日本共産党

2004年1月11日(日)「しんぶん赤旗」

列島だより

渡り鳥の越冬地

保護、再生する住民、自治体

開発などで狭まる えさ場


 ガンやハクチョウ、ツルなどの渡り鳥は、列島各地で開発、減反など環境悪化の影響で飛来数が減少して久しくなります。これに対し、最近、豊かな自然環境を取り戻そうと地元住民、保護団体、自治体などの協力で渡り鳥のねぐらづくり、水田に水を張るなど、越冬地の再生が進められています。宮城県田尻町の蕪栗(かぶくり)沼周辺と、山口県周南市の八代(やしろ)盆地でのとりくみを紹介します。


田に水張り ねぐら確保

マガン
宮城
蕪栗沼周辺

 宮城県北部にある伊豆沼(築館、若柳、迫町)や蕪栗沼(田尻町)周辺は、マガン、ヒシクイなど国内最大級の渡り鳥の越冬地として知られています。

 蕪栗沼(百五十ヘクタール)は、周辺の家や田んぼを水害から守る遊水地の役割を果たすとともに、オオタカ、ノスリなど猛禽(もうきん)類十八種、絶滅危惧(きぐ)種二十五種、水中には希少種・ゼニタナゴ、湿地にマコモ繁茂など動植物の生息地となっています。

地図

 同沼では、一九九五年に県が「遊水地計画」で沼全面を掘り下げようとした問題が浮上しました。自然保護団体などが「生態系が破壊され、渡り鳥も飛来できなくなる」と見直しを主張。この問題を地元議員と連携し、翌年五月の参院環境特別委員会で取り上げた日本共産党の有働正治議員(当時)に、建設省(当時)は掘削しないと表明。県も全面掘削をとりやめました。

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越冬中のマガン、えさ場から帰り「ねぐら入り」=1日夕方、宮城県田尻町の蕪栗沼

 その後、新たな問題として同沼では、各地の開発による行き先を失った渡り鳥が一極集中化。伝染病の発生による渡り鳥群に多大な損害が出る恐れや、ふん、羽による水質汚濁の問題があり、越冬地の分散化を図ることが課題となっていました。その一つの解決方法が田んぼに水を張る冬期湛水(たんすい)です。

 「冬の田んぼに水を張って、ガン類のねぐらや水鳥の生息地を広げよう」と田尻町では昨年十二月、蕪栗沼の南隣の伸萠(しんぽう)地区の水田(約二十ヘクタール)で「冬期湛水試験」を開始しました。

 多くの水田では、春の代かきまでの冬期間は水がない状態ですが、この期間にも水を張ることにより、湿地に依存する生物の生息場やガンなどのえさ場として注目されています。先月には、日本雁を保護する会やJAみやぎ登米などの主催で「環境創造型農業 冬期湛水水田シンポジウム」が迫町で開かれました。

 蕪栗沼には毎年五万羽を超えるガンが飛来します。周辺の水田では収穫目前の稲が食べられるといった被害も発生。田尻町は、二〇〇〇年に蕪栗沼の渡り鳥が食べた農作物(米)の被害補償を実施しました。

 同町の西澤誠弘農政商工課課長は「いつまでも補償だけでは害鳥としてのイメージが抜けない。渡り鳥と共存・共栄できる策を検討する必要がありました。そこで考えたのが新たな農法としても注目を集めつつあった『冬期湛水水田』でした」と紹介。伸萠冬期湛水水田連絡会の人たちは、「初めての試みなので、希望と不安があります。冬期湛水によって鳥がきてくれることはうれしいが、米の収量や除草、水の管理がどうなるか心配」と話します。

 日本雁を保護する会の会長で、蕪栗ぬまっこくらぶの呉地正行副理事長は言います。

 「冬期に田んぼに水を張るとガンやハクチョウがくるということは、それだけ飢えているということです。そもそも湿地だったところを人間が水田にしたのだから、冬も田んぼに水を入れることによって、水鳥などの生き物と農業が共生することができる」

 (東北総局・佐藤利夫記者)


環境整備、行政も補助金

ナベヅル
山口
 八代盆地

 山口県周南市八代は標高三百メートルの狭い盆地で、本州で唯一のナベヅルの渡来地です。この冬の第一陣、成鳥二羽と幼鳥一羽が飛来したのは、昨年十月二十五日でした。

 ナベヅルは、シベリアから厳しい寒さを避け、温かい場所で冬を越すために途中、中国大陸や朝鮮半島を中継地としながら約二十―四十日間かけて渡ってきます。この間、なかには方向を誤ったり、疲れて落ちたり、あるいは天敵に襲われたりして、命を落とすナベヅルは少なくありません。

