日本共産党

2004年2月16日(月)「しんぶん赤旗」

特別な支援を必要とするすべての子どもたちに豊かな教育を――障害児教育の前進のために

2004年2月15日 日本共産党政策委員会文教委員会


 わが国の障害児教育は、大きな転換期をむかえています。

 現在、義務教育では、比較的重い障害をもつ十数万人の子どもたちが、障害児学校や通常の学校の障害児学級・通級教室という、障害児教育の制度のもとで学んでいます。その一方、LD(学習障害)など、いわゆる「軽度発達障害」の子どもたちには、特別な支援の制度が確立していません。「軽度発達障害」の子どもへの支援を抜本的に強めてほしいという声は、きわめて切実な要求です。

 文部科学省は、こうした声にも押されて、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、高機能自閉症(知能面の遅れをともなわない自閉症)の子どもたちへの「特別支援教育」を開始する方向を打ち出しました。文科省によれば、LD、ADHD、高機能自閉症の子どもたちは全児童生徒の6%程度=小中学校で六十数万人と推計され、その多くが、通常の学級で学んでいます。そうした子どもたちに支援をおこなうことは、すべての子どもの教育を受ける権利を保障するうえで、さらに、障害をもつ人びとの「完全参加と平等」を推進するうえで、重要です。

文科省構想の問題点

 ところが、文科省がすすめようとしている「特別支援教育」の構想には、大きな問題があります。それは、百万人近い子どもたちを対象とする施策であるにもかかわらず、「既存の人的・物的資源の配分についての見直し」で対応するとしていることです。つまり、従来規模の障害児教育の予算・人員のまま、これまでの数倍もの子どもたちをゆだねるというのです。これでは、十分な教育が保障できないどころか、教育の質が大きく後退することになりかねません。障害児教育の関係者からも、「障害児教育が危機にひんする」という心配の声があがっています。

 こうした問題を放置したままでは、障害をもつ子どもの教育は、たいへんな事態になりかねません。文部科学省の姿勢をあらためさせ、比較的重い障害の子ども、「軽度発達障害」の子どもなど、特別な教育を必要とするすべての子どもたちへの支援を本格的に前進させることは、焦眉(しょうび)の課題です。

 そのために、日本共産党は以下の方向で力をあわせることをよびかけます。

(1)LD、ADHD、高機能自閉症などの子どもたちの成長をていねいに支える体制をつくる

 LD、ADHD、高機能自閉症は、「軽度発達障害」といわれていますが、子どもの悩みや状況はけっして軽いものではありません。たとえばADHDの子どもは、脳の働きに障害があるため、注意を集中する力や、考えてから行動する力が弱いと指摘されています。授業中落ち着きがなかったり、周りからは“とっぴ”と思われるような行動をとることがあります。そのため、友人関係がこじれて、人間不信においこまれる場合もあります。周囲のおとなが、障害を理解せずに、「なぜ、じっとしていられないのか」などと怒り続けて、子どもの心を傷つけ、いっそう深刻な状況におちいることも少なくありません。

 また、保護者や教員は、周囲から子育てや指導の仕方が悪いからだと責められて自信を失うなど、その悩みも深刻です。子どもの教育は、病気への処方せんとはちがい、これこれの障害をもっているから、こういう対応をすればいいということではすみません。子どもは一人ひとりちがいます。障害についての理解とともに、その子どもの背負っている悩みをうけとめて、ていねいにかかわるおとなが必要です。

 全国の経験も、子どもと心を通わせるおとなの存在が、子どもの豊かな人間的成長に大切な役割をはたすことを教えています。子どもの障害や状況をよく見て、ていねいに成長を支える支援の体制をつくること――これが、いま全国の学校に求められているのではないでしょうか。

 必要な人員の増員をおこない、支援の体制をつくる……日本共産党は、都道府県や市町村などを単位として、すべての学校で関係者の要求や実態にそくした支援の体制をつくることを提案します。そのため、「どんな体制が必要か」を明らかにするための草の根からの要求運動をよびかけます。

 関係者は、子どもと直接かかわる教員の配置、学校内の関係者や福祉・医療機関との連絡調整を担える高い専門力量をもつ教員の配置、すべての教員の研修、校外の専門家の定期的な巡回相談、校内委員会の設置などを提案しています。

