
避難したレストランの従業員の女性(19)は、「地割れですむと思ったら、レストランが傾いて、あれあれという間に流れた。しんじられない。夢みたいで、怖かったです」と語りました。
視察した石坂県議、中野候補は「かなりの区間が通行止めになっている。生活や営業にも影響する。支障が最小限になるよう、また復旧や原因解明に国、県、市が協力してあたるよう働きかけたい」と語りました。
暴風雨に襲われた静岡県伊豆半島の各地域では翌十日朝から、浸水や強風により損壊した家屋などの片付けや清掃、土砂崩れによる道路などの復旧作業に追われました。
伊豆長岡町小坂の狩野川へそそぐ戸沢川水門付近の家々では、水門が開かず、床上浸水。水がぬけた後に残った土砂で、一面泥だらけとなり、稲や柿の木がなぎ倒されました。
近くに住む松谷忠義さん(69)は「台風上陸の前後、三十分もしないうちに水が家の中にガーッと流れこみ、冷蔵庫や近所の車がプカプカ浮いていた」と浸水時の様子を話します。衣類などごみとなった物を入れたポリ袋は三十個にもなり、ぬれた畳もすべてごみに。片付けの手伝いに県外から駆けつけた親せきとともに汗を流していました。
自宅横が戸沢川の芹沢善之さん(54)は「一階は水浸しで妻と二階にいた。流れ込む水のあまりの速さに『助けて』と叫んだ。エアコン、ピアノ、パソコンも使えない。水門が開いていれば被害を防げたかも。だれか補償してくれるのか」と話しました。
日本共産党は、地方議員を中心に、屋根ごと飛んでしまった家など被害地を回って被害状況を把握し、救援にあたったり、災害対策本部が設置されていない自治体には設置を要請するなどしました。
台風22号の影響で、静岡県伊豆市上船原、農業鈴木栄さん(80)方の裏山が崩れ、家屋の下敷きになり救出された鈴木さんは十日午前零時二十分ごろ、収容先の病院で死亡しました。また、同県と千葉県で行方不明者の遺体が確認されました。
静岡県警によると、土砂崩れは九日午後四時十分ごろ発生。木造二階建ての鈴木さん方が倒壊し、鈴木さんが生き埋めになりました。同四時四十分ごろ、消防隊が救出した当初は意識はあったといいます。
また、十日午前五時三十分ごろ、行方不明になっていた静岡市に住む無職女性(37)の遺体が同市清水三保真崎海岸で見つかりました。
一方、千葉県警によると、十日午前七時十分ごろ、千葉県大原町上布施の落合川で、新聞配達員江沢稲男さん(74)=同県御宿町=の遺体が見つかりました。江沢さんは九日早朝、配達のため新聞販売店を出た後、所在が分からなくなっていました。