日本共産党

2004年2月21日(土)「しんぶん赤旗」

オウム事件被害者の叫び 2・27松本被告判決を前に(1)

上九一色村から

謝罪なくては終わらない


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サリン工場のあった第7サティアン跡地にはだれが置いたのか花束が。跡地に立つ竹内精一さん=山梨県上九一色村

 化学兵器サリンを使用した松本サリン、地下鉄サリンの無差別殺人テロや坂本弁護士一家殺人など一連の事件を起こしたオウム真理教(現アーレフ)の元代表・松本智津夫(麻原彰晃)被告(48)にたいする判決が二十七日、東京地裁で言い渡されます。世界に類例をみない犯罪の数々。判決を前に被害者の思いをききました。 「昨年四月、九年間ほどいたオウムから子どもが出てこれました」。山梨県上九一色村の竹内精一さん(75)に届いた今年の年賀状にそんな一通がありました。オウム真理教を脱会した子を持つ親からです。

90年からの闘争

 「九年前」は松本サリン事件のあった年。「抜け出すのに十年近くかかった」と感慨深く語る竹内さんは、日本共産党上九一色村議です。

 富士山の西ろくに広がる高原地帯、上九一色村富士ケ嶺地区の広大な土地を松本被告のオウム真理教が取得したのは一九八九年八月のこと。村民たちはまったく知りませんでした。

 九〇年に入り、白装束姿の男たちが住民の顔写真を撮ったり、廃液を垂れ流したり、異臭を出し、牧草が枯れるなどの被害が出るようになりました。

 竹内さんたち村民がオウム真理教とのたたかいに立ち上がったのはその年の五月のこと。三百人の村民が集まり、宗教法人の名をかりて「正体を明かさず、現場を覆い隠し、深夜未明まで強力な照明の下、騒音をたて、悪臭を放つ廃液を隣接地に流出、牧草を枯らしている」として「天恵の環境を保持する責任は我々にある」と宣言し、「オウムの追放と解散」を決議しました。

 それから十数年。オウムと村民のたたかいの攻防となった「サティアン」群は今荒涼としたさら地になっています。サリン工場だった第七サティアンの跡地には、だれが置いたのか花束。花は枯れ、包んだセロハンが風に「カサカサ」と音をたて泣きます。

無視したものは

 「麻原に謝罪をさせなければたたかいは終わらない。犠牲はあまりにも大きかった」とかみしめる竹内さん。「地獄に落ちるぞ!」という脅迫に屈せず、命懸けでたたかいの先頭にたってきました。

 「警察などはわれわれがいろいろ訴えてきたのにサリンのテロとはたたかわなかった」という竹内さん。松本サリン事件や地下鉄サリン事件が起きる前に何度も未然に防げる機会があったと強調します。

 建築確認に違反したサティアンの建設ラッシュ。廃液の垂れ流し。「毒ガスを除去する」といって巨大な空気清浄機を設置する。有毒ガスの存在をうかがわせる防毒マスクをかぶった信者の出入り…。そのたびに村民は、県警、土木事務所、保健所など関係機関に立ち入り調査を申し入れました。しかし、どこも動きませんでした。

 「くやしくってならんことがある」というのはサリン工場・第七サティアンから百五十メートルしか離れていないところに住む岡本法恵さん(75)です。「警察や行政は住民の指摘と訴えを無視し続けた」と怒ります。

事件防げたはず

 「麻原は早くから毒ガスのことを信者に語っていた。松本サリン事件が起きた直後にはブナ、イチョウなどの葉が枯れた。深夜に異臭が発生し、住民が避難した。防毒マスクをした信者が路上でぐったりしていたのが目撃された。警察や保健所がきたけど、立ち入り調査しなかった。少なくともあのとき立ち入り調査をしていたならば地下鉄サリン事件は防げたはずだ」

 竹内さんたちとともにオウムとたたかった岡本さんは、自宅に盗聴器を付けられるなどの妨害をうけました。

 「オウム最高責任者の罪はきっちりと裁きを受ける必要がある。怠慢からサリンテロを未然に防げなかった国の責任も問われるべきだ」と、岡本さんは訴えます。(つづく)


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