2004年10月2日(土)「しんぶん赤旗」
![]() 視察する(左から)中野町議、八田前参院議員と大崎漁協組合長、中野同参事=1日、愛知県美浜町・野間海岸 |
日本共産党の八田ひろ子前参院議員は一日、台風21号の影響で大量の流木が漂着した愛知県美浜町の野間海岸を視察、漁業関係者から実情を聞きました。中野清孝町議が同行。
海水浴場として知られる同町の砂浜は、全面が大量の流木で覆い尽くされており、その規模は同町から南知多町にかけて伊勢湾岸約十キロにわたるとみられます。漂着物の中には「宮川漁協」と書かれた看板があり、対岸部の三重県から流れてきたとの見方も。
一帯はノリの養殖場として有名ですが、沖合いに立てられた「ノリそだ」が折れたり倒れるなどの被害が出ています。二十日にノリ養殖用の網張りを行うことになっており、それまでに漂着物を撤去する必要があります。
野間漁業協同組合の大崎正明組合長は「これだけの流木はかつてないことです。今後、木曽川からの流木が来ることも予想されます。行政の力で一日も早く撤去してほしい」と語りました。
八田氏の事務所は調査に先がけて水産庁に対策を要請しました。八田氏は、同庁からは「町に実情を聞きます」との回答を受けたことを大崎氏らに伝えました。「地元だけでは撤去は不可能です。国や県の支援が受けられるよう力を尽くします」と述べ、地元の人たちを激励しました。
台風21号による豪雨で多数の民家が床上浸水した三重県伊勢市に一日、日本共産党の瀬古由起子前衆院議員が入り、現地を調査、被災者を激励しました。中野武史党県国会議員団事務所長が同行、黒木騎代春・伊勢市議が案内しました。
宮川の下流に位置する伊勢市では、上流に降った豪雨のために九月二十九日午後、支流の横輪川が決壊し、円座、津村、大倉、辻久留地区などで百七十四世帯が床上浸水、五十八世帯が床下浸水する被害が出ました。現地は至るところに泥やごみが山積みにされ、悪臭が漂っています。
被災住民は口々に「あっという間に水が増えてきて怖かった」と出水時の恐怖を訴え、「泥の撤去を早く」「とにかく人手が足りない。ボランティアに来てほしい」「掃除に大量の水を使っている。水道料金を考えてほしい。便所のくみ取り料も」など、具体的な要望が次々出されました。
瀬古氏は「生活の再建がたいへんです。住民の要望をもとに、国や県にしっかりした支援策を求めていきたい」と語りました。
![]() 校庭一面が土砂に埋まった状況(左手)を視察する白川県議ら=1日、香川・大野原町 |
台風21号の影響で香川県では、土石流災害を中心に大野原町と豊浜町を中心に被害が出ました。日本共産党の白川容子県議は一日、被害地域を見舞い、話を聞きました。大塚久大野原町議が同行しました。
大野原町で半壊が一棟、一部損壊が大野原町、香川町などで十一棟です。裏山で土石流が発生し、土砂が校庭に流れ込んだ大野原町の五郷小学校では、大量の土砂と木材、石が校庭とプールを埋め、手もつけられない状態。関茂樹校長は「教室にも浸水があった。いまは平常に授業をしていますが、復旧のめどは今からです」と話しました。
近所の男性(66)は「住民生活に支障が出るので早く復旧してほしい。県や国が早く対応してほしい」と白川県議に訴えました。
五郷ダム下流の川沿いに住む平岡秀一さん(54)は「土石流が川をせき止め、ダムの放流が重なって水が家のなかに押し寄せた。隣家のはなれが流された」と被害の実態を話し、「一カ月半でまた災害だ。町も県もなんの対応もとっていなかったことに腹がたつ。ダムがなんのためにあるのかといいたい」と訴えました。
白川県議は「この前の視察の時、ダムの放流にも原因があるのではと感じた。住民の暮らしを守るのが県の仕事。県に働きかけたい」と応えました。
![]() 右近町長と懇談する(右から)蓮佛、長田、市谷の各氏=9月30日、鳥取・河原町 |
日本共産党鳥取県委員会の市谷とも子書記長らは九月三十日、台風21号による被害を受けた智頭町市瀬地区、河原町河原地区を訪れ、被害の様子や要望を聞くとともに、市瀬地区では災害ボランティアとして救援活動に参加しました。
市瀬地区は採石場跡地で土砂が崩れ、千代川を一時せき止めたため、堤防を越えて浸水しました。十戸が床上浸水、一戸が床下浸水しましたが、県の指示で早めに自主避難したため、人的被害は免れました。県は二年前の採石場跡地崩落事故を受け、総事業費三十六億円をかけて擁壁を築くなどの対策工事を行いましたが、土石流の勢いを止めることはできませんでした。
同地区には大勢の町民や県職員のボランティアが駆け付け、住民とともに畳や家具の運び出し、泥の撤去作業に追われました。党県委員会の市谷書記長、民青同盟の長田弘行県委員長らも参加して被災者から要望などを聞きました。
河原町では、市谷氏は、蓮佛治己町議とともに被災者を見舞い、右近利夫町長と懇談して、国への要望を聞きました。