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2021年3月7日(日)

きょうの潮流

 生き残ったものが抱えた負い目と悔恨。それが、長い年月をかけて遺族を探し訪ね、話を聞き、一人ひとりを人間として描き出す原動力となりました▼1945年8月6日。ひどい下痢で勤労動員を欠席した関千枝子は、ほぼ全員の級友を原爆に奪われました。それから30年の後、同級生の最期の姿を追い求め、『広島第二県女二年西組』にまとめました。なぜ、こんなにもつらい目にあわなければならなかったのか。遺族の苦しみも含めて▼戦後は新聞記者として、市民活動家として歩みました。貫いたのは「絶対平和、人権、民主主義」の視点。それは、あの戦争の本質に気づかなかった自分への怒りと、ふたたび子どもたちを「少国民にしたくない」との思いから▼核兵器の廃絶はもちろん、戦争につながる動きには真っ向から反対しました。市川房枝さんの「平和なくして平等なし、平等なくして平和なし」の言葉を胸に、女性の貧困や性差別にも声を上げ続けました▼周りを勇気づける生き方には、人間への信頼とともに、お国のために死んでいった少年少女たちの無念があります。本紙インタビューでも、みずからの誓いを込めて「黙っていないで、できることをしなくては」と呼びかけていました▼先月、88歳で生涯を閉じた関さん。最後のブログは、女性蔑視の森発言について。それを容認する社会、ジェンダー平等で世界と逆流する日本に「本当にいろいろ考えてみるべき時ではないでしょうか」と。この国の行く末を案じながら。


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