2004年2月19日(木)「しんぶん赤旗」
三十年にわたり国土が分断されたキプロスの首都ニコシアで十九日、和平交渉が再開されます。キプロスが五月一日の欧州連合(EU)加盟前に、三十年ぶりの再統一を実現できるかどうか最後の機会。予断は許されませんが、大きな転換点に差しかかっていることは間違いありません。(パリ=浅田信幸)
「五月一日を前にキプロスが再統一する本当の可能性が出てきた」―キプロス共和国のパパドプロス大統領と「北キプロス・トルコ共和国」のデンクタシュ大統領が十三日、「連邦国家」樹立を前提に和平交渉再開で合意したことに、アナン国連事務総長はこう歓迎の言葉を述べました。
キプロス内でも、ギリシャ系、トルコ系を問わず、各紙はいっせいに「和平に向けての巨大な一歩」と報じました。
ギリシャ系住民とトルコ系住民の対立が、一九七三年のクーデターと翌七四年のトルコによる北部併合に拡大、キプロス国土は分断しました。以来三十年、これまでに何度か、国連などの仲介による再統一の話し合いが行われましたが、いずれも失敗。しかし、最近になって、キプロスをめぐる国際環境に大きな変化が生まれました。
第一は、キプロスの今年五月のEU加盟が正式に決定されたことです。
第二は、これにともないEU加盟を熱望するトルコが、キプロス問題の解決に向け積極姿勢に転じたことです。
トルコはEUの加盟交渉候補国とされながら、その交渉開始の決定はことし十二月のEU首脳会議に持ち越されています。その条件とされているのは死刑や国内反対派への弾圧など国内の民主主義の問題とともにキプロス統一問題があります。キプロスが再統一を実現させないまま、EUに加盟すると、トルコは加盟国の領土の一部を占領しながら、加盟の交渉を進めるという事態が生まれます。トルコとしてはEU加盟交渉開始の前提としてキプロス問題の解決が迫られているのです。EUもまた、この間トルコにキプロス問題解決を強く働きかけてきました。
トルコのギュル外相は十四日、EUの求める国内の民主的改革の実行ととともに「キプロス問題が解決すれば、誰も加盟交渉開始にノーとは言えないだろう」と発言。同国のEU加盟問題とからめる姿勢を明確にしています。
最大の後ろ盾トルコの圧力を受け、「北キプロス」のデンクタシュ大統領も十五日、「双方が善意を見せれば合意達成は可能」と述べました。
その一方で、パパドプロス・キプロス大統領は和平交渉開始合意だけは「まだ何も達成されたとは言えない」と慎重な姿勢。交渉開始を「裏切り」と叫ぶトルコ民族派の行動も伝えられます。
交渉では「連邦国家」中央政府の権限をめぐり対立が再燃する可能性もあります。トルコ侵攻時に二十万人にのぼったといわれる北から南への難民の帰還も難問です。「原状回復」を希望するギリシャ系住民の間には、三十年間の占領という「既成事実」が押し付けられないかとの懸念も広範にあるといいます。また独立以前からある民族対立を抑止する治安対策も最重要課題にあげられています。
和平交渉再開合意では、(1)十九日に交渉を再開し、三月二十二日までに合意達成(2)交渉が暗礁に乗り上げた場合、ギリシャ、トルコ両国を加えて同二十九日までに最終合意達成(3)それでも困難な場合、最終合意の決定権をアナン国連事務総長に委ねる―としています。
当初の案では、四月二十一日に南北で同時に住民投票を実施し、最終合意案を住民投票にかけることになっていました。これも和平交渉の課題となります。
キプロス問題をめぐる環境の好ましい変化を追い風にして、残る難題の解決に成功するかどうか―交渉の成り行きが注目されます。
ギリシャ系、トルコ系住民が対立しつづけてきたキプロスの再統合に向けた動きは、その背景にあるギリシャとトルコ両国の長年にわたる対立も緩和し、地中海地域の不安定要素を取り除き同地域のいっそうの安定化をもたらす可能性を持っています。
オスマン・トルコ帝国の支配下にあったギリシャは長期の戦争をたたかって独立を勝ち取りました。こうした歴史も背景に、両国関係は「犬猿の仲」が続いてきました。キプロス問題は対立の最大要因の一つであり、両国は同問題をめぐってたびたび戦争の危機を経験しました。
最近も一九九八年六月に、キプロスの空軍基地にギリシャ戦闘機が着陸。トルコは北側に戦闘機や艦船を結集させるなどし、緊張が一気に高まりました。ニコシア市内には「北キプロス・トルコ共和国」へ「入国」するための検問所があり、国連平和維持軍が駐留しています。検問所の南側(ギリシャ系)の壁にはトルコの占領、蛮行を非難する絵や文言が書き込まれ、分断の背景にあるギリシャとトルコの対立の根深さを伝えています。
しかし九九年八月、九月に両国を相次いで襲った大地震が両国に和解の機運をもたらしました。震災時、両国がレスキュー隊を相互に派遣、被災者募金を募るなどしました。その後、国民、自治体レベルの交流が始まり、二〇〇〇年には四十年ぶりに両国外相の相互訪問が実現しました。
和解の直接的なきっかけは地震ですが、この動きには紛争を武力ではなく話し合いで解決するという戦後の国際秩序の流れも反映しているといいます。震災から一年たった〇〇年八月、トルコのニュース専門テレビ局NTVのミトハト・ベレケト外信部長はこう分析していました。
「(〇〇年)六月に行われた朝鮮半島の南北首脳会談のように、世界では問題を話し合いで解決する動きが主流になりつつある。ギリシャとトルコの関係でも同じだ」
実際、三月の総選挙後、首相就任が有望視されているギリシャのパパンドレウ外相は一月十七日、トルコに対して「地域の平和」のためにともに軍事費を削減しようと呼び掛けました。キプロス問題をめぐる動きは、こうした提案の実現に道を開くきっかけにもなりえます。
(島田峰隆記者)
|
キプロス 東地中海の島国で面積は四国の約半分の九千二百五十一平方キロ。人口はキプロス共和国が七十九万人、「北キプロス・トルコ共和国」はトルコからの移住者を含め約二十万人。
一五七一年にオスマン・トルコ帝国領。一八七八年から英国が統治、一九二五年に併合。五〇年代からギリシャ本国への併合を要求するギリシャ系住民の反英活動が活発化し、トルコ系住民へのテロも発生しました。これにギリシャとトルコ両国が介入、英国が両国および住民と協議し、大統領選挙と国会選挙をへて六〇年に独立しました。
六三年、ギリシャ正教会の大主教から初代大統領に選ばれたマカリオス氏がトルコ系住民の権利を制限する憲法修正を行い、ギリシャ系住民とトルコ系住民との間で内戦が発生。六四年、国連キプロス平和維持軍が駐留を開始しました。
七四年にはギリシャへの併合を求める勢力によるクーデターが発生し、マカリオス大統領を追放。トルコはトルコ系住民の保護を理由に派兵し、島の北部37%を併合、島は分断されました。
トルコ軍は現在も北部を占領し続けています。八三年には「北キプロス・トルコ共和国」の独立を宣言しましたが、承認しているのはトルコだけです。