2004年7月22日(木)「しんぶん赤旗」
![]() 歩道橋事故現場の「想の像」に献花する人たち=21日午後8時52分、兵庫県明石市 |
兵庫県明石市大蔵海岸の花火大会の際、歩道橋上で子どもやお年寄り十一人が圧死、二百四十七人が負傷した事故から丸三年となる二十一日、事故現場などで追悼の催しがおこなわれました。
夕刻、同市市民会館で「歩道橋事故レクイエムコンサート」が開かれ、当時五歳の娘、寛子ちゃんを亡くした飯尾卓也さん(37)、同じく二歳の智仁ちゃんを亡くした下村誠治さん(46)、八歳の優衣菜ちゃんを亡くした三木清さん(35)が、三年間の思いを語りました。
飯尾さんは「三年間、早く人生を終えて娘に会いたいという思いばかり。事故を起こした人たちが罪を認めるまでたたかうことが、寛子への供養です」と話し、下村さんは、「いまも『群衆なだれ』が起きた現場にいるような感覚です。苦しんで亡くなり、路上に放置されていた子どもたちを思うと、原因解明、再発防止に努めるしかない」と話しました。
三木さんは「優衣菜のいない人生なんて考えたこともなかった。あのとき守れなくてごめんね。お父さんがくじけないように、ずっと見ててね」と、声をつまらせながら優衣菜ちゃんへの手紙を読みました。
コンサート終了後、参加者は、現場までペンライトをかざしてメモリアルウオーク。事故が起きた午後八時四十分ごろ、現場に到着した遺族らが、慰霊碑に向かって献花して合掌しました。