日本共産党

2004年5月5日(水)「しんぶん赤旗」

伊藤千代子を詠んだ歌とは?


 〈問い〉 戦前、戦争に反対して拷問され、亡くなったという伊藤千代子、その死を惜しんで土屋文明がうたった歌とは?(福岡・一読者)

 〈答え〉 戦前、天皇制国家の専制支配と侵略戦争に反対して、たたかった日本共産党員など多くの人々が死刑法である治安維持法で逮捕され命を落としました。この中には、多くの若い女性もいました。

 『日本共産党の八十年』は、化粧用のコンパクトに「闘争・死」の文字を刻み獄死した飯島喜美、弾圧機関である特別高等警察におそわれ重傷を負い死去した高島満兎(まと)、獄中でチリ紙に「信念をまっとうする上においては、いかなるいばらの道であろうと…」という姉あての手紙を残した田中サガヨ、それに、伊藤千代子の四人をあげ、「それぞれが二十四歳の若さで、侵略戦争に反対し、国民が主人公の日本をもとめて働いたことは日本共産党の誇り」と記しています。

 伊藤千代子(1905〜1929年)は、東京女子大に入学すると社会諸科学研究会に入り、長野県の製糸工場の大争議の支援などのなかで、22歳で入党。党中央事務局で文書連絡や印刷物の整理などの活動を始めて半月後の3・15事件で逮捕されました。拷問をうけ、獄中で党員の夫の天皇制政府への屈服を知り、衝撃を受けますが、同調を拒否。市ケ谷刑務所で栄養失調になり、病院に転送後亡くなりました。

 諏訪高等女学校(現諏訪二葉高校)校長を務めた歌人、土屋文明は一九三五年、短歌誌『アララギ』で、教え子・千代子を悼んで次のように詠みました。

 まをとめのただ素直にて行きにしを 囚えられ獄に死にき五年がほどに

 こころざしつつたふれしをとめよ 新しき光の中におきて思はむ

 高き世をただ目ざす処女(おとめ)らここにみれば 伊藤千代子がことぞかなしき

 (

 〔2004・5・5(水)〕


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