2004年5月25日(火)「しんぶん赤旗」
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太平洋戦争中に中国から強制連行され、福岡県の炭鉱で強制労働させられた中国人十五人(うち一人死亡)が国と三井鉱山に謝罪と損害賠償を求めた訴訟で、福岡高裁の簑田孝行裁判長は二十四日、強制連行・強制労働は国と企業の共同不法行為で損害賠償責任があると認めながら、提訴前に時間が経過し権利が消滅したとし、一審判決を棄却、原告の訴えを退けました。
強制連行をめぐる初の控訴審判決でしたが、共同不法行為を認め、企業に損害賠償を命じた一審判決を棄却する内容に原告らは怒りの声をあげました。
高裁判決は、戦前の明治憲法下では国の不法行為によって個人が損害を受けても国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の法理の適用を退けました。そのうえで、「特段の事情がある場合、国は不法行為責任を負わなければならないと解釈する余地はあった」と指摘。この法理を採用した一審判決より国に厳しい判断を示しました。
しかし、判決は、不法行為から二十年が経過すると、その行為に対しての責任を負う必要はないとする「除斥期間」を適用。「原告らの賠償請求権は提訴前に消滅している」として、原告側の請求を退けました。
一審判決は、「除斥期間」について、「正義、公平の理念に反する」として適用を退けました。高裁判決は、一般的に、この考えを認めました。しかし、不適用の条件として四点((1)加害行為が悪質で被害も甚大(2)除斥期間経過前に権利行使が不可能(3)加害者が証拠隠滅するなど、権利消滅の利益を享受させるのが不相当(4)被害者が権利行使が可能になって、速やかに行使した)を提示しました。そのうえで、原告が提訴したのは、私事による出国が可能になった一九八六年から十四年が経った二〇〇〇年だったことを指摘。原告が損害賠償の請求権を速やかに行使しなかったと判断、「除斥」の適用を認め、国と企業の責任を問いませんでした。
この判決は、日本政府が長期間、強制連行・労働の事実を確認できないとして責任を否定し続けるなど、原告が裁判を起こすことがきわめて困難だったことなどを考慮すると、実態をみない判断です。
判決後おこなわれた記者会見には、約三万九千人の被害者とその遺族・家族を代表する形で来日した二人の原告が参加しました。
張宝恒さん(81)は「過酷な判決だ。国家というものがなぜ責任逃れをするのか。どのように考えたら強制連行・強制労働が許されるのか」と憤りをあらわにしました。
原告側弁護団の立木豊地弁護団長は「きわめて不当な判決だ。時が流れたからという問題ではない」と批判しました。
弁護団は、同時に、国と企業の犯罪行為であり損害賠償責任があることそのものは動かしがたいとして、「政府と国会は、三万九千人のすべての被害者、その遺族・家族に全面的な救済をはかるべきだ」と求めました。
全国中国人戦争被害者賠償請求事件弁護団の小野寺利孝団長代行は「国と企業が、判決にすがって、賠償しないですまされたとするのか。政治的道義的にすべての被害者とその遺族・家族にしんしに対応するのかが問われている」と批判しました。
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【北京=小寺松雄】中国人強制連行裁判の福岡高裁での二十四日の不当判決は、中国で待ち受ける中国人原告や日中の弁護士に午前十時(日本時間同十一時)前に伝わりました。
北京郊外の抗日戦争記念館には、路久文さん(83)、葉永財さん(78)ら十人の原告が北京や河北省から駆けつけましたが、不当判決の報にしばらくは声もありませんでした。
日本から来た高橋融弁護士ら三人が記者会見で判決の不当性を説明。中国弁護士会の于寧副会長も「日本の国内法の適用というだけでなく、中国の法律や国際法にも目を配るべきだ」と批判しました。
会見に出席していた原告の張五奎さん(78)が立ち上がり、「日本はわれわれの血と汗で財をなした。それなのにこの判決とは…。あまりに不合理だ。私が死んでも子や孫が訴訟を続ける」と声をふりしぼって抗議しました。
中国弁護士会、中国抗日戦争史学会など四団体は、判決に抗議したうえで「日本の政治家や大企業が、中日両国関係の大局から出発し、歴史を直視して、中国人戦争被害者に謝罪し、戦争が残した諸問題を解決していくことを望む」という共同声明を発表しました。