2004年10月11日(月)「しんぶん赤旗」
「行動範囲がぐんと広がった」「買い物客が増えた」―福島県小高町内を走る「おだかe(いい)―まちタクシー」は、お年寄りをはじめ住民に大好評です。バスより便利でタクシーより安く、戸口から戸口まで送迎する乗り合いタクシー。このきっかけをつくったのは、住民の声を取り上げて運動にした日本共産党議員の活動でした。
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太平洋に面する小高町は人口約一万四千人、東西十二キロ、南北八キロに田園風景が広がります。この日は秋晴れ。稲の刈り入れに追われる田や畑のなかを、e―まちタクシーは走ります。
「大丈夫? 気をつけて」。運転手さんが手動のドアを開けて、重い荷物を持ったり、つえをついたりしているお年寄りに声をかけます。
「買い物や病院に行くのに、よく利用してます。本当に助かるよう」と両手に買い物袋をもった女性(73)。岡本キミノさん(65)も「これは便利よ。出かけるたびに若い人に『車出して』と頼むより、自分で頼んで行った方がうんといい」と、にこにこ顔です。
骨粗しょう症で月二回、つえをつきながら病院通いをする渡部マサさん(82)は一人暮らし。「普通のタクシーなら病院まで往復で三千円かかるけれど、これなら六百円。乗り合いだから友だちも増えたの。運転手さんが、買い物袋を玄関まで持ってきてくれるから助かるよ」とうれしそう。
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実はマサさんは、四年前に夫を亡くし、いったん息子が住む埼玉県に引っ越しました。しかしなじめず、二年前にこの地に戻りました。一人暮らしを始める決め手となったのが、緊急電話通報システムなどの高齢者支援施策と、“足”となるe―まちタクシーの存在だったといいます。
江井績(えねい・いさお)町長も「家にとじこもりがちだった高齢者が、気軽に外出できるようになり、友だちもできて、明るくなった」と語ります。町長室には、町民が詠んだ句が額に入れて飾られていました。「まちタクシー行くはつ春の風の中」
過疎がすすむ小高町。バスが一路線だけに縮小されるなか、e―まちタクシーは二〇〇一年六月から試験運行を始め、〇三年四月から本運行しています。商工会が実施主体になり、九人乗りのジャンボタクシー二台と通常のタクシー二台を借り上げ、午前八時から午後四時まで運行。土曜、日曜などの休日は休みです。
電話で予約すると、情報センターのコンピューター画面に、電話がかかってきた場所とタクシーの場所が表示され、オペレーターが配車を指示します。
料金は、役場や病院、商店街がある町の中心地域内なら百円、それ以外は町内のどこまで乗っても三百円です。利用者は年々増え、今は一日平均百十人余。九月からは幼稚園児の帰宅にも使えるようになりました。経費の半額は町が補助金で負担。二〇〇四年度の補助金は前年度より約百八十三万円多い一千百万円です。
誰でも利用できますが、利用者の八割は七十代、八十代の高齢者です。五割余が医療機関で下車し、帰りは四割が商店から乗っています。あちこちの商店に、タクシーを待ついすやベンチが置かれていました。
「病院の帰りに商店で買い物をして帰る人が多い。町なかへ出てくる人も増えてきた。町の活性化の大きな力になっている」と、e―まちタクシー運行委員長の鈴木一男さん(小高町商工会副会長、町議会議員)。
e―まちタクシー導入のきっかけは、高齢者の訴えでした。一九九九年の町議会選挙に際し日本共産党の渡部(わたなべ)寛一議員が開いた小集会でのこと。
「週三回の通院を医者からすすめられているが、通院には一往復四千円のタクシー代がかかる。今の年金では週一・五回が限界だ。寛一、なんとかしろ」
要望を受けて日本共産党は「福祉バスを走らせる」と公約にかかげました。当選後、渡部議員は議会で質問したほか、自身が事務局長を担って「福祉多目的バスを走らせる会(準備会)」を結成。老人クラブ幹部や開業医、保守系議員も参加し勉強会や署名などの運動をすすめました。
二〇〇〇年の町長選で、日本共産党が推薦し「福祉バス」を公約に掲げた江井績さんが当選。町が調査・検討を始め、商工会も多目的交通システムの開発に着手。国土交通省などと協議を重ね、NTT東日本が開発したシステムを導入するなどして現在の運行ができるようになりました。
e―まちタクシーの「e」は、「いい(よい)町」と、「エレクトロニクス(電子工学)を駆使したタクシー」という意味をかねています。
生みの親となった渡部議員は「みんなが力を合わせたから実現できた。これからも町民のみなさんの声を聞き、住みやすい町を発展させていきたい」と話します。
中村 万里記者