 こうしたことを実施するためには、どうしても人員の増員が必要です。国は、LD、ADHD、高機能自閉症の支援への教員加配など、必要な人員の増員をはじめとする条件整備に足を踏み出すべきです。

 学級規模を小さくする……子どもと直接かかわる教員が別におかれるとしても、毎日子どもと接する担任の教員のはたす役割も大切です。いまの四十人学級のままでは、困難をかかえる子どもをていねいに指導しようとしても限界があります。この面からも、「三十人以下学級」を早期に実現すべきです。

 すべての特別な支援が必要な子ども全体を対象にする……特別な支援が必要な子どもは、LD、ADHD、高機能自閉症の子どもだけではありません。障害がなくとも、在日外国人の子ども、虐待等の困難をかかえている子ども、学習が遅れがちな子どもなども、特別な教育的支援を必要としています。また、比較的重い障害をもつ子どもが、通常の学級に籍をおく場合、障害にふさわしい支援がないケースもあります。特別な支援を必要とするすべての子どもが、それぞれ必要にふさわしい教育をうけられるよう、施策を拡充する必要があります。

(2)現在の障害児教育の水準を低下させず、障害児学級の廃止などの「再編計画」は抜本的に見直す

 現在の障害児教育諸制度は、長い歴史をもち、関係者のたゆまぬ努力のなかでつくりあげられた大切な財産です。養護学校への不就学者をなくす取り組みのなかで、以前は「発達しない」とまでいわれていた重症心身障害児の学習・発達が、教育実践のなかで確認されてきました。視覚障害、聴覚障害、肢体不自由などの障害についても、貴重な実践と研究が積み重ねられてきました。

 障害児教育のこうした経験や蓄積は、新しくはじめるLD、ADHD、高機能自閉症などの子どもへの特別な教育的支援に積極的に生かされるべきです。

 ところが文科省は、冒頭に指摘した、従来の予算・人員で数倍の子どもをゆだねようという「特別支援教育」構想をすすめるため、障害児教育の大々的な「再編」を打ち出しました。早ければ来年にも、そのための法案を国会に提出しようとしています。しかし、性急な学校制度の再編のおしつけは、障害児学校・学級の貴重な経験や蓄積を台無しにしかねません。

 日本共産党は、現在の障害児教育の発展をねがって、次のように提案します。

 障害児学級の廃止計画は中止に……文科省の「再編」の目玉の一つは、障害児学級の廃止です。日本共産党は、この障害児学級の廃止につよく反対します。

 障害児学級は、障害をもつ子どもにとって大切な場です。終日、学級にいることが必要な子どももいます。学級をホームベースにして、比較的多くの時間を通常の学級ですごせる子どももいます。こうしたことは、担任の教員が安定的に配置され、ていねいに子どもとかかわっているからこそ、可能なことです。

 文科省は、障害児学級を廃止して、「支援教室」を設けるといいますが、「教室」には、「学級」のような、安定した担任の配置の保障がありません。子どもと安定的にかかわり、子どもの心を開き、心を通わせる教員がいるかどうかは、障害をもった子どもが健やかに育つうえで重要な問題です。その保障をうばう障害児学級の廃止計画は中止すべきです。

 また、一部には、「障害児学級はやがてなくなる」という無責任な「情報」を保護者に伝えている自治体があります。こうした行為はきびしく戒められなければなりません。

 「特別支援学校」構想は関係者の合意にもとづき、必要な条件整備の中で……現在、障害児諸学校は盲学校、聾(ろう)学校、養護学校というように、障害種別に設置されています。文科省は、それらを「特別支援学校」に一本化するといいます。しかし一本化しても、それぞれの障害に対応できる教育条件が確保されなければ、教育の後退はさけられません。学校制度のあり方は、関係者の合意に基づき、必要な条件整備をおこなうなかで、検討されるべきです。

 また文科省は、現在の障害児教育は「量的な面において概(おおむ)ねナショナルミニマムが達成されている」としていますが、とんでもありません。「教室が足りないのでカーテンで仕切って使っている」「近くに学校がなく、二時間以上の長時間通学」「生徒が過密で、人手が足りず、食事介護にも手がまわらない」など深刻な状況が各地にあります。こうした状態の改善を急ぐべきです。

