2003年11月11日(火)「しんぶん赤旗」
日本共産党は比例東北ブロックで、勇退する松本善明前衆院議員から、新人の高橋千鶴子さんへのバトンタッチを果たしました。そこには「自民・民主対決」の構図を破り、いつにも増して奮闘した党・後援会がありました。(東北総局 吉武克郎記者)
![]() 当選を決め、万歳する高橋千鶴子比例候補(中央)、松本善明前衆院議員(右)ら=10日午前1時すぎ、仙台市 |
「いった!」「バンザーイ!」―ひびく歓声、わきあがる拍手。「よかったね、よかった…」。うれしさに抱き合い、泣き崩れる人々―。
当選確実の報が流れた十日午前一時すぎ。仙台市青葉区の宮城県委員会に詰めかけ、祈るような気持ちでテレビを見つめていた三十人ほどの支持者は、喜びを爆発させました。
青森で三百本近い棄権防止の電話がけをし、仙台に駆けつけた高橋さんは、笑顔で「厳しいたたかいでしたが、農業、暮らし、平和、雇用など、住民の願いにこたえるのは共産党だと全力を尽くしました。国会で実らせるためにがんばります」と。松本前議員も、ほっとした表情で「二大政党の大キャンペーンのなか、議席を守りぬいたのは大変な勝利」とあいさつしました。
「正直、当選は無理かと思った。マスコミは共産党のことはまともに報道しないし、選挙が進むにつれて、公明党の追い込みも激しくなっていったから。当選して、本当に良かった」。選挙中、宣伝カーのアナウンサーを務めた渡部さつきさん(25)。笑顔がこぼれます。
得票数、三十一万三千票(得票率6・6%)。二〇〇一年の参院選の二十六万三千票(同6・2%)から五万票のばす結果です。社民党の票を上回りました。「共産党の議席消滅を」と叫び、東北での二議席を狙った公明党のたくらみも阻止しました。
「『政権選択』が焦点」「自民と民主、違い鮮明」―連日、二大政党論をあおりにあおりたてるマスコミ報道に、党や後援会は、その背後にある財界の危険な策動を明らかにしながら、党の役割や政策を訴え続けました。
![]() 公約実現の決意を伝える高橋千鶴子さん=10日午前8時過ぎ、仙台駅前 |
東北で日本共産党の一議席の果たしてきた役割は、大きなものでした。
松本前議員は二期、七年間、東北で活躍。宮城に地震が発生すれば、だれより早く被災地に駆けつけ、国に住宅再建支援をさせようと内閣府と交渉する。岩手にBSEが発生すれば、農水省と交渉し、損害補償を実現させる。北東北を冷害が襲えば、青刈りの中止や農業共済の早期支払いをおこなわせる―。
農業関係者からも「東北に共産党の国会議員がいて良かったと思うことが何度もあった」という声が寄せられています。
「いまほど共産党の役割が重くなっているときはない。かけがえのない東北の一議席、何が何でも守りぬこう!」というのが、東北の党・後援会共通の思いでした。
消費税増税反対、憲法九条を守れ――日本共産党の主張は、多くの有権者の思いと合致するものでした。
十月以降、震災や原発、農業問題など、東北の実情に合わせた政策を次々と発表。高橋さんが農村部での演説で決まってする、小泉首相の「農業鎖国はできない」発言への批判と、農業を守ろうという訴えは、各地で共感を呼びました。
支持を広げるのは、時間との勝負でした。「もっと時間が欲しい」というのが、多くの党員・後援会員の偽らざる気持ちでした。松本前議員は、議席を失ったら回復するのは大変だ、「自分の選挙以上に、命を削ってでも死力を尽くす」と、げき文を出して激戦の先頭に立ちました。
勝利を決めたのは、投票前二、三日間の猛奮闘でした。六日に盛岡、仙台、福島で志位和夫委員長が街頭演説。「財界が、自民党も民主党もカネの力で操ろうという『保守二大政党制』のたくらみが良くわかった。いまこそ党の底力を発揮しよう」―そう、多くの党員・後援会員が奮起。一気に支持拡大を加速させ、高橋さんを押し上げたのです。
全国的には厳しい結果となった今回の選挙。しかし、元気をなくしてはいられません。
選挙中、対話した人数は「何百人になるか、数えてもいない」という福島市の遠藤カヨさん(73)は、もう来年の参院選に向け、知人に支持を広げています。
「私は戦争を体験した世代ですから、平和を守るのが共産党って話しています。私たちの孫を戦場に送っていいの? 憲法を守りましょうって。伝えれば、分かってくれるんですよ。明けない夜は無いって、夫と話していたところ。また、がんばります」