日本共産党

2003年12月7日(日)「しんぶん赤旗」

列島だより

地域に根づくスポーツクラブ


 企業スポーツの休・廃部などが続くなか、スポーツクラブのありかたが関心を集めています。次の日本のスポーツ界をになっていく若い世代のスポーツ環境の整備も、国まかせ、学校まかせにできない地域の大きな課題になっています。温泉街に根づき、住民とともに歩むサッカーチーム、創部五十四年目にして初めて甲子園出場の切符を手にした県立高校野球部をめぐる地域の取り組みを見てみました。


  温泉街で働きJリーグめざす

「ザスパ草津」
サッカー

 「再びJリーグのピッチに立ちたい。このチームはJリーグという、自分と同じ夢を持っている」(元日本代表のゴールキーパー、小島伸幸コーチ兼選手)

 温泉の街、群馬県草津町のサッカークラブが、JFL(日本フットボールリーグ)への昇格を決めました。その名も「温泉」を示す「スパ」からとった「ザスパ草津」。目標のJリーグ入りまであと一歩です。

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「町の人と接して励みになる」 レジで働く浦本選手

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ザスパク草津のメンバー

 ザスパは一九九五年、サッカー専門学校として設立されたのが母体。群馬県社会人リーグなどを経て、今年、関東社会人リーグ二部で優勝。今年度から設けられた飛び級制度で出場した全国地域リーグ(十一月)でも優勝してJFL入りを手にしました。

 選手たちは、町内の旅館、ホテル、商店などで働いています。元アビスパ福岡の浦本雅志選手(22)=ミッドフィールダー=は、「スーパーもくべえ」で働き始めてから一年半。レジ打ちなどを担当しています。「みんなが働いて当たり前のチーム。レジをやることで町の人と接することができ、励みになります。一年でJ2リーグ昇格を確実に決めたい」と抱負を語ります。

 選手の給料は、各勤務先からスポンサー料として、いったんクラブに支払われ、クラブが選手に支給するしくみになっています。

 チーム広報の玉手寿英さんは「地域に愛され、町が誇れるチームをめざすとともに、勤務先として受け入れてくれている町に貢献する努力をしています。JFLに昇格しても、地元との結びつきをさらに深めることが必要」といいます。

 ザスパの選手たちは、近隣の中学校、町内の幼稚園、前橋市や渋川市の小学校で、定期的にサッカースクールを実施。町のお祭りやイベントへの参加などで、地元との結びつきを深めています。

 町民の中に溶け込んで働くザスパの選手に、主婦の重田昭子さん(37)は「選手が町のなかで働き、幼稚園や学校で、子どもたちにサッカーを教えてくれて、身近な存在です」と話します。

 必要な支援策を町をあげて検討・協議する「ザスパ草津支援委員会」が十月末に発足。観光協会、旅館協同組合、商工会をはじめ、町長、町議会などの委員で構成されています。

 JFLとは クラブ、企業、大学などのチームが参加するアマチュア最高峰のリーグ。JFLで上位(原則二位以内)に入れば、プロのJ2リーグに昇格、J2の上位二チームがJ1リーグに昇格する。

 委員の一人、羽部光男・日本共産党町議は「ザスパは町民と深く結びつきながら成長しています。これからも町民の支援が欠かせません。町の活性化のためには、温泉、文化、スポーツを生かした町づくりが必要です」と指摘します。

 ザスパの私設応援団「草津ボーイズ」の大木宣尚さん(29)=中華料理店店員=は「ザスパは子どもたちのあこがれ。チームの活躍に町民は力を与えてもらっています。温泉とサッカーの相互関係を生かし、草津発信のチームとして応援していきたい」と語ります。

 選手を兼ねる奧野僚右監督(35)は言います。「町の人たちと一緒につくってきたチーム。応援が励み、支えです。JFLに上がってからも地域の人とともに歩んでいき、みんなに喜んでもらえるような試合をしたい」(北関東総局 勝又真史記者)


  壁を破った地元の野球好き

    兵庫・西脇 竹本武志

「兵庫北播」
硬式野球

 兵庫県加東郡社町(やしろちょう)。神戸から北へ車で約一時間。人口二万一千六百人のこの静かな町がいま、高校野球の話題で熱く盛り上がっています。地元の県立社高校野球部が、十一月はじめの近畿地区秋季大会で準優勝し、創部五十四年にして初めて来春のセンバツ高校野球「甲子園」出場を確定的にしたからです。

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練習に励む「兵庫北播」の選手たち(竹本氏提供)

 彼らを支えてきた保護者、学校関係者はもちろん、地域住民にとってはほんとうにうれしい出来事でした。甲子園出場は、もともと野球が盛んなこの北播地域の悲願でした。しかし地元の野球少年たちはこれまで、PL、報徳、東洋大姫路、中京、育英、滝川といった周辺の有名私学に流れていく傾向にありました。そのため地元高校はいいところまでいってもなかなか私学の厚い壁が破れず、長年悔しい思いをしてきただけに、喜びはひとしおでした。

 私にとっても特別の感慨がありました。私の母校ということに加え、甲子園出場のけん引車となった選手の中に「兵庫北播」(リトル・シニア)の選手が三人もいたからです。

 「北播」は、私たちが元プロ野球選手らとともに三年前に立ち上げた地域の硬式野球クラブです。監督の藤本貴久君は元ジャイアンツの選手であり、けがでプロ野球生活を断念した人で、ボランティアで中学生の指導をしていました。

 私は中学の教師ですが、地域の軟式野球チーム「日野クラブ」で三十年、うち二十八年間をピッチャーとしてプレーするなど、野球大好き人間です。

 教師の仕事、部活の指導の傍ら、時間をつくっては「北播」でバッティングピッチャーとして選手の練習に参加してきました。

 竹本武志氏 兵庫県西脇市在住 大学卒業後、西脇市で中学教師。生徒指導にかかわる中で、西脇市青少年センター所長、西脇中学校教頭などを歴任。自ら教頭の辞任を申し出、ふたたび体育教師として現場へ。地域の軟式野球チーム「日野クラブ」で三十年間ピッチャーとして活躍。全国スポーツ祭典に十二回出場、全国優勝二回、最優秀選手表彰一回。

 それでも北播州のような田舎でクラブチームをつくる苦労はなかなかのものでした。「野球づけでは成績が悪くなる」という悩みも出されました。道具やネット、ボールの確保をどうするかなど財政的な問題も深刻でした。中学校の先生や近隣の軟式野球連盟の方たちも内面では快く思われなかったようです。

 私は設立総会で話しました。こどもたちがスポーツをスポーツとして楽しむことが大事であり、地域のスポーツ文化、環境の向上のためにもぜひ硬式チームが必要であること、質の高い野球をこどもたちに与えていこうとするとき、学校の部活には限界があること−などを、経験にも触れて率直に話しました。

 さまざまな困難を抱えながらスタートした「兵庫北播」ですが、指導者に恵まれ、地域の理解が広がる中で、地元・社町の応援はじめ周辺の幅広い地域から参加する選手が増えています。

 日本のスポーツ界には硬式と軟式、学校と地域、プロとアマなどさまざまな“壁”があります。指導者相互の交流も難しいのが現実で、これが地域スポーツの発展を妨げています。

 今回の社高校の甲子園出場と応援の中で、この壁が少しでも超えられれば、と考えています。


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