2004年10月1日(金)「しんぶん赤旗」
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西日本を直撃、北陸から東北を縦断した台風21号は、三十日正午に三陸沖で温帯低気圧に変わりました。台風通過から一夜明けた西日本では、行方不明の人たちの救助・捜索や復旧作業が続きました。日本共産党の佐々木憲昭衆院議員は三重県の海山町に、瀬古由起子前衆院議員は同町と宮川村に入り、被災地を調査し被災者を激励しました。
![]() 土石流の現場を視察する瀬古由起子前衆院議員(左端)ら=30日、三重・宮川村 |
宮川村では、二十九日午前九時二十分までの一時間に、観測史上最高の一二一ミリの豪雨を記録。土石流や土砂崩れが発生し、住民七人が行方不明になりました。警察や消防、自衛隊など約五百人態勢の救助・捜索で三十日夜までに五人が遺体で見つかっています。
瀬古氏らは三十日、村役場で尾上武義村長から被害の実態を聞き、民家が押し流された現場を見て回りました。尾上村長は「未曽有の大災害」と、予想を超えた被害だったことを強調。とくにライフラインの復旧について、国などへの働きかけを党に要請しました。
瀬古氏は、不明者の捜索とともに、被災者の仮設住宅、孤立した一人暮らし老人や障害者などへの的確な対応を求め、そのための協力を申し出ました。
被害現場では「水がどんどんあふれてきて、ほんとに怖かった」(六十三歳の女性)など、土石流の怖さを訴えていました。
調査には中野武史党県国会議員団事務所長、竹下昌広党中部地区委員長が同行、同村の直江修市議員が案内しました。
台風21号による豪雨災害で三十日午後、三重、愛媛両県でそれぞれ二人の遺体が新たに確認されました。死者は三重で七人、愛媛で十一人の計十八人となりました。行方不明者は三重四人と愛媛、鳥取、山口各県で一人の計七人です。消防庁の午後五時現在のまとめでは、全国の負傷者は八十一人にのぼっています。
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