地図

 江戸時代までは、山口県下ほぼ全域に飛来していました。一般庶民には狩猟が許されていなかったため、結果的に藩主によって保護されていましたが、明治維新の混乱で乱獲され始め、えさ場となっていた瀬戸内海沿岸の干拓地や塩田が、工業用地として埋めたてられるなど、ナベヅルが安全に越冬できる場所がしだいになくなっていったのです。

 そのなかで八代だけは、住民の申し合わせで狩猟を禁止し、一八八七年には八代村(当時)からの請願により、山口県令でナベヅル捕獲が禁止されるなど、手厚い保護をしました。

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山口県の八代盆地で越冬するナベツルの親子=写真は河村宜樹氏提供

 しかし渡来数は、一九四〇年の三百五十五羽をピークに年々増減を繰り返しながら、現在は二十羽程度になっています。

 減少している原因としては、(1)八代周辺でゴルフ場の建設、道路の整備、宅地造成などでえさ場が狭くなった(2)政府の減反政策のため、谷間の水田が耕作放棄されねぐらがなくなった(3)鹿児島県の出水(いずみ)平野へ一極集中化の進行などが考えられています。

 地元住民は、人とツルが共存する地域をめざし、八代一円を禁猟区に指定したり、野鶴(やかく)監視所を開設し、ツルの生態調査、えさ場の公有地化やほ場整備し、耕作放棄田をなくし、えさ場の拡張などの保護活動を続けています。五五年には「八代のツルおよびその渡来地」として、日本で最初の特別天然記念物に指定されました。

 日本共産党熊毛町議(当時)の渡辺健太郎さん(59)は、「地域を何とか活性化したいという思いと、地元住民の人たちのツルを守りたいという熱い思いを町政に届けよう」とナベヅルの保護に取り組み、ねぐらの整備に補助金の予算化、野鶴監視所の建て替え、町道の整備、資料館の建設などを提案し実現してきました。(熊毛町は昨年四月、徳山市などと合併、周南市になりました)

 ナベヅルに携わって四十六年、周南市ツル保護研究員として十年という河村宜樹さん(70)は、「ツルの住みよい環境を破壊したのは人間です。ツルの渡来数を増やすのは難しい問題です。人間の生活をどこまで規制できるか、破壊された自然をどこまで回復できるかだと思います。次の世代へツルとの共存という文化を伝えていきたいという一心で取り組んでいます」と語っていました。

 (山口県・松尾俊則記者)


わが街ふるさと

寅さんがいる 帝釈天の門前町

東京・葛飾 柴又
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 「生まれも育ちも葛飾柴又、帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎」で有名になった東京・葛飾区柴又。しかし柴又の地名は、遠く奈良時代の「嶋俣(しままた)里」に由来しているようです。

 柴又には「男はつらいよ」でおなじみの帝釈天をはじめたくさんのお寺があり、七福神めぐりもできます。

 その一つ、帝釈天は、「経栄山題経寺」といい、寛永年間(一六二九年)創立で日蓮宗のお寺です。別名彫刻の寺ともいわれ、多くの彫刻があります。なかでも「法華経」の説話を題材にしたふすま大の彫刻十枚は見事です。また頂経(ちょうきょう)の間には日本一の南天の床柱があります。

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柴又駅の改札口を出ると「寅さん」が出迎えてくれます

 柴又駅を降りると、「寅さん」のブロンズ像が迎えてくれます。参道に入ると、大きな包丁で調子をつけながら切るあめ屋さん、柴又名物の草だんごのお店、江戸末期から続くハジキ猿などが並ぶ玩具のお店など、江戸時代の門前町の風物を残している都内でも数少ない名所です。

 帝釈天への参拝客を乗せるために明治三十二年から十三年間、六人乗りの車を人が押す人車鉄道が走っていました。そのためか柴又−金町間の一・四キロの線路はカーブがありません。

 「寅さん記念館」には柴又八幡神社から出土した帽子をかぶった「寅さん似の埴輪(はにわ)」の複製が展示されています。柴又八幡神社古墳は東京低地で唯一遺体を安置する石室が現存する貴重な文化財です。

 近くの江戸川には、都内でただ一つ艪(ろ)で漕(こ)ぐ渡し舟があり、対岸の松戸市下矢切に渡ると伊藤左千夫の「野菊の墓」の文学碑があります。帝釈天参道と、この矢切の渡しは「日本の音風景百選」に認定されている名所です。

 日本共産党区議団は、柴又の名所・旧跡の散策コースの充実や魅力が一目でわかるような観光案内板の設置など柴又の観光事業について提案をしています。

 (三小田准一区議)


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