日本共産党

2003年12月24日(水)「しんぶん赤旗」

あす 奄美復帰50周年

復帰 自由 平和 の旗かかげ

島民決起 米軍統治を打破


 鹿児島県の奄美群島が日本に復帰して、二十五日で五十年目を迎えます。八年間にわたる米軍統治に抗して、島民一人ひとりが立ちあがり、島ぐるみで勝ち取った歴史的たたかいでした。その復帰闘争から何を学ぶか、奄美ではいま、各地で復帰五十周年記念行事がとりくまれています。

 (西部総局・佐藤高志記者)


現在にもつながる

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島ぐるみで取り組んだ復帰要望署名運動妻1951年4月(奄美群島広域事務組合提供)

 「奄美の復帰闘争は単に過去の歴史的な出来事ではない」――。当時、青年団の副団長として復帰闘争に奔走した崎田実芳さん(75)(日本共産党元名瀬市議)は、五十周年という節目を迎え、こう強調します。「復帰闘争の時、私たちが高く掲げた“復帰、自由、平和”の旗は、現在につながる国民的なたたかいなのです」

 日本の敗戦後、奄美群島は沖縄、小笠原とともに日本の行政から切り取られ、米軍の統治下に置かれました。アメリカは中国で起こった革命の進行に対する軍事拠点として琉球諸島を直接の支配下に置くことを重視したのです。この対日戦略は、沖縄への米軍基地の集中、奄美群島の一つ、喜界島の通信基地の拡充として今も続いています。

「空襲で焼け野原」

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群民総決起大会が開かれた名瀬小学校の校庭に立つ記念碑

 敗戦時、二十三歳だった泰(たい)八重子さん(81)は、米軍政下での苦しみをこう語ります。「空襲で奄美一面が焼け野原でした。その上、本土との交通は遮断され、食べ物も生糸も入ってこない。働く場も食べるものもありませんでした」

 生糸は、奄美特産の大島紬(つむぎ)の原料です。泰さんをはじめ、奄美群島の女性の多くは戦前、紬を織る“織子”として収入を得ていました。

 しかし、米軍政下では、本土との交通、送金、商取引が禁止され、奄美群島の中心産業である大島紬の生産がストップしました。食糧や衣服も米軍放出物資の配給制(有料)になりました。さらに、米軍政は、言論・出版・結社の自由も規制し、自由にものが言えない重苦しさが島全体を包みました。

 「生活が苦しい。早く日本に帰りたい。ただそれだけだった」。泰さんは当時を振り返ります。

民衆は立ちあがる

 「日本人は日本に帰せ!」――。奄美群島は、もともと鹿児島県の一部でした。民衆が寄せた民族統一の願いはやがて一つにまとまり、五一年二月には奄美大島日本復帰協議会を結成しました。復帰協議会は同年四月、十四歳以上の島民の99・8%にあたる十三万九千三百四十八人の復帰要望署名を集めました。そして、七月には名瀬市で「信託統治反対」「日本復帰貫徹」を前面に掲げた総決起大会を開催し、二日間にわたるハンガーストライキを敢行しました。

 こうした島民あげての復帰運動に押されて一九五三年八月八日、ダレス米国務長官は「奄美返還声明」を発表。沖縄には引き続き基地を温存しました。

 崎田さんは、「アメリカが奄美を琉球諸島から切り離して日本に返したのは、沖縄と奄美の『祖国復帰』運動が結びつくことを恐れたからです」と指摘したうえで、こう話します。

 「アメリカが力による支配を続ける限り、民衆は必ず立ちあがる。奄美のたたかいが示した歴史的教訓は、ここにあると私は思うのです」


「復帰ぬ土台作りたんや共産」

 米軍統治のもとで、非公然活動を余儀なくされた奄美共産党の活動家は、復帰闘争の中心的役割を果たしました。

 日本共産党名瀬市議の吉田慶喜さん(74)は、当時、奄美大島の全官公庁職員組合の書記長として復帰運動の組織づくりに奔走しました。「奄美共産党の活動は、『生活擁護』『祖国復帰』と常に結びつき、郡民の要求をいかに引き出し、結集していくかに収れんした」と振り返ります。

 奄美共産党は、米軍の激しい弾圧にさらされ、軍政布告違反で検挙・拘束された活動家・支持者は三十人を超えました。吉田さんは「たたかいはこうした無数の血と涙の歴史の積み重ねでした」と強調します。

 この活動家たちが復帰後、日本共産党奄美地区委員会を確立しました。

 奄美群島では、今でも「復帰ぬ土台作りたんや共産」(復帰の土台を作ったのは共産党だ)という言葉が人々の口から聞かれます。


地図

 奄美群島 鹿児島市から三百八十キロ離れた飛び石状に連なった島々からなります。有人島は奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の八島です。群島の総人口は約十三万人。産業はサトウキビ、大島紬、果樹園を主体とした農業です。



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