 障害児教育の内容・方法への不当な介入をやめる……文科省は、障害児教育の再編をつうじて、具体的な教育方法にまで口を出そうとしています。たとえば、個別の子どもの教育に関する計画づくりは従来から各学校で取り組まれていますが、教育行政の側から、その画一化をもとめる指導が強まっています。

 こうした中で、ある障害児学校では、画一的な「計画書」が強制され、「子どもを見ていない管理職が、子ども一人ひとりの目標をきめる権限をもつようになった」「計画書が一人歩きして、子どもの実態にあった指導ができない」などの弊害が生まれています。また最近、一部の政治家や行政が、子どもに人間の尊厳を伝えようと父母と教職員の合意ですすめてきた性教育を意図的にゆがめて描き出して、乱暴な介入をおこなったことは、父母や関係者の厳しい抗議をうけています。

 教育内容・方法への不当な介入は、教育基本法第十条がきびしく禁じています。教育内容や方法は、学問的な到達や関係者の合意を大切にしながら、自主的にすすめることをあらためて確認する必要があります。

(3)「支援地域」構想を実質あるものにする

 文科省は、地域全体で、障害のある子どもたちのさまざまな要求に柔軟に対応する体制をつくることを提案しました。それによれば、一定規模の地域を「支援地域」として、障害児学校、小中学校、医療・福祉機関などの専門機関が連携協力する支援のためのネットワークをつくるとしています。

 これは、障害をもつ人びとに、生まれてから亡くなるまでの一生涯を通じて、地域のなかで暮らし、発達する権利を保障する方向にそくしたものといえます。障害をもつ子どもの保護者は、放課後や休日に、家庭以外の安心していられる場所や友人が地域にほしいと願っています。また、医療的なサービスの拡充や経済的負担の軽減も切実な願いです。

 「支援地域」は、何よりも、こうした要求にこたえるものであるべきです。そのために、国と自治体で、医療、福祉、教育などの横断的な体制をつくり、条件整備をすすめることが求められています。教育の面では、とくに、「支援地域」の中心となる障害児学校が地域密着型となるように、小規模分散を基本にすることが重要です。

障害児教育をめぐる新たな国際的動向をめぐって

 この間、世界では、障害児教育をめぐる新しい変化が生まれています。それは、「インクルージョン(包含・包括)」という考え方です。一九九四年にユネスコで決議される(「サラマンカ宣言」)など、国際的な動向となっています。

 「インクルージョン」には、さまざまな解釈がありますが、サラマンカ宣言の「すべての子どもは教育への権利を有しており、満足のいく水準の学習を達成し維持する機会を与えられなければならない」という基本的な精神や、「差別的な態度とたたかう」という姿勢は、積極的な意義をもつものです。

 「インクルージョン」の考え方によれば、特別な教育的支援が必要な子どもたちが、できるだけ同じ世代の子どもたちと一緒に、適切な教育を受けることができるようなインクルーシブな(すべてを含んだ)学校がもとめられます。この国際的な動向を、通常学校と障害児学校の二本立ての学校制度をもつ国としてどう受けとめるのかは、国民的な議論をつうじて合意をつくるべき課題です。

 しかし、教育行政などの一部に、「インクルージョン」を、障害児学校や障害児学級の廃止・縮小を正当化するための「根拠」にしようとする動きがあることは、見過ごすことができません。

 「インクルージョン」の考え方は、障害児学校・学級といった「特別な場」を否定するものではありません。サラマンカ宣言の実施に関する「特別ニーズ教育に関する行動のための枠組み」でも、「特別な学校」は、「インクルーシブな学校の発展にとって非常に有効な資源」であり、通常学級や通常学校のなかで十分に教育を受けられないような障害をもつ子どもたちに「もっとも適切な教育を提供しつづける」と位置づけられています。

 実際、世界の各国にはそうした「特別な学校」があります。しかもその割合を比べると、日本は「特別な学校」が多い国ではありません(日本0・46%、アメリカ0・6%、イギリス1・57%、ドイツ4%、フランス3・19%)。

 大切なことは、障害をもつ子どもの基本的人権を根幹にすえて、障害によって発生する困難や必要にもっとも適切な対応ができる体制をつくることです。いま求められていることは、こうした立場にたって、通常の学級での特別な支援と、障害児学校・学級の拡充を、ともに推進することです。


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