2004年9月29日(水)「しんぶん赤旗」
「驚天動地という気持ちでした」。二十七日、内閣改造に先立つ自民党役員人事で幹事長に就任した武部勤氏は、記者会見で驚きを強調しました。一方、ニュースを聞いた旧橋本派の中堅議員は「これでいいのかという意味では、確かにサプライズ(驚き)だな」とはきすてるようにつぶやきました。
安倍晋三前幹事長の辞意を受け、首相自身「後が難しい」とのべていた後任幹事長人事。その“党の要”の地位に、YKKの盟友・山崎拓前副総裁の配下とはいえ小派閥から、それもかつてBSE(牛海綿状脳症)問題で世間のひんしゅくをかった元農水相を大抜てき。加えて退任した安倍氏を、「格下げ」の幹事長代理に据えたのです。
「武部は議運委員長として汗をかいてきた。それに政権公約作りで『郵政民営化』を掲げ、官邸での党役員連絡会でも露骨に推進論を表明してきた。その論功行賞だ。安倍は格下げだが、“身の丈”にふさわしくなったというところだろう」(政治ジャーナリスト)
こんな見方もあります。「小泉は独りこもって人事構想を練った。その結果、結局信用できるのは身内の森派とYKK、それも山崎拓グループだけだった。改造内閣の顔ぶれを合わせてみると、よりはっきりする」(著名な政治評論家)
確かに改造内閣では、首相の出身派閥・森派が三から参院一を含めて五に増加。これがいかに突出しているかは、最大派閥・旧橋本派が青木幹雄参院議員会長推薦の「参院枠」一を加えても合計三なのと比べれば一目瞭然(りょうぜん)です。
一方、再度、幹事長派閥となった山崎派は、今回、防衛庁長官を出したのに加え、落選中の山崎氏本人が「首相特命担当補佐官」に任ぜられ、官邸入りすることになりました。山崎氏の場合、前回(昨年九月)の内閣改造・党役員人事で自民党副総裁の要職に就きながら、直後の総選挙で落選。わずか二カ月で辞任を余儀なくされていました。
「YKKといっても復帰した加藤(紘一元幹事長)が、自衛隊のイラク派遣や憲法問題などで“もう限界だ”と小泉にやや距離を置き始めた。それに比べ山崎は、極秘に訪中し小泉の再訪朝と拉致家族帰国の道を開くなど、いわば『滅私奉公』をしてきた。二人との距離がはっきり違ってきた」(前出、政治評論家)
こうして、米軍再編成、日朝問題などで「首相の意を受けた派閥のボス・山崎が官邸から、党を握る幹事長や防衛庁長官に直接指示する」布陣ができたというわけです。
しかも、学歴詐称による元民主党議員の辞職で、来年四月の衆院補選に立候補を決めた山崎氏にとって「党の資金も自由に使える、この上ない後押しだ」(前出議員)との声もあります。
今回の内閣改造・党人事に向けては、首相の“後見人”を自任する青木氏と森喜朗元首相の「青森コンビ」が再三、首相と会合。参院選敗北を受け今後の難局を乗り切るためにも、古賀誠元幹事長や亀井静香元政調会長らを処遇し「党内融和」をはかるよう申し入れてきました。
ところが小泉首相は、そうした声は「聞き置く」だけで、結局は無視。郵政民営化など持論への「忠臣」を優先的に登用したのです。いわば“寂しき首相官邸の主”といったところか。
組閣前日には、日歯連一億円献金事件で、新たに最大派閥・旧橋本派の元会長代理が在宅起訴されるなど、自民党政治の深刻な腐朽と行き詰まりの中で船出した第二次小泉改造内閣。国民から見てその行き先には、希望は見えません。(梁)