日本共産党

2004年4月18日(日)「しんぶん赤旗」

「夢のような感じ」

2人解放

泣き崩れる母親

電話に「早く帰ってこい」


 二人も無事だった―。十七日、イラクの首都バグダッドの郊外で拘束された日本人のフリージャーナリストと市民団体メンバーが解放されました。武装グループに連れ去られてから三日ぶり。「こんなにうれしいことはない」。無事を待ちわびた家族は喜び、涙を流しました。


「2人で万歳」

安田さんの両親

 フリージャーナリストの安田純平さん(30)の父・英昭さん(64)の元には十七日夕、外務省から解放の連絡が入りました。

 午後五時すぎ、埼玉県入間市の自宅マンション前に集まった五十人以上の報道陣の前に姿を見せた英昭さんは「ありがとうございます」と何度も頭を下げました。

 純平さんの母・幸子さん(60)は知らせを聞いて泣き崩れたといい、「二人で万歳をしました。こんなにうれしいことはない」。硬い表情が笑顔に変わりました。

 幸子さんは午後六時ごろ、テレビに純平さんの元気そうな様子が映ると、目元をハンカチで押さえ「皆さんのおかげで息子の姿が見られます」と言いつつ、後は言葉になりませんでした。

 「ばかやろうと殴ってやりたい」と言っていた英昭さんも、息子の姿に「よく頑張った」と感極まった様子でした。

 午後六時二十分ごろには、純平さんから電話が入りました。「おれだ」という第一声に、英昭さんは「とにかく早く帰ってこい」と何度も語り掛けました。

「良かった」

渡辺さんの両親

 栃木県足利市の渡辺修孝さん(36)の母和枝さん(61)は「解放」の知らせに、何度も涙をぬぐいました。「ありがとうございます」「皆さんのおかげです」。父国雄さん(65)も声を震わせ「夢のような感じ。本当にありがたい」と語りました。

 行方不明から四日目。「何もできない。皆さんにお世話になるだけ」(国雄さん)と、ひたすら待つ日々を過ごしました。和枝さんは「親ですから本当につらかった。生きているのか死んでいるのかも分からなかった」と振り返ります。和枝さんは解放を伝えるテレビを見て喜びに泣き崩れました。国雄さんは「良かったな」と妻の背をさすりました。会見で、修孝さんにどのような声を掛けたいかを問われると、国雄さんは「三日間よく頑張ったなと言いたい」。和枝さんは「生きていて良かったです。それだけです」。終始、涙声でした。

拘束2人をめぐる主な動き
(日時はいずれも日本時間)
2月下旬渡辺修孝さん、バグダッド着
3月7日渡辺さん、自衛隊が派遣されたサマワへ
3月14日安田純平さん、出国。アンマン経由でバグダッドへ
3月下旬渡辺さん、バグダッドに戻る。その後、安田さんと同居
4月7日渡辺さんの「バグダッドが慌ただしくなってきました」と書かれたリポート、所属する市民団体のホームページに掲載される
4月12日安田さん、「街中で『出歩いているとさらわれるぞとからかわれます』」と知人にメール。この日の夜、埼玉県の家族に電話
4月13日渡辺さん、ホームページに掲載するリポートを送信
4月14日午後3時、安田さんが東京新聞にメール。同7時ごろ、安田さんと渡辺さん、バグダッド郊外のアブグレイブ付近で武装グループに拘束される。2人と一緒にいたイラク人男性が日本人ジャーナリストに事件を知らせるメール
4月17日日本人2人が解放され、保護される



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