2004年10月9日(土)「しんぶん赤旗」
「交通事故と欠陥車」――その因果関係の一端が司法の場でも暴かれようとしています。三菱自動車の欠陥をめぐって始まった三つの裁判で、欠陥を会社ぐるみで隠ぺいする三菱と、メーカーいいなりの国土交通省が浮き彫りになってきました。
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「安全運転義務違反」――。クラッチ系統部品の欠陥によって山口県で起きた三菱製大型車の死亡事故(二〇〇二年十月)は運転手のミスとして処理されてきました。
三菱自動車元社長・河添克彦被告(68)らが業務上過失致死罪に問われた裁判で、検察の冒頭陳述に事故後の同社の対応が記されています。
事故の発生は、三菱ふそう前会長の宇佐美隆被告(64)に報告され、調査チームが現地に派遣されます。
実況見分に立ち会った調査メンバーは、クラッチハウジング(動力断続装置クラッチを収納する金属製ケース)の破損に気づいたものの、山口県警に申告しませんでした。
チームの報告書には「警察からクラッチハウジング亀裂についてのコメントなし」と記載されていました。警察は原因にまったく迫れませんでした。
同社は、同部品の対策の必要性を知りながら対策費用が「九十億円」もかかることからリコール(回収・無償修理)を回避。欠陥部品を、国交省へ届け出をしないで直す違法な「ヤミ改修」をしていました。事故車は未改修でした。
「ヤミ改修」事案での死亡事故を重く見た同社は、販売店に「三菱自工が示談金を負担する方針であることを告げた上、早急に示談をまとめるよう指示を出しました」。
その結果、同社から事故車を所有する運送会社に、賠償金千三百八十八万円が支払われる一方、運転手の遺族への賠償は一切ありませんでした。
逆に遺族は民事で運送会社に、六百三十九万円を支払う示談が成立していました。
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〇二年一月十日に発生した横浜市のタイヤ脱落母子死傷事故をめぐる道路運送車両法違反(虚偽報告)の裁判では、当時の国交省の担当者二人が証言に立ちました。
前輪と車軸をつなぐ部品「ハブ」の破断が、多発していることを知りながら、なぜリコール(回収・無償修理)されなかったのか…。
自動車交通局技術安全部長(当時)は、ハブの強度不足を疑いながら「リコールと断定する材料を持っていなかった」「リコール対策室にみずから原因を調べる力はなく…」と検証能力のなさをみずから証言しました。
同省は、当初から事故原因をユーザー側の「整備不良」とする三菱の主張を擁護していました。
弁護側冒頭陳述に、同局審査課リコール対策室課長補佐と、三菱側品質保証本部副本部長との象徴的な電話でのやりとりがあります。
〇二年一月三十日。三菱は、「ハブ」の自主点検結果を、リコール対策室にファクスで報告します。
交換基準摩耗量を超える異常なハブは16・2%もありました。実に六台に一台の割合です。
課長補佐「16・2%は外に漏れると反響が大きい。リコールを実施したほうがいい」
副本部長「設計・製造上の欠陥じゃないのになぜリコールなんですか」
課長補佐「通常はそうである。三菱として整備不良であるものの安全確保のために自発的に(リコールを)行うというところを強く打ち出せばいい」
国交省からのリコールの示唆は、宇佐美被告にも伝えられますが、同被告はリコール回避を指示したといいます。
同社がリコールを届け出たのは、二年後の今年三月。神奈川県警の家宅捜索が二度、行われてからでした。
課長補佐は「整備不良を覆す、技術的な根拠がないので、リコール勧告できず、三菱の見解を受け入れて対策を進めざるを得なかった」と証言しています。
日本共産党は、業界や行政から独立した、第三者機関の設置を国会で追及、実現を目指してきました。
製造物責任(PL)問題に詳しい中村雅人弁護士 製品の欠陥でメーカーの刑事責任が問われるのは、森永ヒ素ミルク事件、薬害エイズ事件、雪印乳業集団食中毒事件に続くものです。トカゲのしっぽ切りで終わるこの種の裁判で、企業トップの責任が追及されるのは珍しい。国土交通省は自動車メーカーOBなどによるリコール調査員構想を発表していますがメーカー出向者で運営される自動車PL相談センターの例からも、企業責任が厳しく追及されるかは期待できません。行政サイドが法令に基づく強制捜査権をもつとともに、三菱のような企業には許認可を取り消す措置が必要だ。
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三菱欠陥車裁判 三つの裁判で八人の幹部らと一法人が起訴されています。(1)横浜市のタイヤ脱落母子死傷事故(二〇〇二年一月)で国へ虚偽の報告をしたとする道路運送車両法違反事件。ふそう前会長の宇佐美隆被告ら三被告と法人としての三菱自動車が横浜簡裁で(2)同事故をめぐる業務上過失致死傷事件。元市場品質部長の村川洋被告ら二被告が横浜地裁で(3)クラッチ系統部品の欠陥が原因で山口県で起きた死亡事故(〇二年十月)をめぐる業務上過失致死事件。元社長の河添克彦被告、宇佐美被告ら四被告が横浜地裁で――それぞれ審理が始まりました。