日本共産党

2004年5月1日(土)「しんぶん赤旗」

入国理由話すと「命保証」

人質事件 今井さん、郡山さんが会見


国内外の支援に感謝

 イラク日本人人質事件で解放され、四月十八日に帰国した市民団体代表の今井紀明さん(18)、フリージャーナリストの郡山総一郎さん(32)は三十日、東京千代田区の弁護士会館で解放後初の記者会見を行いました。ボランティアの高遠菜穂子さん(34)は健康状態が良好でなく欠席、友人のフォトジャーナリスト、森住卓さんが出席しました。

 二人は冒頭、国内外から解放への支援、協力について「日本、世界、そしてイラクのみなさま、本当にありがとうございました」と感謝。さらに拘束されたときの状況を語りました。

 三人はバグダッドに向かう途中、ガソリンスタンドで日本人であることが知られ、アラビア語で「日本人はよくない」という意味のことをいわれ、小銃や手りゅう弾をつきつけられました。拘束時は、銃身を押し付けられ、三人とも「死の恐怖におびえた」(今井さん)といいます。

 その後、英語が話せる「ジェネラル」と呼ばれる人物が「スパイか」「ジャパニーズ・アーミー(日本の自衛隊)なぜ」などと尋問。高遠さんがイラクの子どもたちの支援をしていることや、他の二人が戦争を伝えるジャーナリストであることを伝えると、「ソーリー(申し訳ない)、命の保証はする」といいはじめ、なごやかになったといいます。

 犯行グループは「ファルージャを守る自警団、レジスタンス」と名乗り、親や子どもを米軍に殺されたと訴え、「スパイではないか」と軍との関係を何度も聞きました。

 その後、ビデオ撮影があり、三人はいうとおりにするよう命令されました。そのときは犯行グループの様子が変わり、「泣け」といって、ナイフを突きつけるなどされ、「ものすごい恐怖を感じた」(今井さん)といいます。

 今井さんは「三日目から落ち着いた」といいますが、解放の約束が何度も延び、移動の自由もなかったと話しました。

 今後について、今井さんは「劣化ウラン弾の被ばくや戦争の問題を伝えていきたい」、郡山さんは「この体験をいかし、世界中を自分の目で見て、伝えていく」と話しました。


撮影は演出でなく命令

戦争の現実伝える責任

イラク拘束 今井さん、郡山さん語る

 三十日、解放後初の記者会見をおこなったジャーナリストの郡山総一郎さん(32)と市民団体代表の今井紀明さん(18)。イラクに入った目的や、武装勢力にビデオ撮影された際の状況、今後の抱負などについてしっかりした口調で語りました。会見での発言から紹介すると――。

 【イラクへ行った目的】

 「ジャーナリストとしてイラクの現状をこの目で確かめ、真実を日本に伝えるため。劣化ウラン弾被害がすごいということを聞き、自分自身の目でみて伝えること」(今井さん)

 「自衛隊派兵によってイラク人の気持ちがどう変化したのか。イラクの真実を日本に伝えるため」(郡山さん)

 【拘束時の状況】

 「(ボランティアの高遠菜穂子さんが)ファルージャの病院に薬や子どものミルク、ガーゼや包帯などを届け、バクダッドでも、路上生活をしている子どもたちの『お母さん』をしていること、を紹介した。ここで、場がなごんだ。『あなたたちの命は保証する』とかいい始めた」(今井さん)

 【ビデオ撮影の状況】

 「ビデオカメラを持った男が入り、『泣いてくれ』といっていた。とにかくすごいけんまくだった。『ノーコイズミ』と迫られて、僕の場合はナイフをやられた。ものすごい恐怖だった」(今井さん)

 「犯行グループに日本語を話せる人はいなかった」(郡山さん)

 「(『自作自演』説があるが、との記者の質問に)演出というより命令だ。泣いてくれ、おびえてくれ。あの状況の中で断れますか」(郡山さん)

 【「自己責任」論について】

 「ジャーナリストは危険だからこそ現場に立って伝えるべきことがある。いまの『自己責任』論はちょっと僕たちにあてはまる言葉でない」(郡山さん)

 「自分にとって責任が生じたことは、今回の体験を日本の人びとに伝えること。イラク戦争の現実とかを伝えたい」(今井さん)

 【自衛隊について】

 「人道支援という名目で出しているわけだが、本当にイラク人が望んでいるものと違うんではないか。今回ますます感じた」(郡山さん)

 【日本の警察】

 「(ドバイでの警察の事情聴取について)かなり疑ってかかっていた。ぼくらが『こうでした』と話すと『え、こうだったんじゃないの?』という切り返しが妙に多かった」(郡山さん)


イラク人質事件の経過(時間は現地時間)

 4月5日 今井さん、アンマンに到着

  6日 郡山さん、アンマンに到着

  同日午後10時30分ごろ 高遠、今井、郡山さんがバグダッドにむけて陸路出発

  7日未明 イラク国境付近に到着 夜明けを待つ

  同日午前6時前 バグダッド街道を出発

     ファルージャ手前で迂回(うかい)路へ

  同日午前11時  ラマディとファルージャの間のガソリンスタンドで拘束

     移動

     ビデオ撮影(2回)

     集会場のようなところに移動

  同日午後11時ごろ 別の場所に移動(就寝)

  8日夕 別の場所に移動

      さらに別の場所に移動

  9日  1時間30分ほど移動し辺りに何もない一軒家に到着

  10―13日 上記に泊

  14日朝 車で移動

  同日昼 小部屋に連れていかれ、荷物一部返還

  15日朝 荷物一部返還

  同日昼 30分ほど移動

      モスク到着・解放

  同日夕 日本大使館へ移動


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