日本共産党

2004年5月20日(木)「しんぶん赤旗」

「君が代」はどんな歌なのですか


 〈問い〉「君が代」の伴奏を強制されて苦しむ音楽の教師のことを新聞で読み、この歌のことをもっと知りたいと思いました。どんな歌なのですか?(神奈川・一読者)

 〈答え〉 「君が代」の元歌は、平安時代の『古今和歌集』(巻七)の「わが君は千世にやちよに さゞれ石の巌(いわお)となりて苔(こけ)のむすまで」(作者不詳)とされています。十三世紀の『和漢朗詠集』は、出だしを「わが君」でなく「君が代」にしています。室町から江戸時代、薩摩小唄や長唄など時々のはやりの節にのせて民衆がうたう御祝儀の歌で、君は相手への敬語、代は齢を指していました。

 近代の「君が代」は、一八七〇年(明治三)年、薩摩藩軍楽隊の演奏が始まりです。同藩の砲兵隊長、大山巌が、薩摩琵琶曲の「蓬莱山」から君が代の一節を歌詞に選び、イギリス軍楽隊長のフェントンが曲をつけました。「蓬莱山」は、「日出度みやな、君が恵は久方の、光の長閑(どけき)春の日に」という出だしで始まる縁起のいい文句を連ねた祝賀の歌で、そこに「君が代は、千代に八千代に」と出てきます。

 これをきっかけに、海軍の儀礼曲となり、その後、宮内庁の式部寮の林広守やドイツ人音楽教師らが作曲しなおし、一八八〇年の天長節(天皇誕生日)に演奏されたのが、現在の「君が代」です。

 もともと一般の長寿の祝いの歌だったものを、天皇制政府が「君」とは天皇のことだと解釈しなおし、天皇を賛美する歌に仕立てあげたのです。戦時中の教科書(『初等科修身二』一九四三年版)は「君が代」を「『天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年もつづいておさかえになりますように』という意味」と説明しています。

 国民的な合意のないまま、九九年八月、国旗・国歌法が強行されましたが、制定時に政府は「国民にたいして義務づけは考えていない」と言明しており、教育現場などでの押しつけは許されないものです。(

 〔2004・5・20(木)〕


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