日本共産党

2003年11月18日(火)「しんぶん赤旗」

イラク行きが決まった自衛隊員は

「何かあったら父さんを頼む」

反対署名に次々 北海道旭川

母は願う“派兵やめさせて”


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有事立法反対旭川連絡会がおこなったイラク派兵反対の署名に応じる市民=16日、旭川市内

 「何かあったら父さんを頼むな」。イラク行きが決まった自衛隊員の息子がぽつんと話した言葉。七十歳を過ぎた母親ができたのは胴巻きにお守りを縫いつけることだけでした。自衛隊員の母親が語った思いは――。

 私の息子はイラクに第一陣として派遣される陸上自衛隊第二師団(司令部・旭川)に所属しています。もう自衛隊に入って二十年近くになるでしょうか。

 夫は元炭鉱夫です。先山といって、穴掘りの先頭に立って、よく働いた。家も建ててやっと落ち着いたと思ったら、じん肺になり、脳こうそくで倒れ入院した。今は口も利けません。長男は行方がわからず、残っているのは自衛隊にいる息子だけなんです。

三日三晩、本当に眠れませんでした

 その息子から十月半ばにイラク派遣のことを聞かされた時は三日三晩、本当に眠れませんでした。新聞で見たりしていたけど、まさか自分の息子がと…。聞いた瞬間「まさか」と思ったけど、息子の前で涙を見せるわけにはいかないでしょう。そう思っても、ポロポロとこぼれてしまった。

 そして息子が「演習がまたあるからしばらく帰れない。二人で食事に行こう」というんです。本当は食べたくなかった。でも、息子が行くというから、「今だけはイラクの話をしないでおくれ。母さん胸がいっぱいで、食べれなくなるから」といったんですよ。

 数日後、私は神社にお守りを買いに行きました。おはらいもしてもらいました。帰りに胴巻きも買って、それに縫い付けました。縫い付ける時、手はふるえ、涙がポロポロ出ましたよ。息子には「母さんの一生の宝を渡すから。必ず取りにこい」といいました。

 しばらくして帰ってきた息子に「肌身離さず付けておけ」といいました。息子は、「何も死ににいくわけじゃない。心配するな」といいながらも、「今までのような武器運びと違うから、今度はどうなるかわからない。胸に置いておいてくれ。父さん、頼むな」と話しました。その時の顔が忘れられない…。今思い出しても胸がつぶれそうになるんだわ。

小泉首相は国民の痛みわかってない

 私は、息子を遠いイラクに行かせるために自衛隊に入れたんではない。イラクは戦場でしょう。アメリカ兵もいっぱい死んでいる。イタリアも自爆テロでやられた。安全なところなんてないんだわ。そんなことは新聞やテレビを見たらだれでもわかることでしょう。

 したけども、今の小泉内閣はひどい。何を考えているんだか。何でもアメリカの言いなり。なんでこんなにもアメリカの言いなりになるのか。お金だっていっぱい出しているでしょう。小泉首相はテレビでヘラヘラ笑ってるけど、国民の痛みというものをあの人は何もわかっていない。

 このつらさは家族のものでないとわからない。つらいのは家族だけじゃない。一番苦しんでいるのは隊員だよ。家族の反対があって辞表を提出した人もいたというけど、この時期になると、簡単にやめられないらしい。それに口止めされていて、何を考えているのか家族さえわからないんだわ。隊員の多くは本音では反対で、トイレで涙を流している人もいると聞くけど、行きたくないという言葉がのど元まであがっても口にはだせないんだわ。

 北海道は不況で仕事がない。息子も「自衛隊を辞めて帰ってきても仕事がないわ。家族を守らないとな」といっていた。このつらい思いをだれにも伝えられないんです。

 私の兄も先の戦争で戦死しました。戦争はやっちゃいけない。いまからでも遅くない。イラクに自衛隊を行かせることをやめさせてほしい。これが心からの願いです。


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