2004年7月17日(土)「しんぶん赤旗」
前市長の辞職にともなう大阪・羽曳野市長選が、十八日告示(二十五日投票)されます。日本共産党や労働組合、民主団体で構成する「公正・民主的な羽曳野市政をつくる会」は、同会代表で元日本共産党市議の杉山やよいさん(63)を擁立し、「力を合わせきれいな市政に転換しましょう」と市政刷新を呼びかけています。
関西総局・嶋田昇記者
| 発端は |
市長選が実施されることになったのは、今年四月に発覚したBSE対策にかかわる牛肉偽装事件でした。
|
この事件の主犯格「食肉業界のドン」こと「ハンナン」グループ代表の浅田満被告(65)は、福谷剛蔵前市長(62)と、十五年前に福谷氏が市長に就任するときからの深い関係です。
今回の事件で浅田被告は、BSE対策で政府が実施した国産牛肉買い取り事業を悪用して総額約五十億円の国費をだましとった罪で起訴されています。福谷前市長は、国産牛肉に偽装した輸入肉を自分が管理者を務めるゴミ焼却場(柏羽藤クリーンセンター)で計二千三百トンも焼却しました。
福谷氏の市長辞職の直接の理由は、肉を焼却するに当たって、事前に市役所の市長室で浅田被告と面談した回数が三回なのに記録を一回に改ざんしたことが発覚したため。大阪府警の事情聴取を受けた直後の六月十五日に辞職を表明しました。
| 前市長は |
福谷前市長は、四回の市長選のうち二回をハンナングループ企業の所有地を選挙事務所に使用しています。
福谷前市長の政治資金団体・羽曳野政経研究会の顧問には阪南畜産社長で浅田被告の実弟・浅田英樹氏が名を連ねています。この研究会にはハンナングループの企業が三社加入しています。選挙の際は六千万円ともいわれる資金を集めて福谷氏を支援していたのです。
|
福谷前市長は、一期目の一九九二年に市立と畜場の改築工事を「ハンナン」グループの昭栄興業が中心になったJV(共同企業体)に十六億円で落札させました。
ところが、その請負契約からわずか五カ月後に市長の専決処分で改築を新築に変更して六億円も上積みし、二十二億円の事業に変更してしまったのです。同じハンナングループのペーパー会社、浅田建設には五年間に十二億円もの公共事業を発注させています。
きわめつけは、一九九九年九月からハンナングループの「日本マトラス」社に月額一万円、年十二万円で市が管理する財産区の土地を貸し付けていることです。この土地は浅田被告の「浅田御殿」の一角、約三千三百平方メートル(約千坪)で、格安の貸し付けが市民をあきれさせています。
ハンナングループへの優遇措置は、物心両面で浅田被告から支援を受けてきた見返り以外のなにものでもありません。
| 争点は |
今回の市長選は、前市長が辞職に追い込まれた経緯をみても、事業を私物化して利権をあさる「ハンナン」グループの支配を打ち破り、市民が主人公の清潔で公正な市政をつくるかどうかが問われます。
「ハンナン」いいなりがすすめられる一方、市財政は借金地獄に陥り、その付けが市民にまわされています。最近の二、三年を見ても幼稚園保育料の値上げ、保育園の延長保育料徴収、老人医療費助成の廃止など市民に負担と犠牲が強いられています。
杉山候補は「牛肉偽装事件は全国に羽曳野の名をはずかしめ、多くの市民が心を痛めています。今度の市長選挙は、この汚名を返上し、全国に誇る清潔・公正な市政をつくるかどうか問われています。政治的立場をこえてこの一点での協力・共同が必要だと考えています」と呼びかけています。
元保育園園長の須原智保子さん(64)は「福谷前市長は『ハンナン』グループの支援で市長になったこともあって、『ハンナン』いいなりになってしまった。市民の一人として本当に市民のほうを向いた市長を選ばなくてはいけないと思います。杉山さんは、なれ合いを許さず、市民のために市政を立て直した試され済みの人です。今の羽曳野に必要な人と心から思います」と話しています。
【杉山候補の略歴】 1941年滋賀県生まれ。64年羽曳野市役所に就職。77年羽曳野市議会議員に当選、以後4期連続当選。現在、杉山やよい生活相談所所長、NPO法人介護予防ネット・大阪副理事長。家族は、弁護士の夫と一男一女。 |
福谷前市長時代の市政は自民、公明、民主などのオール与党市政。その中心の自民党は「なかなか前市長が築いてきた市政を継いでやろうという方がなかった」(十五日の事務所開きで井上進自民党羽曳野支部長)ために候補者選定が遅れたと弁明しますが「ハンナンと関係のない、きれいな候補がいないのが実態」(マスコミ関係者)といわれています。
結局、現職市議で福谷前市長の強力な応援団だった北川嗣雄候補(61)が出馬を表明しています。
このほかに、薬局店経営の田仲基一氏(39)が立候補の意思を明らかにしています。
羽曳野市は、日本共産党員市長の津田一朗さん(故人)が、一九七三年から四期十六年にわたって市長をつとめました。「解同」(部落解放同盟)いいなりの不公正乱脈な行政で財政破たんに陥った市政を見事に立て直し、全国的にも有名になったところです。